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噛んで味わう本ー読書感想#28「サンセット・パーク」

ポール・オースターさん「サンセット・パーク」をおすすめしたい。文章を口に含み、ゆっくり噛んで味わえるような物語でした。語り、展開が面白いのはさることながら、文章を読み進めること自体が大きな快感。落ち着いたジャズのように、底には常にじんわりとした悲しみがある。だけどオースターさんの物語への愛がそれを優しく包んで、結局は、読んでよかったと思える。


言葉の粒

オースターさんの、あるいは訳者の柴田元幸さんの選ぶ言葉は粒が立っている。ひとことが、ワンフレーズが、驚くほど滋味深い。

たとえば主人公マイルズ・ヘラーがティーンだったとき、両親(父親と、再婚した義理の母親)が自分への愛を持っていないと実感させられる会話を、深夜の自宅で立ち聞きしてしまったシーン。

 彼はもう聞いていられなかった。二人で彼のことを、病理学者が死体解剖をやるみたいに冷静に効率よく切り刻み、まるでもう死んでいるみたいに話しているのだ。彼は寝室に避難してそっとドアを閉めた。彼が二人をどれだけ愛しているか、彼らはまるでわかっていなかった。五年間ずっと彼は、マサチューセッツのあの道路で自分が兄に為したことの記憶を抱えて生きてきた。ボビーを押したことも、そのことで内心ひどく苦しんでいることも二人には言わなかったから、彼の体じゅうに広がっている罪悪感を、二人は一種の病気と読み違えた。まあたしかに病気だったのかもしれない。たしかに自分は心を閉ざした、全然好きになれないたぐいの人間だったかもしれない。(中略、p27-28)

「病理学者が死体解剖をやるみたいに」。この表現は、第一にまるで両親が病理学者のように冷静に効率的に、マイルズにとっては冷徹に、愛のない会話に臨んだことを示している。同時に、そうして冷静になれるのは、彼を「死んだ人間」かのように、そこにいないかのように扱えるからだ、というダブルミーニングも含む。

さらに読み進めると「二人は一種の病気と読み違えた」という表現が効いてくる。マイルズはある事件で罪悪感を抱えているが、両親はそれを見抜けなかった。冷静な病理学者が病気を勘違いした。そこに愛がないからだ、と読める。

この文章のボリュームもいい。滑らかな語りが、次々と言葉を連れてきて結構な分量になる。でも感情と事実のバランス、漢字とひらがなのバランス、文体のリズム、全てが調和していくら読んでも胃もたれしない。むしろ、いくらでもするすると、心に入ってくる。

千切れた関係、それでも残るもの

物語の筋はというと、これは失った人の物語だ。あるいは、何も手にできないまま、それでも生きていかないといけない人の物語。

マイルズは先の両親の会話を引き金に、自分はここにいちゃいけないと感じて、放浪に出る。そうしてたどり着いたフロリダでずいぶん年下の、というかギリギリ未成年の少女と恋に落ちる。ところが少女の姉に付け入られ、マイルズがあることをしなければ少女との恋愛を警察に通報して「事件化」すると脅され、再びマイルズは転居を余儀なくされる。

そうして流れ着いたのが、ブルックリンにある「サンセット・パーク」。マイルズの友達で、放浪中も連絡を取り合ってきた巨漢のビングが霊園の近くで見つけた、打ち捨てられた一軒家だった。マイルズとビングは、さらに二人の仲間と一緒にこの家を「不法占拠」する。そうすればこの大都会の片隅で生き残っていけるからだ。

マイルズは自分も語るように野心がない。だからサンセット・パークの日々も、どこに向かうでもなく、ただただ一日一日をしのぐものになる。じゃあマイルズは全てを失ってしまったのか?オースターさんは、「そうではない」とは声高に言わないけれど、マイルズに「残されたもの」をそっと描き出している。

作中、ハーブ・スコアという野球選手が亡くなる。その訃報は、マイルズの語りではほんの一行触れられる話でしかない。

 十一日、ハーブ・スコアが死んだことを彼は新聞で知る。世代的に若すぎるのでスコアのピッチングを実際に見てはいないが、一九五七年五月七日の夜について父親から聞いた話は覚えている。その夜、ヤンキースの内野手ギル・マクドゥーガルドの打ったライナーがスコアの顔面を直撃し、球史でも稀に見る有望なキャリアが絶たれてしまったのだ。(p31)

でもハーブ氏の死は、もう一度語られる。今度の語り手はマイルズの父、モリス・ヘラーだった。

モリスの父(マイルズの祖父)は、第二次大戦に参加せず、その間もニューヨークで商売をしていた。幼い頃のモリスはそのことをやましく思っていたが、実はモリスの父は左目を失明していて、兵役に耐えられなかったのだった。

その原因がなんと、野球中のライナーの直撃だった。スコア氏と同じなのだ。

(中略)その日の第一球目、野手たちが背後でまだ守備位置に収まりかけているさなか、クリントン高の遊撃手トミー・デルッカに低めの直球を投げると、ものすごい勢いでライナーが返ってきて、そのあまりの力と速さにグラブを上げて顔を守る間もなかった。それはのちに一九五七年にハーブ・スコアのキャリアを破壊することになるのと同じ負傷であり、同じく骨を打ち砕き人生の針路を変えてしまう一撃だった。もしそのボールが父の目を直撃しなかったら、父が戦争でーー結婚するより前に、子供たちが生まれる前にーー死にはしなかったと誰が言えるだろう?(p146)

実はスコア氏の災難は、モリスにとっては重い意味があった。自分の父親もまさに、スコア氏と同じ災難にあっていたからだ。一方で、父親が痛みを背負ったからこそ、結果的に自分が生まれてくることができた。複雑な災難だった。

マイルズがかつて父から聞いたスコア氏の話は、ある意味で「マイルズ家の話」でもあった。何気ないひとことが、奥深いヒストリーを伴っていたことが、後から分かる。この深い余韻は、いつまでも胸に残る。

千切れた関係、うまくいかない人生。それでも、生きることが内包する豊かさが、豊かな言葉で語られる。それが本書の素晴らしさだと思う。(新潮社、2020年2月25日初版)


次におすすめする本は

J・D・ヴァンスさん「ヒルビリー・エレジー」(光文社)です。「サンセット・パーク」は持たざる者のフィクションですが、本書は持たざるもののノンフィクション。トランプ大統領の支持層とされる「ラスト・ベルト」出身の著者の半生記で、そことなくマイルズに通じるものがあります。半生記なんですが、語りは実に巧みで物語のように読めるのもよい。


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