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ブルーインパルスで九州新幹線のCMを思い出した

 ブルーインパルスが東京上空を飛んだ。
 新型コロナウイルス感染者の治療にあたる医療従事者の皆さんへの感謝を表す飛行だったそうです。SNSに動画がいっぱい上がってました。空と飛行機だけの画より、建物込みの構図が好みです。見上げたビルの隙間を真っ直ぐ飛んできて、ほぼ真上を通過する(そのとき画面がくるっと回る)という動画がいちばんかっこ良かった。
 なんて具合に好意的に受け取った派ですが、そうじゃない見方もあるのだと後になって知りました。言われてみればな指摘も多々あって、それら黒い思惑の可能性に考えが及ばない不明を恥じつつ、だからといって感動している世間に対して危機感を覚えるまでには至ってません、今のところ。この一件の是非については引き続き考えてゆくつもりではいるのだけど、今回書きたいのはそういうことではありません。
 このnoteは、思い出したことを書く日記です。

 たとえばラグビー日本代表のジャイアントキリングとか、映画『ボヘミアン・ラプソディ』(というかライブエイド)でのコール&レスポンスとかを観ると、巨大な何かが胸の奥までなだれ込み、普段は底のほうに沈殿している感情が外へ押し出されて泣きそうになります。大勢の人が同時に同じものを見つめて熱狂している。そういう状況に、いつもぐっと来るのです。
 でも今回のブルーインパルスにはそれがありませんでした。あと一歩、物足りなかった。なぜだろう。
 ぐっと来る映像とブルーインパルスの動画の違いは何か。

 同じ場所に集まっているか否か、でしょうか。例に挙げた2つは数万人の観客が目の前のフィールド/ステージに注目しているという状況だったけれど、今回は分散しています。
 でも、一所に集結していなくても、大勢の人が同時に何かを見守る様だけで同じような感情にはなります。映画『スラムドッグ$ミリオネア』の終盤でインド中の人たちが主人公の挑戦をテレビ画面を通して応援してるという描写も、かなり琴線に触れたし。

 注目される側の顔が見えるか見えないか、でしょうか。リーチ マイケルもフレディもジャマールも顔が見えたけど、パイロットの顔は分かりません。
 でも、注目される側の顔が見えなくてもボロ泣きしちゃった映像がありました。九州新幹線全線開業のCMです。鹿児島から博多まで縦断する新幹線に向かって沢山の人たちが手を振る映像。観客だけを延々と映しているだけなのに、泣けちゃう。これを観たのは2011年の震災直後で、ポジティブな振る舞いや笑顔に飢えていたというのもあったかもしれません。人生で一番泣いた映像かも。未見の方にはぜひ観てほしい。

(正規の動画として上がってるのは、当時観たのと違う特別編集バージョンでした。CMバージョンのほうも見つけたけど、たぶん違法アップロードなのでリンクは貼りません)

 で、改めて観てみて分かりました。私が見たかったのは、注目されてる人ではなくて、注目している人たちの顔なんだ。SNSに上がったブルーインパルスの動画には撮影者が映ってないから、物足りなかったのです(「すごーい」とか声が入ってる動画のほうが好きです、そういえば)。
 大勢の人が同時に同じものを見つめて熱狂しているという「状況」にぐっと来ていたのではなく、観客も含めた「光景」に心動かされていたのです。なぜそういう光景に惹かれるのかは引き続き考えるとして(考えることばかりの人生だ)、とりあえずこれは発見でした。
 そうと分かったら早速、空を見上げる人々込みのブルーインパルス動画を探すとします。それでもぐっと来なかったとしたら、たぶん私の中で、この一件の是非の非が大きくなったということでしょう。はてさて。

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