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読書メモ『思考の教室』

まず、キミのアタマは、そもそも「よく考える」ことにあまり向いていない。私のアタマもそうだ。私たちはナチュラル・ボーン・アホである。にもかかわらず、科学は三つの手段を備えることで、人が生まれながらにしてもっているアホさかげんを乗り越えてきた。だったら、もっと「じょうずに考える」ことができるようになりたい、とキミが思うなら、科学のやりかた(アホ乗り越えメカニズム)の真似をして、それを取り入れればよい。このことは、科学者になるかならないかとは関係なく、キミの役に立つはずだ。
(第6章より 太字も原文ママ)

俺たちは重要なものを雰囲気でやっている

論理的思考は、人間にとって屈指の重要スキルといっていいだろう。しかし、これを習得できるよう体系的に指導してもらったという人はほとんどいないのではないだろうか。

自分は理系の博士である。当然、論理的思考を求められてきたが、体系的な指導を受けた経験はない。論文の書き方を学ぶ過程で断片的に学び、なんとなくこなしているという感じだ(所属ゼミが悪かったか)。

これほど重要なスキルについて、まともな習得機会が保証されていないのは、考えてみれば大問題なのでは。そんなことを考えながら本をあさっていたら、最高の指南書に出合ってしまった。少し力を入れて紹介してみたい。

戸田山和久『思考の教室』

著者の戸田山和久教授は、科学哲学の研究者である。大学生に対して科学的文章の書き方や科学的思考を伝えるための書籍を多数執筆している。文章がユーモラスでわかりやすいこともあり、高い評価を得ている。

そんな著者が、論理的思考を獲得する際の助けとなるよう、気合を入れて執筆したのが本書、『思考の教室』である。本書の大まかな流れについて、文章の引用をつないでいくことで紹介してみたい。

論理的思考の定義

「論理的に考える・書く・話す」とは、つねに自分の思考・主張にサポートを与えることに気を配りながら、思考や文をつなげていくことである。

疑似論理的思考

ヤッカイなのは、いっけん論理的に見えてほんとうのところは論理的ではない思考や議論だ。つまり、主張や結論にサポートを与えているように見えるが、その「サポート」がぜんぜんサポートになっていないというケース。これは、気をつけないと見逃してしまう。

そもそも人間は論理的思考が苦手(進化のメカニズム的に)

なんで私たちの心はこんなバイアスをもっているのだろう。答えは、私たちの心も進化の産物だから、というものだ。<中略>正確さや厳密さばかりを求めてコストをかけすぎるのは、生き残るうえで有利な戦略とはかぎらない。厳密さや正確さをちょっとばかり犠牲にしても、情報処理コストを節約して、状況に素早く対応するほうがよいときもある。

科学には論理的思考を実践するための手段がある
(引用ではなく、端的に整理する。)

①言葉という武器を強化する(語彙を増やす)
②紙とペンという強力な思考拡張装置を利用する
③みんなで/他者といっしょに考える(文章術、クリティカル・リーディング、議論術)
④みんなで考えるための仕組みを活用する(寛容の原理、悪魔の代理人、強いリーダーの一時退場)


さて、概略を抑えたところで、個人的に重要と思ったポイントをいくつか解説していきたい。

ポイント①重要スキルの体系的習得

まず、【文章術、クリティカル・リーディング、議論術】の解説がとても分かりやすかったことを書き留めておきたい。というのも、論理的思考の「主張があり、サポートする根拠を添えている」という定義に沿って、全てを扱っているためである。

文章を書く際には「何が主張であり、その主張をどのような根拠で支えているか」という構造が伝わるように書く必要がある。

クリティカル・リーディングを行うには、他者の文章に対し「主張は何か、その主張を指示する根拠は何か」を抽出することを意識して読む。

議論を行う際には、「主張と根拠を明確に示し、その根拠で主張を本当に指示できているか、より良く支持できる根拠はないか、あるいは主張が成り立たなくなるような反例が無いかなどを協力的に吟味する」ことでより良い結論に近づいていく。

このように共通の構造が明確に抑えられていたため、速やかに理解できたように思える。

加えて、全編を通じて練習問題が豊富に掲載されており、その回答・解説も充実していた。インプットとアウトプットのバランスを取りながら読み進めていくことができ、合理的だった。

ポイント②疑似論理的思考の解説が面白い

論理的思考を行うにあたり、人間がやってしまいがちなミスに自覚的になることもまた重要である。本書ではこれらを6つにわけて、具体的に解説している。

・同語反復
・対人論法
・わら人形論法
・論点のすり替え(燻製ニシン)
・ジレンマ(強いられた二者択一)
・滑りやすい坂(雪だるま)

(本記事では箇条書きにとどめるが、別記事にまとめておく。)

ポイント③集団思考の怖さについての解説が面白い

本書の終盤では、「みんなで考える」ことの意義を強調し、その手段を提示する。ここで興味深いのが、的確な手段を用いずに「みんなで考える」を実践すると何が起きるかを解説していることだ。

何しろ、人間は本質的に論理的思考が苦手である。そんな人間が、論理的思考を行うための枠組みを用いることなく、集まって考えてしまった場合、バイアスのかかった思考を相互に補強しあうような現象が生じてしまう。

その帰結として、以下のようなことが起こることが指摘されている。

(1)自分たちの正しさを疑わなくなる傾向
(2)オレたち負けないもんね幻想
こんだけ仲間がいるんだからぜったい大丈夫だ、失敗なんかしない、と楽観的な見通しをもってしまう。
(3)ステレオタイプ化
自分と意見の異なるグループや敵対する相手を、「軽蔑すべき邪悪な愚か者」という型にはめて見るようになる。
(4)自己検閲
みんなの意見を察知して、それに自分の意見をあわせようとする。よく言われる「空気を読む」ってヤツ。
(5)全会一致の幻想
「みんなの意見」と異なる考えをもっていても、自己検閲により誰もそれを言わないで黙っている。そうすると多数派に賛成したことになってしまい、みんな同じ意見だった、全員が賛成したということになる。
(6)心をガードする傾向
自分たちの意見や決定に反する意見や不利な証拠に心を閉ざして、なかったことにする。

個人的に、この集団思考の話が一番面白かった。実例が次々と脳内に浮かんでこないだろうか。

陰謀論にハマってしまう人達とか、リスキーな組体操を辞められない学校現場とか、モロに集団思考から来ていないだろうか。

インターネットは、傾向の近い人たち同士が集まり、親密な輪を形成できるような仕組みが確立しつつある。その結果、同質性の高い意見に囲まれて日々を過ごすことになる。これも人々を集団思考へと導いているだろう。

ポイント④論理的思考を習得する意義

本書は基本的には論理的思考を習得するための教科書として書かれている。そのため、論理的思考のスキルアップに多くの記述が割かれている。

加えて、本書では論理的思考を習得することの意義も明快に書かれている。個人的には、それがとてもよかった。学ぶことの意義をできるだけ明快な言葉で表現できるようになりたいと、常々思っているからかもしれない。

終章で、論理的思考を習得する意義がいくつかの観点から説明される。

一つ目の観点は、個人の人生において、不幸を遠ざけるうえでも、幸福を手繰り寄せるうえでも論理的思考が重要であることだ。例えば希望的観測で行動して失敗をしてしまわないためにも、論理的思考は必要だろう。

二つ目の観点として、真理を探究するときに必須であることだ。科学の発展においては論理的思考が必須なのは言うまでもない。加えて、個々人のレベルでも、世界の実態を可能な限り正しく把握する上で、論理的思考は重要である。

三つ目の観点として、「みんなのことをみんなで議論してきめる」際に必要であることだ。夫婦間の相談事から地域の自治会、あるいは国際レベルでの調整まで含まれる。もちろん、民主主義政治もこれに含まれる。そう、論理的思考は民主主義を機能させるうえでも必須なのだ。

特に三つ目の観点がホットだった。著者は現代の政治家にたいして辛辣だ。

この人たちは、あまり論理的思考や論理的議論が得意ではないように見える。というよりも、それをする気があるのかが疑わしい。だから困っちゃう。

辛辣すぎて笑ってしまうが、残念ながら心当たりは大量にある。

あとがきによると、著者は本書を「追い詰められた気分で書いた」という。その理由について、ややボカした記述をしているが、民主主義の危機を感じていることがもとになっているようだ。

だからこそ、未来を担う若者に対し、論理的思考の重要性を説き、ノウハウを伝えようとして、本書ができたというわけだ。

まさしく、そのような危機というのは、ここ一年で何度も感じたところである。本書が著者の望みどおりに機能することを願っている。



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