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偏見の芽をつむーミニ読書感想「ボーダー 移民と難民」(佐々涼子さん)

ノンフィクション作家佐々涼子さんの「ボーダー 移民と難民」(集英社、2022年11月30日初版)は胸にずしりと残る一冊でした。難民申請が認められず、いわゆる「入管施設」に収容された人々に肉薄する。また他方、移民をほとんど認めない日本で「技能実習生」として暮らす人々にもスポットを当てています。

本書を読むまで、入管施設に収容された外国人は何かしらの法令違反を犯しているのかと思っていました。もちろん、ビザのない彼らは不法滞在になるという意味ではある種の法令違反ですが、それ以外の犯罪を犯したわけではない。にもかかわず、刑務所に近い環境に拘禁されている現実に衝撃を受けました。

最も怒りと悲しみが湧いたのは、1990年代、生まれたばかりの赤ん坊まで収容されたことがあるという事実です。

部屋は他人と一緒の雑居房に入れられた。シーツも替えてもらえず、誰かの髪の毛だらけだった。乳児の首はただれて、投薬が必要な状況になっていた。離乳食は一日一回のみ。あとは大人の食事から、乳児に食べられそうなものをみつくろって与えていた。
「ボーダー」p120

誰よりも何より大切にされ、祝福されるべき新たな命がこんなにもぞんざいに扱われる。それを容認してきた日本社会が、総じて恥じるべき汚点に感じます。なぜなら赤ちゃんは生まれる場所を選べず、逃げるはずもないのだから。収容施設に入れていいはずのない存在です。

私たちはなぜ、外国人にこのような仕打ちをしているのか?本書が全体を通して投げかける問いは重いものです。

仮に、収容者が本当に難民とは認められないとしても、その人たちを非人道的に扱っていいとはならない。にもかかわらず入管施設が存続しているという事実は、私たちが結局のところ、この有り様を容認していると言えるのです。

その根底には、私が最初に告白したような「入管施設収容者は何らかの犯罪を犯したのではないか」というイメージ、偏見がある。見た目や文化の異なる人への理由のない恐怖感がある。そう感じます。

著者は、著者自身にもこうした偏見があることを認め、その上で偏見を是正する大切さを説きます。

私はこれからも、いともたやすく偏見を持ってしまうだろう。人は他人を上に見たり、下に見たり、仲間だと思ったり、敵だと感じたりする。これはもう避けようがない。自分を正義の人だと思った時は、特に危ない。だからいつも自分の心を点検して、夏の庭の雑草を抜くようにして、こまめに偏見を取り除いていくしかない。
「ボーダー」p255

雑草を抜くためには、雑草を見つけられなければなりません。雑草を見つけるとは、何気ない風景を所与のものとは受け止めず、その土地にまじった悪意や歪みを見出すことと言えます。

まずは違和感を感じること。そこから偏見の芽を繰り返し、繰り返し抜いていくことで、ようやく「入管施設が見直された世界」が近づいてくるはずです。そう感じました。

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