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オーストラリアで予定は未定

2016年12月12日、オーストラリアにやって来ました。

家族で。夫と娘と小型犬で。

それまで私は会社員をしていて、娘を産んだら産休を取り、育児休暇を取り、復職する人の多くがそうするように保育園に預けて時短勤務で働いていました。

程なくして、上司が新しい人になり、私よりも少しだけ年下だったけれども、とても頼りになるタイプで、私は仕事を楽しんでいました。仕事は多忙を極めて、しばしば延長保育を頼まざるを得ねかったけれど、本当に復職して良かったと思っていました。

でね。ある日、夫が言ったんです。

子どもを育てるならオーストラリアが良いと思うんだ。昔、オーストラリアに行った時から思ってた。やまぱんだって、もう少し仕事のために勉強したいって言ってたじゃない?

いや、確かにね。海外の大学院に行けたらかっこいいよね!くらいのテンションで話した記憶はある。でも、今は仕事楽しいし・・・。

なのに

うん。そうだね。

って言ってしまったんですよね。なぜでしょうね。これはもう、神々が我々をチェスの駒として動かしたとしか思えない出来事でした。なんの信仰心もないけれど。

それからはもう、いつ辞めるっていうのか、いつ渡豪するのか、犬はどうやって運ぶのか、買ったばかりの家はどうするのか。それはそれは怒涛の日々でした。

新しい物事に進む、新しいドアを開ける。とても怖くて私はなかなか上司に言えず。しかも仕事楽しいんですよ。言いたくない。もっとよく考えたい。しかも英語アレルギーの私がオーストラリアの大学院に行くなんてやっぱり無理。なんとか難を逃れる方法はないものか。なんとか夫に諦めてもらえないか。もしくは駐在の可能性がある会社に転職してくれないか・・。仮に私が大学院に行ったとして、夫は一体何をするのか。忙しさも相まって、色々巡ってはイライラしてました。

そしたらある日、既存のビジネスを買収することで永住権を獲得できるかも!という情報に辿り着いたんです。

お金はかかるけど、かき集めればなんとかなるかな、暫くは従業員としてハードに働く実績を作らないといけないけど、期限付きだしなんとかなるかな、しかも永住権もらえたら心配事は半分以上減る。仕事だってそのまま受け継ぐからお金の心配もない。私だって、無理して学生にならなくて良いじゃない!

という訳で、私たちは知り合いの伝でビジネスを紹介してもらい契約書を結びました。そしてそれから間も無く、私は上司に退職のお話しをしました。年末の休み期間に私たちのチームだけ出社していて、仕事中にふと二人になったのでその時に。話はまた年明けにし直すという形でしたが、私の中で勇気を振り絞って区切りをつけた日でした。

夫は一人で渡豪して下見をし、住むエリアを大体決め、犬の検査もスケジュール通りにこなし、私は永住権の必要条件にあるスコアを取るためにIELTSの勉強をし。

英語のセンスがなさすぎて、結局希望したスコアは取れなかったのですが最低限はクリアしていたのと、他の準備が整ったので、それを持って渡豪することに決めました。

それから3年半以上経ちますが、私たちは卒業生ビザで滞在しています。

なんなんだろうな?永住ビザどこいっちゃったのかな?余りにも過酷な日々だったので、少しでも覚えている事を、せめて備忘録としてnoteに書いてみようかなと思った次第。だいぶ大人になってからの人生の冒険に興味がある人にも参考になるかな。そんな人いるのかな。

娘が大きくなった時、これを読んで何を思うんだろうか。



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