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不幸ビジネス

 今朝はサッカー場の真ん中でカラスの群れが戦争をしていた。はじめは2羽の小競り合いのようだったが、あっという間に両スタンドからものすごい数の加勢がなだれ込んできて、殴る蹴る踏んづける、引っ張る伸ばすで、すっかりもみくちゃ団子になっていた。フーリガンか。


 なぜ生き物は戦争をするのか。
ーーずばり、儲けるからである。

「でしょうね、独裁者や大統領やテロリストは儲かるんでしょ?」というおとぎ話ではない。我々が儲かるのである。


 例えばコロナの助成金でボロ儲けした飲食店もある。もともと商売がさっぱり成り立たず、廃業寸前だった店だ。開店休業状態だった彼らにとって、コロナウイルスは救世主である。政府の要請に従って店を閉め、働かずして月100万円を受け取っているという店主が「ありがたい、ありがたい」とテレビのインタビューに答えていた。(もちろん音声も顔もモザイク処理で)
 コロナ禍では助成金詐欺もかなり横行しただろうが、この場合は詐欺ではない。政策に応じた彼らのまったくもって合法の取り分である。(公平ではないが)

 私が子供の頃からずっと通っていたラーメン屋のおじちゃん(友人の父親)が、3.11の後でついに首を吊った。
 おじちゃんが遺体で発見される少し前そのラーメン屋では、他県から被災地の慰問に訪れた無名のバンドマン達が目撃されている。
「他人のピンチはオレらのチャンス!yeah!」
 そう言って乾杯していたそうだ。

 プーチンがどうとか、北朝鮮がどうとか、毎日のように専門家が語るが、問題は彼らが語らないその裏側にある。彼らは情勢が不安定であればあるほど儲けるのであって、世界平和が実現してしまったら食いっぱぐれてしまう。
 戦争が終わらないのはプーチンのせいではない。プーチンもそのうち寿命が来るだろうし、キムジョンウンも太りすぎだから早々に死ぬだろう。彼らが死ねば平和になる、なんて考える人はひとりもいないはずだ。首を付け替えるだけである。戦争の原因は彼らではない。

 暴走する高齢ドライバーに幼児がひき殺されたとなると、決まって献花台へ出向いてテレビのインタビューを受ける人がいる。「かわいそう! 絶対に許さない!」などと涙を流して怒りを表明するが、交通事故で犠牲になるのは圧倒的に老人が多いのだ。毎日どこかで老人がひき殺されているわけだが、誰も気にしない。つまり彼らは「幼児の不幸」を利用しているのである。自分の善人アピールのために、虚栄心を満たすために、日々の退屈や鬱憤を晴らすために、幼児が犠牲になるのを心待ちにしているのだ。さぞかし誇らしい気分で献花台へと手を合わせることだろう。


 このように、戦争や災害やいわば不幸の裏には、悪意があろうとなかろうと、儲けが発生する。我々は、人殺しや不幸が好きなのではない。「利益」が好きなのだ。利用したいのだ。得をしたいのだ。いい思いをしたいのだ。気持ち良くなりたいのだ。自分の欲を叶えるためなら、戦争も災害も人殺しも大歓迎なのだ。もはや戦争も災害も、我々の経済活動、文化活動の一部なのである。この「不幸ビジネス」から手を引ける者がどれだけいるだろうーー。

 宮沢賢治は「世界が全体、幸福にならないうちは、自身の幸福はありえない」と言った。
 これは宇宙全体に目を向けたものであるが、分かりやすく人間の世界だけで言っても、つまりは79億9999万9999人が幸せになった後で、80億人目でようやく自分が幸せになれるという思想である。これが世界平和への道である。程遠いと思うだろうか? なんのことはない「お先にどうぞ」の精神ではないか。まったく。


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