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どうしようもなく惨めでどこまでも美しい人生ーミニ読書感想「シャギー・ベイン」(ダグラス・スチュアートさん)

英スコットランド出身で米国在住の作家ダグラス・スチュアートさんの「シャギー・ベイン」(黒原敏行さん訳、早川書房2022年4月20日初版)が胸に残りました。英ブッカー賞、全英図書賞年間最優秀作品賞を受賞し、全米図書賞の最終候補にも選ばれたという高評価は伊達ではない。アルコールに溺れるシングルマザーと、家族の中でただ一人支えようとした末っ子の物語。どうしようもなく惨めな人生なのに、なぜか描かれる姿は美しい。唯一無二の輝きを持つ物語でした。


「本の雑誌」の2022年年間ベストにランクインしていたことから手に取りました。本編だけで600ページの鈍器本。読み切れるのか不安もよぎりましたが、読了後は「読めて良かった」と納得の一冊でした。2023年最初の読了本。年末年始にふさわしく、どこか静謐な気持ちにさせてくれる物語でした。

本書の美しさを、どう言えば良いか。それは下記引用のようなシーンに象徴される気がします。

シャギーは窓の鉄格子にとりつき、ぶらさがった。ついで前庭をぶらぶら歩いた。使い終わったアルミのビール樽が倒れ、気の抜けたビールの溜まりができていた。土とビールと石油が混じって、小さな池は虹色の光を浮かべていた。シャギーはしゃがみ、ダフネのブロンドの毛を虹色の液体に浸した。持ちあげると、金色の毛が夜の色に変わっていたので、舌打ちをした。なぜあのきれいな虹色にならないんだろう。
「シャギー・ベイン」p166

タイトルにもなっているシャギー・ベインは、ベイン家の末弟で、夫に捨てられてから酒に逃避する美貌の母アグネスを唯一支えようとする。シャギーは「男らしくない」ことへの悩みも抱えていて、引用に出てくるダフネはお気に入りの人形の名前です。

シングルマザーのアグネスと、シャギーと兄姉らはうらびれた炭鉱街の低所得層向け公営住宅に暮らすことになり、その住宅地の中にあるのが「土とビールと石油」が混ざった水たまりです。それはもちろん汚いわけですが、混合したその液体はなぜか、美しく虹色に輝くのです。

その虹色を人形の毛並みに写し取ろうと、主人公は液体だまりに人形を浸す。でも、引き上げた人形は虹色になるどころか、夜の暗闇のようにどす黒くなるだけ。つかめない美しさ。蜃気楼のような幸福。これが、本書で描かれるモチーフです。

アルコール漬けになった母親は、「堕ちていく」という言葉以外見当たらない有様。だから、異父きょうだいの兄と姉は、一刻も早く母親から離れようとする。しかし、主人公シャギーだけは母を愛し、立ち直りを信じようとする。

その願いが叶う瞬間もある。母親がアルコールから離れる期間が。その間の平穏さは、まさに掃き溜めに浮かぶ虹色のようですが、やはり、それを永久保存することは叶わない。

物語の運び方、物語の描き方が繊細で、この一瞬の虹が読者にはくっきり見える。そして消える。この物語の起伏に痺れます。

そしてもう一つ、主人公シャギーの母親が、たしかに愛すべき存在に思えることもポイントです。解説でも指摘されていますが、「ギリギリ毒親ではないところで踏み止まっている」のが巧み。どこか、凛としているのです。

たとえばこんなシーンがあります。主人公シャギーは男らしくない自分に悩んでいる。ある日、母親アグネスの前でダンスを披露していたら、近所の子どもに目撃され、その「女の子っぽさ」を嘲笑される。しかし母親は「私なら踊り続ける」「負けだと思ったら負け」と断言する。

「できる。あなたなら。できる」アグネスは歯を見せて微笑んでいた。「頭を高くあげて。元気を。出して。やる」
  算数の宿題を手伝うとなるとアグネスは無力だ。アグネスの料理を食べるくらいなら飢えたほうかましだという日もある。だが今、アグネスを見たシャギーは、これが自分の母親の得意なことだと理解した。毎日、アグネスは化粧をし髪を整えて、墓から起きあがって頭を高くあげる。
「シャギー・ベイン」p376-377

「頭を高くあげて」。もちろん、アルコール依存なのに何を言ってるんだとも言い返せる。でも、このセリフに不思議な説得力を感じざるを得ません。

主人公もそのパワーを感じる。惨めな境遇で、惨めなように振る舞わない。あえて、頭を高くあげる。墓場から起き上がる。それが母の「得意なこと」だと受け止める。

主人公の目には、アルコール依存の母が無力な存在だとは映らない。その人が持つ強さに目を向ける。だから愛が宿る。本書で描かれる主人公から母への思いは、共依存ではなく、愛だと感じられるのはこのためです。(外形的には共依存だし、一種の虐待なのかもしれませんが)

本書は著者の自伝的な物語だといいますが、貧困体験や悲惨な子ども時代の「美化」ではない。少なくとも美化には感じられません。

惨めさの中に美しさを見出す力。美しさを見出す愛。そのきらめきが、私の心をとらえて離さないのだと思います。

つながる本

山本文緒さんの「自転しながら公転する」(新潮社)が面白いと感じた方には、本書もおすすめできると思います。あるいは、朝倉かすみさんの「平場の月」(光文社文庫)。本書はある種、ままならないラブストーリーなのだと思います。

海外文学では、昨年話題になったクリス・ウィタカー「われら闇より天を見る」(早川書房)にハマった方にはおすすめできます。

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