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これからも素敵なところへ連れてって

「ニュースをお伝えします。今週末、特別警報級に発達すると見られる台風10号が九州に―――」

9月の初め頃、こんなニュースを何度も耳にした。

大学に入って一人暮らしをするようになってからも、何度か台風が来たことはあったが、今回は何といっても「特別警報級」。

スーパーに行っても、何となく家の近くを歩いていても、どこにいても、いつもよりすれ違う人たちの心がどこかざわついているように感じた。

私ものんきにしてはいられない。とにかく備えなければ。
そう思って私は、台風が来る日の前日、店をあちこち回り、「これがあれば数日は生きていける」ものたちを詰めた「防災リュック」なるものを準備して心を落ち着けた。

「これでとりあえず大丈夫。あとは家にこもっているだけ・・・」

こう思ってリビングの座椅子に座ったとき、私は大事なことを忘れていたのに気がついた。

「自転車!」

私は急いでエレベーターに乗って一階に降り、きれいなミントグリーンの色をした自転車の元へ駆け寄った。
そして、それを自分の家の狭い玄関に運び込み、しばらくその自転車を見つめた。

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2年前、私は自転車を「クロスバイク」に買い替えた。
1つ前の自転車はいわゆる「ママチャリ」というもので、大学の近くに引っ越してきてすぐの頃に親に買ってもらったものだった。

ママチャリは私にとってとても便利で優秀な「道具」だった。
歩いて行ける距離でも、これに乗ればずっと速く移動できるし、少し頑張れば塵が積もって山になってしまうバス代だって節約できる。
私の代わり映えのない毎日にとって十分なものだった。

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そんなある日。

「先輩が自転車で帰省したんだって。」

私はサークルでこんな話を耳にした。
学校からその先輩の住む町まで約150キロ。気が遠くなってしまいそうだったけれど、どこか羨ましさも感じた。

自転車が趣味の先輩みたいに高い自転車は買えないけれど、私も「友達」のような「相棒」のような「恋人」のような自転車が欲しい。

自分のエネルギーと一体になった「友達」と遠くまで出かけて、素敵な景色が見られたら、どんなに楽しいだろう。

そう思ってからは早かった。

自転車屋でバイトをしている先輩の店に行き、おすすめの自転車を聞いた。

クロスバイクってすごく高いイメージばかり抱いていたけれど、案外そうでないものもたくさんあった。

そこで私はこの綺麗なミントグリーンの自転車を選んだ。

なんとなく、この自転車となら、私の住む町の自然と溶け込んでいけそうな気がしたから。

それから私はこの自転車と色々な場所へ行った。

美味しい定食屋を探してはこの自転車にまたがり、綺麗な景色を見ては一緒に写真を撮った。

行くのが億劫な場所でも、それまでこの自転車と味わう爽快感を想像すればなんとか頑張ることができた。

いつかはこの「友達」と帰省まではいかなくても、もっともっと遠くに出かけてみたい気もする。

だから。

彼は絶対に飛ばされちゃいけないもの。
絶対に壊れちゃいけないもの。

いつもありがとう。

これからもわたしを素敵なところへ連れてってね。



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