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愛と科学が咲かせた花ー読書感想「悪魔の細菌」(ステファニー・ストラスディーさんら)

これは愛の物語であり、科学の物語でもありました。ノンフィクションの「悪魔の細菌 超多剤耐性菌から夫を救った科学者の戦い」。タイトルが示す通り、手の打ちようがない「悪魔の細菌」が夫の体に襲いかかる。まさしく絶体絶命の中、妻は「忘れられた技術」とも言える意外な治療法を探し出す。夫婦二人が科学者であるというのもポイント。相手を守りたいという思いと、科学を信じて挑む思いが重なった時、蓮の花のように希望が咲くことを教えてくれました。著者は夫婦本人で、妻ステファニー・ストラスディーさんと夫トーマス・パターソンさん。訳者は坪子理美さん。中央公論新社、2021年2月25日初版。


辺境に追いやられていた特効薬

本書の結末はタイトル通り、夫を救うハッピーエンドだ。だから安心して読み進められるものの、悪魔の細菌の恐ろしさは半端ではない。

超多剤耐性菌は「スーパーバグ」とも呼ばれ、抗生物質がまったく効かない。そのため細菌が体を攻撃し続け、だんだんと臓器が機能不全になっていく。夫トーマスさんは旅先で倒れた後、スーパーバグに命を削られ続ける。抗生物質が効かない以上、医者も家族も弱っていく姿をただただ見ていくしかない。

「もう死は避けられない」。誰もにそう言われた妻ステファニーさんが、どうやってハッピーエンドに持っていくのか。そこが読みどころだ。

スペクタルを省いてしまうのはためらわれるけれど、帯分にもヒントが書かれているのでショートカットは許されるだろう。スーパーバグに薬は効かない。しかし、スーパーバグを「食べる」ウイルスというものが存在した。

そんなものがあるのか!というのが読者の驚きになる。全然知らなかった。それもそのはずで、このウイルスを使った「ファージ療法」は、抗生物質の代表格「ペニシリン」の登場で「辺境」に追いやられていたのだ。

 一九四〇年代にペニシリンが市場に登場して以来、ファージ療法は多くの国々で人気を失ってしまっていた。無理もない。一九五九年に抗生物耐性菌の出現が重大な問題として表面化するまで、抗生物質はまさに奇跡の薬だったのだから。(p181)

抗生物質は「奇跡の薬」だった。それだけに、奇跡が通じなくなる未来なんて想像できないし、奇跡以外の治療法には目を向けられなかった。

これは実に本質的で、学ばなければいけない点だと思う。私たちがいま奇跡だと思っているものは、将来はまったく通じなくなるかもしれない。そして今まったく「無用」としているものが、将来には必要となるかもしれない。意味があるなしを、私たち全てが判断できるではない。

だからこそ、技術も人も、簡単には切り捨てるべきではないのだ。


妻である葛藤、科学者としての誇り

光明は見えた。でも、ファージ療法がスーパーバグに有効なのか、エビデンスは積み重なっていない。つまり、それを絶望の淵にいる夫に使うことは、逆に夫の命を奪ってしまうかもしれない。

ここが最大の山場で、どうしても涙ぐんでしまう。科学者としては、可能性を信じたい。それでも妻として、本当にこの選択が正しいのか。

科学者と妻との立場で起きる葛藤を、ステファニーさんが乗り越えようとする。

一番胸に残ったシーンは、ファージ療法に着手する直前。ステファニーさんは夫の体内から排出した体液を「保存しておいてほしい」と病院側に依頼する。治療結果の比較に使いたいと言うのだ。

当然、眉をひそめられる。この人は最愛の家族に一か八かの治療を行うのに、なぜ実験かのようなことを言うのだろう?

それに対する答えはこうだ。

 私は咳払いをして、自分の発言の根拠を説明した。
 「頭のおかしい話だと思われるのはわかっています。ただ、トムと私は、夫と妻であるだけじゃなくて、二人とも根っこのところでは科学者だから」。私はそこで言葉を切り、深い、震える息を吸い込んだ。私は今、その「妻である自分」から距離を置くような、どこか冷めた自分の態度を正当化してもいるのだと気づきながら。「たとえトムが死ぬとしても、私たちはファージ治療から何かを学ばないと。そして、もしファージ治療が効くなら、最終的には他の人のことも助けられるように、最大限の綿密な記録をとらないとい。もし私たちがそれを忘れたら、そしてもしトムに意識があったら、彼の最期の言葉はこうなるでしょうね。『何だって、ベースライン試料を忘れただと?君はなんて研究者なんだ?』」(p274)

このシーンが大好きだ。そして多くのことが読み取れる。

私たちは夫婦であり、科学者だから。こう言えるためには、パートナーである夫もまた「私たちは科学者だ」と思ってくれているはずだという「確信」がなくてはならない。これこそがまさに、愛だと思うのだ。

もちろん本人が認める通り、「妻としての自分」から距離を置くための方便でもあるかもしれない。それでも、もしも妻としての情に流されれば、科学的に最善の方策を逃してしまう。私には方便すら、愛の一つの形に見えてくる。非情になることが愛である、極めて難しい状況を切り抜けようとしているからだ。

そして科学者としても、ベストを尽くそうとする姿勢が見える。もしもパートナーが命を失っても、その事実を科学的に有意味なことにする。科学への貢献、それに対する強い信念が、このシーンから見えてくる。

劇中では、ファージ治療がウイルスを活用したことのメタファーとして「蓮の花」が使われる。沼の中にも美しく咲く花だ。逆境の中でも、花を咲かせるために何が必要か。それが愛と科学的(合理的)判断のバランスではないかと、本書を読み切って思えてくる。


次におすすめする本は

エーリッヒ・フロム氏「愛するということ」(紀伊国屋書店)です。愛するとうことは「技術」「営み」だという本書のメッセージが、「悪魔の細菌」と合わせることで深く感じられるように思います。


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