やまぱん

オーストラリアで右往左往した結果、会計修士を取りました。 本当は永住したかったけど、な…

やまぱん

オーストラリアで右往左往した結果、会計修士を取りました。 本当は永住したかったけど、なかなか運とタイミングに恵まれずにこの度本帰国。 しばらくは子どもの中学帰国子女受験の伴走します。

最近の記事

2025中学帰国枠受験 情報収集①

学校見学とか説明会とか 〜洗足学園編〜備忘録としてクイックレビューです。 この間、洗足学園中学校の授業見学会に行ってきました。 小学生の子に資料やパンフレットだけで学校選択させるのは無理があるし、親としても雰囲気を見てみないと判断は難しい。 受験するかしないかは別として、学校のコンセプト、評判、校風、大学合格実績、通学時間などを下調べして、一発目に申し込んでみたのが洗足学園でした。 ただの説明会ではなくて授業が見られるというのも、子どもにとっては少し楽しいかなと思って。

    • オーストラリアの小学校への感想

      我が家が日本からオーストラリアに引っ越してきたのは2016年末だから、もう6年半も経つことになります。改めて考えてみると時の流れの速さを感じます。子どもが小学校に入学したのはプレプライマリー、いわゆる年長さんの歳からでした。 学校教育のシステム オーストラリアも日本と同様、小学校から義務教育が始まります。でも、年長さんの歳から開始となるので、実質7年間は小学校に通うことになります。そして義務教育の終わりは高校1年生の歳です。日本の義務教育は9年に対してオーストラリアのそれ

      • ELBコースの内容とは

        English Language Bridging だったかな。略してELB。 このコースは大学とか大学院進学を目指してるけどちょっと英語力足りないよねって人たちが通います。 確かIELTSのスコアが5.5だと17週間で、6.0だと10週間。大学の必要スコアが6.0以上で大学院が6.5以上だったと記憶してます。学部や専攻によって必要なスコアは変わってきて、私は会計修士だったので6.5が必要な中、どんだけ頑張っても6.0しか取れなくてELBは必須だったわけです。 私が通っていた

        • 肛門腺の摘出手術しました

          肛門膿炎診断まで 自分への備忘録も兼ねて。 肛門線の病気って全然頭になかったので、今回初めて色々ググったりして、この8ヶ月ほどは結構疲労困憊でした。 うちのパピヨンは、今14歳半くらいです。 9歳の時にオーストラリアに連れてきました。 これまで5回の手術はあれど、内臓の病気はなくてなかなか丈夫な子です。 最初の手術は去勢。超痛がりでキュンキュン言いながら立ち寝してた思い出。次はパテラ。金属入れてもらったけど、もう外れてる模様。でも痛がらないのでそのまま関節サプリを飲ませてま

        2025中学帰国枠受験 情報収集①

          ELBコースで再び英語学習した話

          さて。ビザを切らさないために行った語学学校は無事(?)終了。この後しばしのホリデーを使って日本へ一時帰国して美味しいものを堪能。大好きな友達とも会えてハッピー。日本語最高!となりましたが時は無情にも過ぎ、あっという間にオーストラリアへ戻ってきました。 次に待ち受けているのはELBコース。English Language Bridging courseという、大学併設の語学コースです。ここのクラスをパスすると晴れて希望の大学や大学院のコースに入れるわけです。いや、そもそもIE

          ELBコースで再び英語学習した話

          キラキラ語学学校生活にはならなかった話

          私が入った語学学校は、週4日は8:00〜16:00まで、1日は8:00〜12:00までというスケジュールでした。先生は二人。メインが週4でもう一人は午前中授業でIELTS対策をしてくれる先生でした。クラスメイトは20名弱いたけど、アルバイトをしている人がとても多かったのは、ちょっとの遅刻や早退は見逃してくれる校風だったからなのかな。 ここの語学学校は上に専門学校が併設されていて、そこに進む人たちも一定数いたけど、私みたいにビザ取得の関係で通っている人もあり。台湾とかタイ、イ

          キラキラ語学学校生活にはならなかった話

          語学学校の決め方と初日の話

          こんにちは。ここからはやっと私がここオーストラリアで辿ってきた(地獄の)英語の生活を綴っていこうかな。 ビザが取れなくてもがいた挙句、まあ最初に行くのは語学学校ですね。学生ビザというやつです。ビザ申請にも結構お金かかるし(しかも家族3人分)、学費にもお金かかるし、語学学校の後は2年間の大学院という道ができてしまったので、本当にお金の計算は何度もしました。何度も何度も。 結果的にはなんとか暮らせてるのですが、こういう突発的な事情で大金が必要になると精神衛生上、非常によくない

          語学学校の決め方と初日の話

          英語から逃げてきた私が逃げきれなかった話

          そう。結局永住ビザは疎か、ワークビザも取れない結果となり、観光ビザも再延長は難しく、いよいよ猶予がなくなりました。前にも書いた通り、私はとにかく帰国したかった。何もかもなくして、今後の生活の見通しが立たないのに、これはもう苦労しか待ってないじゃん。子ども時代からずーっと親のせいでお金に難儀してきた私は、とにかくそういう環境から脱出したくて一生懸命働いてきたの。なのに、またそんな生活!?この頃の精神状態は最悪でした。夫は「帰らない」の一点張りで、それによる喧嘩もしばしば。正直、

          英語から逃げてきた私が逃げきれなかった話

          オーストラリアへの船出は思ってもみない結果になる

          さて。月日を遡って2016年12月。2週間の検疫を考えて(大号泣してから)犬を先に送り出し、人間3人は観光ビザを持ってオーストラリアへ旅立つ事になったのであります。契約を交わした会社(A社)からは、私たちのビジネスビザを申請準備中との話を聞いていました。私に英語力のセンスがあって、いや、違うな、英語に対して最大限の努力が向けられてIELTSの点数がクリアできてたら、すぐに永住権の申請ができたのに。それでもビジネスビザが切れる2年後には永住権という目処が立っている。だから大丈夫

          オーストラリアへの船出は思ってもみない結果になる

          オーストラリアで予定は未定

          2016年12月12日、オーストラリアにやって来ました。 家族で。夫と娘と小型犬で。 それまで私は会社員をしていて、娘を産んだら産休を取り、育児休暇を取り、復職する人の多くがそうするように保育園に預けて時短勤務で働いていました。 程なくして、上司が新しい人になり、私よりも少しだけ年下だったけれども、とても頼りになるタイプで、私は仕事を楽しんでいました。仕事は多忙を極めて、しばしば延長保育を頼まざるを得ねかったけれど、本当に復職して良かったと思っていました。 でね。ある

          オーストラリアで予定は未定