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村上春樹作品の新作を読んでいるかのような極上文学ミステリーーミニ読書感想「『グレート・ギャツビー』を追え」(ジョン・グリシャム)

ジョン・グリシャムさん「『グレート・ギャツビー』を追え」(村上春樹さん訳、中公文庫2022年11月25日初版発行)が面白かったです。訳者は村上春樹さん。訳文のテンポにハルキイズムが感じられます。「強盗団によって大学図書館から盗まれたフィツジェラルドの原稿がある独立系書店に隠されているとの情報を受け、冴えない新人作家がスパイとして送り込まれる」という筋書きも、どこか村上作品的なニュアンスを感じます。総じて、新たな村上春樹作品を味わうかのように楽しめました。


たとえば、スパイとして勧誘された新人作家(マーサー)と、勧誘役の保険会社の女性(イレイン)との会話。

  「私にはたっぷり質問がある」とマーサー。
  イレインは肩をすくめて言った。「私にはたっぷり時間がある」
「『グレート・ギャツビー』を追え」p133

何気ない会話かもしれませんが、「私にはたっぷり質問がある」との言い回し、そのあと肩をすくめた後でそっくりそのまま「たっぷり時間がある」との返答で受けて立つ相手とのやり取りが、なんとも村上春樹的だと思うのです。

たとえば、「聞きたいことは山ほどある」でも、「私にはたくさん質問がある」「時間ならいくらでもあるわよ」という掛け合いでも、どれでもない。そうではなくてこの応答、テンポ、「たっぷり」というどこかとぼけた語の選択が、村上春樹的だと感じさせる一因でしょう。

おそらく別の訳者が本作を訳せば、それは全く毛色の違った物語となったでしょう。

あるいは逆方向に、村上春樹さんはグリシャムのような米国作家の作品を愛し、それをデビュー前から吸収して文体を練り上げてきた経緯を思い起こします。つまり、本作が村上春樹的なのではなく、そもそも村上春樹作品は「翻訳的」である。このことは、邵丹さん「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」に詳しいです。

さらに、本作のプロットはどこか村上春樹作品にリンクする点が多い。たとえば作家が面倒ごとに巻き込まれ、「やれやれ」という感じで謎に頭を突っ込んでいくこと。あるいは、強奪された「グレート・ギャツビー」がなぜかとある島の小さな独立系書店に眠っているとの話が浮上し、その書店主が実にハンサムで魅力的なこと。当然そこには、いくつかの情事も発生するでしょう。

これも逆方向で考えれば、村上春樹作品はそうしたストーリーを最初から根っこに含めたものなのかもしれません。

その上で、展開や結末はやはり村上春樹さんが選びそうなものとは違って、グリシャムさんがグリシャム作品として創り上げたものだと(当然ながら)感じる。その「違い」を味わうのも一興です。

「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」の感想はこちらにまとめました。


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