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シン・ウルトラマンをリアルタイム世代ではない2世代で鑑賞した雑感

ようこそ、お越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

庵野秀明監督といえばエヴァンゲリオンで有名だろう。当時、一斉を風靡したアニメ作品を生み出したのは誰でもない庵野秀明だ。足かけ20年以上の時間を経て、2021年に”完結”ではなく”卒業させてくれた”ことに安堵したのはぼくだけではないはずだ。
鑑賞直後の感想

ぼくは映画館で映画を鑑賞することがスキなのであるが、その根本はあらゆるエンタメに向けて興味と関心を抱くことができるためだ。いや、ごめんなさい。さすがにベタベタな恋愛話みたいなものは対象外になってしまうのを失念していた...。

なぜに好き好んで他人の欲情を物語調にされてまで閲覧しなければならないのか。

それはさておき庵野秀明はここ数年、明らかに「自らの制作したい作品」を生み出すことを許容されている数少ない制作人である。特にシンと呼称される映画作品を作り出すようになってからは明らかにその傾向が強くなっているようにも思える。

まるで、商業作品をつくる上での忖度や配慮などといった制作側からすると「どうでもいいこと」に抑圧されてきたうっぷんを晴らすかのごとく、自らの意志と意欲を表明するかのごとく作品を「シン」と呼称して制作し始めているかのようだ。

そんな「シン」シリーズの第3幕として2022/05/13から公開された『シン・ウルトラマン』を特撮モノが大好きな子どもたち三名を引き連れて鑑賞してきた雑感を書く。

▶︎ 総じてシン・ゴジラほどに震えなかったが満足

総じて大いに満足をさせてもらった。

鑑賞体験として、ぼくとしては腹落ち感を抱くに至ったし、『シン・シリーズ』に共通してみられる過去作品や過去に自分が携わった作品たちへのリスペクト敬意を評したオマージュなどが所々みられたし、特に音楽にに関してはじょばんから中盤、中盤から終盤にかけての変遷などは明らかにそれだと感じられた。

何より、主演の斎藤工がすばらしい演技によって余談を挟む余地を完全に遮断してくれる。

ウルトラマンは人間との融合を果たしてしまったわけだが、その外星人と融合してしまった人をやりきっていることもあり、ウルトラマンとして登場しているはずなのに斎藤工に見えてしまうほどの演技力を見せてくれた。

また、山本耕史が扮するメフィラス星人もすばらしかった。文化を楽しみ、味わい尽くすことによって相手の懐に入り込もうとするメフィラス星人の強かさを表情や仕草も含めて納得感しかない演技を展開してくれていた。

特に、ウルトラマン(斎藤工)との居酒屋での談話するシーンがあるのだが、ここは双方の演技がバチバチと音を立ててぶつかり合っているような見ごたえのあるシーンであるため、ここを見るためだけに鑑賞してもらいたいと思えるほどだ。

庵野秀明の風味がこれまでのシン・ゴジラやシン・エヴァンゲリオンと比較すると落ち着いてしまっていた印象である。これは邪推ではあるが、シン・ゴジラ以後、シン・エヴァンゲリオンとシン・仮面ライダーの制作に入っていたため、大して撮影現場に足を踏み入れるまでには至らなかったのではないかとみている。

繰り返すが、総じて満足であることに何ら変わりはない。

▷ 安全保障や原子力に関する課題感を描く脚本の味わい

物語の展開は、これまでの初代ウルトラマンで展開されたものの中で、生活インフラである電力にはじまり、それを生成するための電力源として保有している原子力発電と核保有問題、それに諸外国との関係を踏まえて展開される安全保障問題などをベースラインにしている。

それらが斎藤工ことウルトラマンが着陸するところからはじまり、周りを取り巻くキャラクターたちの瑞々しいやりとりから一気に展開していくわけだが、中でも上記している通りメフィラス星人と日本国政府との密約を諸外国からの圧力を含めて描かれている部分では、ついにやけてしまった。

シン・ゴジラの際にも未確認生物が日本に向けて来襲してきた、まさに有事の際に日本国としてとれる政策や判断のもととなる長ったらしいものの結論が見えづらいカイギの様子などがありありと描かれており、その点をぼくとしては大いに味わい深く鑑賞させてもらった記憶がある。

そんな日本の実情・リアリティ部分を大事にしながら、どちらかというとフィクション寄りに制作されているからこそ、政権与党や政治家たちの奮闘する様子も受け止めることができた。

これがフィクションに寄り切ってしまうと「味方なはずなのに敵にみえる」キャラクターたちの魅力がまったく引き立たなくなりかねない。

その点を踏まえても脚本を手掛けた庵野秀明が考える、まさにシンシリーズらしさが盛り込まれているといえる作品である。

▷ 絵コンテを描くのが難しそうなカメラワークだが...

撮影が難しそうなアングルや際どい描写を絶妙な職人仕事でやりきっているカメラワークには感嘆とした。

これはシン・ゴジラを鑑賞した際にも大いに感嘆とした部分でもあるのだが、庵野秀明の『シン』シリーズにおける真骨頂はカメラワークであるともいえる。

特にシン・ゴジラでは無駄に冗長な時間を費やしているように感じられるカイギ場面を巧みなカメラワークと編集によってカバーするどころか、映像に向けてドンドンと引き込まれていくことを実感していった程だ。

セリフ回しとカット割りは単体ではなく、脚本や展開なども踏まえつつ描かれるものだからこそ、描くのが大変そうな絵コンテから職人技がバシバシと感じられるものになっていた。

アニメや特撮モノだからといってカメラワークがいい加減になっている作品などないわけだが、実写だからとかアニメだとか関係なく、カメラワークを気にしてみると非常に映画の見え方が一段を深く見えると、ぼくは考えているため今後映画を鑑賞する際の参考にしてもらいたい。

ただ、一点だけ付け加えるとするならば、シン・ゴジラの映画館や視聴する画面から溢れんばかりの躍動感が描かれているカメラワークから比較すると、今回のシン・ウルトラマンは見劣りしてしまった、というのが率直な感想である。

シン・エヴァンゲリオン内でも「そんな細かいところまで拘るのか、庵野秀明!」みたいな場面がふんだんに盛り込まれていたものの、今回のシン・ウルトラマンでは引っ掛かりをあえて少なくしているような印象を受けた。

この引っ掛かりが少ないというのを言語化できていない時点でド素人であることが存分に露呈するのだが、このカメラワークの部分で少し評価点を下げることになったというのがぼくの感想だ。

▷ 子どもたちの感想はマチマチ

リアルタイムでウルトラマンを視聴していた世代でもなんでもないぼくと、キラキラしたかっこいい感じのウルトラマンや仮面ライダーといった特撮モノを堪能している子どもたちとで鑑賞した今回の「シン・ウルトラマン」。

彼らの感想はそれぞれ以下のようになった。
満足:長男くん(8歳)、三男くん(4歳)
不満足:次男くん(6歳)

満足派の二名は映画が終わった瞬間、ぼくに顔を向けて「おもしろかったね!」とか「たのしかったー!」と述べてくれた。三男くんに至っては「長かったけどたのしかった!」と、たしかに120分ほどの映画を座りっぱなしで鑑賞する経験が乏しい中でもしっかりと鑑賞できていたのは驚いた。

不満足派である次男くんは、どうも特撮モノがそれほど得意ではないのかとも思ったが、シン・ゴジラを自宅で鑑賞した際には大いに楽しんでいたことから、物語の複雑さやカメラワークなどがどうも彼の琴線に触れなかったのかもしれない。

いずれにしても三男くんは帰宅するなり創作意欲に火がつき、懸命にウルトラマンを描いていたのが印象的であった。その姿を見れただけでも映画館で鑑賞しただけの価値があったように思う。

『シン』シリーズは庵野秀明が力を入れていることが伺える作品であり『シン・仮面ライダー』の映像も期待を存分に高めてくれる内容であったことも踏まえつつ、上映を子どもたちは待ちきれない様子でもあったため大いに楽しみだ。
『シン・仮面ライダー』特報

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

お父さんはウルトラマン
お父さんはウルトラマンを知らなかったので、子どもたちと読みたいと思えた。紹介してくれていることに感謝したい。

僕らが映画館に行く理由は大体6個くらいあって
ぼくは映画館で見ることがスキな側だが、同時に2倍速や1.5倍速で鑑賞できる自宅での鑑賞もスキな派閥だ。シン・エヴァンゲリオンは映画館で卒業式をした気分になったことも含めて映画館で鑑賞できたことは良かったと思っている。

【シン、とは】 映画 「シン・ウルトラマン」
「なんだよ、斎藤工、まじでかっこいいだけじゃん」となったのは秘密である。

▷ 紹介したい関連書籍

シン・ゴジラ
書籍でもなんでもない。映画だ。ぜひ鑑賞してほしい。アマプラなら見放題(2022/05/16時点)だ。

▷ えんどうのTwitterアカウント

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