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戦争が貴族から特権を削り取ったーミニ読書感想『貴族とは何か』(君塚直隆さん)

英国政治外交史の研究者、君塚直隆さんの『貴族とは何か  ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)が興味深かったです。副題になっている「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの責務)」とは何で、どのように生まれたのかを知りたくて読んだ一冊でした。

ここでいう責務とは、古くは戦争参加が柱だったことが分かりました。ゆえに貴族にはさまざまな特権が与えられた。しかし、戦争が激しくなると庶民階級も動員され、庶民が責務を負うことに伴って貴族の特権も剥ぎ取られていった。そんな歴史が浮かんできました。


今言った貴族の没落と庶民の責務の関係は、古代ギリシャ時代まで遡れる。その事実に知的興奮を覚えました。

 ポリスが勢力を拡大するために、王侯や貴族が自ら兵を率いておこなってきた遠征は、紀元前七世紀後半頃までに、青銅製の丸楯を持ち、これまた青銅製の兜や胸甲などで覆い、鉄製の長槍で武装した歩兵集団が戦闘の主力を担うようになっていった。こうした重装歩兵を増強するためには貴族出身の兵力だけでは足りない。戦争に勝つためには平民戦士からの協力にも頼らざるをえなくなり、その協力の代償として平民にも政治的発言権が与えられていったのである。貴族たちが編み出した戦術が皮肉にも貴族制の基盤を揺るがすことになったのだ。
『貴族とは何か』p26

この歴史は、近代においても繰り返されます。第一次世界大戦と二次大戦です。「総力戦」の時代となり、労働者階級も動員されたことで選挙権が拡大、それによって英国では貴族院の改革が進むことになります。

しかし、なぜか英国では他国に比べて貴族に対する敬意が長く続き、現代まで存続している。その秘訣を解き明かすのが中盤以降の読みどころでした。

特に目を引いたのは、貴族院改革を行ったことが庶民の理解を得ることにつながったということ。これは、バジョットの『イギリス憲政論争』で指摘されていることでした。

 議員の多くが、自己の義務を忘れ、全議員がいつまでも同一階級だけから補充され、しかもそれがどう見ても一流の人物でないとすれば、また貴族に昇格できない天才的人物や年収五千ポンド以下の人材に対し門戸を閉ざしているならば、その権力は年々衰微し、ついには、王権の場合と同様に消滅するであろう。しかし、だれもこれを知ってはいないのである。危険は不意打ちをかけられることにあるのではなく、みずから萎縮することにある。また貴族院の廃止にあるのではなく、その衰微にある。
『貴族とは何か』p197

これは金言です。貴族院が改革に背を向け、一代貴族の容認など門戸拡大策を拒否し続けていれば、貴族院への信頼はだんだん弱っていった。そしてその「衰微」の果てに消滅があるのだという指摘です。

しかし、逆に改革を受け入れ、特権を自ら手放すことで、自らの高貴さを示すことになる。手放す先に存続の道が見えてくる。

いま日本では「上級国民」という言葉も人口に膾炙していますが、これは「手放すことを拒否する人」への反感とも捉えられそうです。

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