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瓶に詰めておく

 あー、今日も死にたい。(通常運転) なんでこうなのかなぁ。バカだから、だろうな。

 バカというのは、同じ過ちだとか、無益なことを延々と繰り返すものであるが、子供の頃から「死にたい死にたい」を繰り返しているのが私である。

 それでも死なないのは、自殺では何も解決できないとあきらめているからだ。仏教の教えではこんなことを言う。
「死んだときの心持ちが次の人生を決める」

 正直言ってうんざりするが、脳みそを使って考えてみればこれは、科学的で至極あたりまえのことだ。原因と結果の法則である。間違った努力をして正しい結果が出るはずはない。すべての物事は、ああすればこうなる、ただそれだけだ。
 明るい気持ちで死ねば「明るい人生」が始まるし、暗い気持ちで死ねばまた一から「暗い人生」をスタートさせることになる。つまり自殺は問題の先送りでしかないのだ。いつやるの?今でしょ? うっせぇわ。


 つまり「バカは死んでも治らない」ってこった。バカは生きて治さにゃ。
 生きているうちに幸せになれなければ、幸せな来世(結果)など永遠に来ないのである。不幸なまま、自暴自棄で死んでしまってはいけないのである。

 暗い気持ちで始まる人生は不利だ。貧乏だったり、親ガチャ外れだったり、紛争地域に生まれたり、親族が有名な殺人鬼だったり、あるいはウミガメの赤ちゃんのように、生まれたとたんに捕食者に目玉をえぐられなければならなかったりーー。
 生き延びるだけでも大変なのに、そこから人並みの幸せを手にしようと思ったら、人一倍の努力が必要になる。世の中は厳しい。理不尽だ。不平等だ。なぜ私がこんな目にーー?


 それでも、生まれはどうであれ生き方は自由だ。「生まれ」と「人生」は別物なのだ。生まれたときより不幸になるか幸福になるかは自分次第である。ましてや私の人生など今さら「ダメもと」ではないか。好きにやろう。「死にたがり」にも生きる権利はある。私なりの人生がある。世界でいちばん小さな、ほんの砂粒ほどでいいから、幸せを今日中に見つけよう。何かあるはずだ。毎日、それを拾っていこう。それを瓶に詰めておいて、いつか誰かに見せてあげよう。覚悟しとけよ。うふふ。


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