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英語から逃げてきた私が逃げきれなかった話

そう。結局永住ビザは疎か、ワークビザも取れない結果となり、観光ビザも再延長は難しく、いよいよ猶予がなくなりました。前にも書いた通り、私はとにかく帰国したかった。何もかもなくして、今後の生活の見通しが立たないのに、これはもう苦労しか待ってないじゃん。子ども時代からずーっと親のせいでお金に難儀してきた私は、とにかくそういう環境から脱出したくて一生懸命働いてきたの。なのに、またそんな生活!?この頃の精神状態は最悪でした。夫は「帰らない」の一点張りで、それによる喧嘩もしばしば。正直、離婚の二文字も現実味を帯びてました。多分私だけかもだけど。

でもね。本当に観光ビザの期限が迫ってきて冷静に考えてみると、ウチにはカワイイ犬が居るわけです。彼がここにやってくるのに半年の準備が必要でした。日本に帰るとなると、また長期スケジュールでいかないといけないわけで、到底ビザが切れるまでに間に合わない。まさか置いていく選択肢はナッシング。もう諦めて語学学校からの大学院コースを決めました。こうやって思い返してみると、犬がいなかったら、人間だけだったら、私は離婚して子ども連れて帰国してたかもしれないのね。感慨深いわ。

さて、タイトルの事なのですが。私は20代最後の年に同じ場所にワーホリに来ていました。その時はとにかく親との生活を終わりにしたくて、せっかく入った上場会社も辞めて逃げ出してきたわけです。でも、来てから思い出した。私、英語嫌いだったんだ。国語は大好きだったけど。国語得意な人は英語もできるという謎の言葉を投げかけてくる人多数だったけど、とにかく単語が覚えられなくて。更に、異国の人と何の話をしたら良いのかも全く分からず、私のワーホリ時代は外国での引きこもり生活で幕を閉じました。

ワーホリから帰国して、とにかく働きたかった私はすぐに就活を始めました。何度も言うけど、私は英語が嫌いで日本語が好き。ワーホリ前に勤めていた会社も当然日本企業。それ以外の選択肢は頭になし。なのに、派遣会社も転職エージェントも持ってくる案件は全て外資系。「英語使いませんよ。日本人しかいませんし。」という言葉に騙されて面接に行くと、「英語で自己紹介してみて。」なんて言われて脇汗かいたりしました。外国に住んだからって英語できるようにならないよ!しかも引きこもってたのよ!って言いたかったけど言えるわけないよね。早く日本企業紹介してーって思ってました。それなのに、受かっちゃったんですよ。外資系企業。

確かにその会社、日本人しかいなかった。なんなら、外資系なのにほとんどの人が英語アレルギー持ち。そんな中、私は”とっても英語ができる人”みたいな触れ込みになっていて、英語の電話がかかってくると全部私に回ってくるような雰囲気になり、毎日がサバイバル。そして役員と香港出張にも連れて行かれる。本当に泣きたくなるような日々でした。最終的にストレスの連続で胃痛が治らなくなり転職しました。

今の時代は分からないけど、その時は一度外資に行った人材はもう日本企業への就職は不可能。というわけで、次も外資。ここは逆にみんな英語ができて、私一人できない。上司も外国人。だから会議も英語。私はできない。辛すぎてまた逃げ出す結果に。

次の外資は良い塩梅で、渡豪直前まで働きました。でもだんだん英語できる人が増えてきて、これはまずい。。的な雰囲気に。リストラなんかも微妙に進められていたから、自ら辞めていなかったらクビだったかも。

書いてみると明白だわ。英語から華麗に逃げ続けている私。そんな私を見て神々がお怒りになったのか、結局ここでまた英語に揉まれなくてはならなくなった訳です。いやね、本当にどの神様も(今のところ)特別に信仰していないけど、怒られてる又は遊ばれてるに違いないと思うほど英語への道に進まされている。なんなの、この苦行。

いよいよ語学学校入学の話はまた次回。

こんな私のただの経験談、読んでいただきありがとうございます〜。

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