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絶対的で揺らぐ空ーミニ読書感想『幽玄F』(佐藤究さん)

ただの会社員である自分は、パイロットとして空を飛んだことはない。ましてや音速の戦闘機を操縦したことはない。その空の青さを知らない。だけど、この本を読むとその峻厳な空間が眼前に広がる。切り裂くような冷気を感じる。佐藤究さんの最新小説『幽玄F』(河出書房新社、23年10月19日初版発行)はそんな小説でした。


著者は、美しい日本語を紡ぐ。磨き抜かれたガラスのように曇りがない表現。そこに、独特の美が、思想が詰まっているような奥行きを感じます。

たとえばこんな文章が心に残りました。

空のない一日などあり得るはずもなく、まさに不動の空間といえた。だが、空そのものは不動なのに、その色調、その眺めは一日として同じではなかった。

『幽玄F』p32

本書は、三島由紀夫をテーマにしている。あとがきでも著者が認めています。三島作品を読んだのはもう20年以上前、高校生の頃の記憶に遡りますが、ちょうど『金閣寺』『春の雪』を読んだ時も、文章の透明度に驚いた記憶があります。

とはいえ、三島由紀をテーマにしたということは、三島作品のコピーを目指したというわけではない。実際本書の魅力は、三島由紀夫という存在が投影されているのが、その美しい文章なのか、戦闘機乗りという主人公なのか、「護国」というテーマなのか、はたまた物語の結末なのか、判断がつかない点にあります。きっと読む人により、「ここが三島由紀夫的だ」と感じる点が違う。

自分は、作品としての美しさと、その根底にある「美しさに向かう姿勢」がそれだと感じました。

引用した文章は、なぜか飛行機、特に戦闘機に取り憑かれた主人公の少年が、空を見上げて思う心のうちです。その心は、変わらない不動としての空の絶対性と、変わりゆく空の得体の知れなさを、同時に捉えている。

戦闘機というのは、重力という絶対原理に逆らって空を駆ける。物理法則を力でねじ伏せ、音速の領域を行く。しかし、それは絶対性からの自由を意味しない。むしろ、お釈迦さまの手の上を駆け回る孫悟空のように、絶対性をかろうじて回避しているに過ぎない。空は見方によっては、人間的に、気まぐれに、その絶対性を揺らしているようにも見える。

そんな矛盾を美しく捉えている。

それは、佐藤究という作家だからこそ出来たことだと感じます。ヒット作『テスカトリポカ』や、作品集『爆発物処理班が遭遇したスピン』で実践されたように、佐藤作品は科学と宗教・呪術を掛け合わせる。『テスカ〜』では、麻薬戦争や人身売買の現実と、メキシコの古代信仰がクロスしました。

本書では、科学がF型超音速戦闘機、そして宗教が仏教が呼び寄せられる。仏教で、孔雀明王が邪悪な蛇を鎮めるイメージが、主人公の中に残る。蛇と孔雀。このモチーフが、矛盾した、あるいは合わさるはずのない美しさをたどるヒントになる。

美しく謎めいた世界に、飛翔していく。あるいは墜落していく。そんな読書体験が楽しめました。

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『爆発物処理班が遭遇したスピン』の感想はこちらに書きました。

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