人類の強さは「弱さを補うこと」ー読書感想「哲学と人類」(岡本裕一朗さん)

人類はなぜ音声を生み出したのか。なぜ文字を発明し、なぜ印刷技術を獲得したのか。なぜデジタルメディアをつくり、次はどこへ向かうのか。無数の「なぜ」にバシバシと答えてくれる一冊が、岡本裕一朗さん「哲学と人類」でした。人類誕生から2020年現在まで、人類史に重ねて哲学の歴史を述べる。壮大なんだけれども、岡本さんのまとめ方、論じ方が巧みで飽きることがない。キーに置いたのはメディア。音声・文字・印刷・デジタルの各メディアが、哲人の発想に大きな影響を与えた。そこには「弱さを補うこと」こそ「人類の強さ」なんだということが、はっきりと現れてきます。(文藝春秋、2021年1月30日初版)


人類は弱かったからこそ生き残った

本書は「サピエンス全史」「ホモ・デウス」のユヴァル・ノヴァ・ハラリ氏の論考を軸に「人類の終焉」を描き出すところから始まる。そこから「人類の始まり」に立ち返り、古代、中世、現代のメディアと哲学の関係を紐解いていく。「終焉」はもちろん刺激的なんだけれども、ここでは「始まり」の方に目を向けたい。ネタバレを避けたいのと、本書の核といっていい発想が出てくるからだ。

岡本さんは「最近の研究では、ネアンデルタール人がしゃべる能力をもっていた可能性が高い」という点を重視する。もともとネアンデルタール人は人類(ホモ・サピエンス)よりも体格が大きいことが分かっていた。しかし人類の方が知能が高く、言語も操れたことが勝因だったとされていた。けれど、もし最新研究が正しいのなら、知性でもネアンデルタール人が人類を圧倒していた可能性がある。

ここで岡本さんは、「人類は弱かったからこそ生き残った」という逆説的な視点を支持します。たとえば狩りの手法が一例だ。

(中略)そのため、か弱いサピエンスは、二つの戦略を取らざるを得ませんでした。
 その一つは、遠く離れて戦うことです。そのために発明されたのが、「アトラトル」という道具(投擲器)です。これは腕だけで投げるよりも、「2倍以上の飛距離が出る」と言われています。もう一つは、多人数でコミュニケーションを取り合いながら協力することです。一人では力が弱いので、協力せざるをえず、そうして目的を達成できるのです。このために、言葉が発達したのです。
 このように考えると、力の弱いホモ・サピエンスがその弱点を補うために、道具の制作と言葉の使用という二つの技術を発展させたのがわかります。(p113)

人類は弱かったからこそ、投擲器という「道具」や、多人数戦闘を可能にする「言語」を発達させた。「弱さ」こそ人類が繁栄する原動力なんだという視点は、非常に面白いし、頷ける。

実はこのメタファーはギリシャ哲学にも表れている。プラトンの「プロタゴラス」で描いている人類の誕生物語がそうなのだ。

プラトンによると、神々はプロメテウスとエピメテウスの兄弟に生物をつくらせた。エピメテウスは各種族に生き残るための能力を分配したが、最後の人間には何の与える能力も残っていなかった。先行きを案じたプロメテウスは神々から火を盗み出し、人間に分け与えたーー。これはまさに「弱い人間」が「火(技術)」によって発展したことを示している。

プラトンもまた、人類の本質を見抜いていたのかもしれない。

なぜキリスト教は爆発的に浸透したか

「弱さを補うための技術」が人類のアドバンテージである。この考え方を持っていると、その後の哲学史・思想史の見通しが良くなる。

たとえば、キリスト教はなぜ爆発的に人々へ浸透したか。ポイントは、イエスが愛の教えを「口頭」で行ったことだ。つまり音声メディア。当時のローマ帝国では、ユダヤ教は「文書」に書かれていた。大衆は文字を読み書きできず、支配者だけが文書を扱えたからこそ、エリートの権威が確立された。

大衆は自らの弱さを補うために、アクセスしやすい音声メディアのキリスト教を頼った。これが第一のアクセルになった。

しかしこれだけでは、人々の反乱にしかならない。「弱い」ままで終わってしまう。そこで第二のアクセルになったのが「弟子」の存在。リーダーのイエスは教えを音声で説く一方、弟子はその音声を文字に記録し、奇蹟を刻みつけた。岡本さんは「代補」と表現する。

 こうして、イエスの教えは、福音書やパウロ書簡によって「代補」されることになります。イエス自身の教えからは遠ざかるかもしれませんが、この代補によってキリスト教は力をもつようになりました。弱者や下層民の反乱は、文書(文字メディア)によって補綴され、強大な力となったのです。(p180)

大衆の弱さを補うイエスの教え(音声メディア)。理論的な弱さを補う弟子の記録(文字メディア)。複数の「代補」によってキリスト教はパワーアップし、人類が地球全体にわたったのと同様に、すさまじい普及を実現した。

音声メディアと文字メディアの補完性、あるいはせめぎあいは、現代においてもみられる。インターネットの登場とともにブログが流行ったけれど、いまは「クラブハウス」などの音声配信サービスが興隆している。ブログはユーザー発信力を強化したし、音声配信はさらに情報量を拡大している。いずれも「弱さ」を補っていると考えると、なるほどなあと思えてくる。

次は、どんな弱さを補うメディアが登場するのか。それによってどんな思想が現れるのか。あるいは人類の「終焉」は、まったく違う方向に転じるのか。気になることが少しでも出てきたら、ぜひ本書を実際に手に取ってほしい。

次におすすめする本は

長沼伸一郎さん「現代経済学の直観的方法」(講談社)です。岡本さん同様、経済学のエッセンスを網羅しながら、独自の噛み砕き方でわかりやすく伝えてくれる。こちらでは「縮退」というキーワードが、経済の見方を変えてくれる。読んでいてわくわくする一冊です。

詳しい感想はこちらに書きました。


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