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僕らが映画館に行く理由は大体6個くらいあって

人はなぜ映画館で映画を観るのか?

冬の間しばらく体調が悪く、あまり映画館に行かなくなっていた。
ほとんどの映画を配信と、ありがたいことに仕事上のお付き合いで頂けるオンライン試写で観ていた。

春になり、体調が少し良くなり、立て続けにスクリーンに通った。

IMAXの画面の襲いかかってくるような圧と轟音にやられた。

手に持ったドリンクの容器が登場人物の怒号で振動した。

「映画館に通う」という体験が体温と共に蘇ってきた。

家を出るときは億劫で辛かったが、来てよかったと思った。

「映画館で観てこその作品です!」問題


私は芸人やYouTuberとして、映画を人に推薦・紹介する仕事をしている。
ついつい頻繁に使ってしまうフレーズがある。

「映画館で体感してこその作品です!ぜひ劇場で!」

これはかなり魔力の強い惹句である。
「テレビ放送やソフト化、配信を待ってからでは面白さが薄れるの?」
「それならちょっと無理してでも映画館に行かなきゃ」
という思考回路への誘導。
確かに心からそう思える作品もある。
しかし、「映画館で体感してこその映画」というのが「良い映画」の必須条件なのかはかなり怪しい。

例えば、『となりのトトロ』は劇場公開時の興行はふるわず、その後もスクリーンでの上映は頻繁には開催されていない。ほとんどの人の『トトロ』の記憶は、レンタルビデオか「金曜ロードショー」のはずだ。レンタルビデオや金曜ロードショーを映画館並みの環境で再生できる人はそういない。

つまり、『トトロ』の鑑賞体験と感動に「映画館」は必須ではない。

もっと言えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『マトリックス』のような多くの人に愛されるアクション大作だって、歴史上の累計鑑賞者のうち、リアルタイムで劇場に足を運べた世代は限られており、多くの人は後追いで自宅のテレビかパソコンの画面で見たはずだ。それでも価値は共有されている。

逆に『アバター』は劇場で体感してこそのスケールの作品だったし、当時の観客満足度も高かったし、興行収入も凄いことになったが、今わざわざ配信やレンタルで『アバター』を観る人はほとんどいない。(好きな人ごめんなさい。私も結構好きな作品だが、当時映画館で観たっきりだ。)

つまり、「面白い映画」だからと言って「映画館で観るべき」とは限らないと言える。

もちろん、『トトロ』が今劇場でかかれば多くの観客が殺到するが、「トトロの魅力はスクリーン越しじゃないとあまり伝わらないのでスクリーンで観よう」という理屈に納得できる人はほとんどいないだろう。
映画館でしか映画を観られなかった昔は、この図式は成立した。やがて「レンタル待ち」という言葉が生まれ、「配信待ち」という言葉が生まれた。

「面白い」だけでは映画館に行かない


「レンタル待ち」世代が節約したいのはお金だった。
もちろん「時間がもったいない」「退屈したくない」という気持ちもあるが、「レンタル待ちでいいか〜」と言う時の一番の関心事はお金であったと思う。「2000円近く払ってつまらない思いはしたくない」という、かなり即物的なわかりやすい基準があった。

それに対して、今の人たちはカルチャー感度の高い低いに関係なく、目と耳と時間を無料のコンテンツに奪われ終わっている。お金も節約したいが、やはり一番の行動基準は「ルーティン的に目に入るものを上回る体験ができる確度」である。

わざわざ映画館に行く時間があるならノーリスクでだらだら無料かサブスクのものを観ていたい。事実、SNS上での映画に関する発話は大手サブスクですぐ観られる映画に独占されている。

テレビとスマホの前から動かなくても押し寄せてくるコンテンツに身を委ねる日々。

「面白い」と噂のものだけでも消化しきれないで後悔が残り、それすらもすぐに忘れる日々。

そんな日常から一歩踏み出して映画館に行ってまで「つまらない」思いをしたいわけがない。令和人が映画館に足を運ぶための1個目のハードルは「限られた可処分時間の中で他のコンテンツ消化時間を押し退けること」だ。

コンテンツのコンテンツに対する闘争

クリエイターや表現者にとってはしんどい時代だが、何もこれは映画に限ったことではない。
個人の発信が組織による発信と並列になった今、
「テレビのライバルはYouTube」とか「映画館のライバルは動画配信サービス」とかは実はかなりズレた認識で、実態は「あらゆるSNSとメディアの間で毎秒ゼロサムゲームの争奪戦が繰り広げられている」ということ。

万コンテンツの万コンテンツに対する闘争。

人間の余暇時間の総量はすぐには変わらない。その中での時間の奪い合いだ。個人の中で一度習慣化した時間割はそう簡単には変わらない。だからこそ毎週同じ時間に放送されるテレビはまだまだ強いし、優秀なYouTuberは同じ時間・曜日に動画投稿する。「映画ファン」を自認する人たちの中でも「毎週金曜に公開される映画を前もってチェックし、次の1週間で行けるタイミングを探る」という生活は普通だ。これもここで言うルーティンに含まれる。

その結果、「"ただ良い"だけでは売れない」傾向もあらゆる表現ジャンルで強まる一方だ。

ただ容姿が良いだけで売れるアイドルはいない。
ただ曲がいいだけで売れるミュージシャンはいない。

トップオブトップの天才は「ただ良いだけ」でストレートに売れているように見えるが、全く同じ規模の才能と作品を携えていながら全く売れていないライバルを見つけるのは今やますます容易になった。つまり、トップオブトップの天才も何かの明確なきっかけの積み重ねで打席に立ち、成果を上げて仕事を取り続けている。

その状態に「映画館」も晒されている、というだけだ。
足を運び続けてもらわないといけない、映画館の維持にかお金がかかる、映画を作るには人数が要る、など他のジャンルに比べてディスアドバンテージは多いかもしれないが、晒されている基本的な闘争状態は他の全表現ジャンルと同じだと言える。

つまり「映画館が滅びる」とか「映画離れ」のような煽り文句は、切実さとしては理解できるが、問題の解像度としてはだいぶ近視眼的な危険な状態である。一部の映画館や映画の興行が危機に晒されているのは局地的な事実に過ぎず、俯瞰的な現状把握からは遠い。事実、映画業界全体の売り上げは、大ヒット作偏重が進んでいるだけで、映画業界そのものが大衆から見放されているわけでは全くない。劇場公開映画の本数もどんどん増えており、劇場映画の豊かさが減っているわけでもない。もちろん映画が娯楽の中心だった1950年代などと比較すれば落ち込んでいるが、90年代以降、いずれの数字も緩やかに増えている。

その上で、映画館のメリット、デメリットを考えると

【映画館で制限されること】

・スマホが見れない
・移動できない
・おしゃべりできない
・途中でやめられない(迷惑だしお金がもったいないので)
・お金がかかる(交通費と前後の食事代も入れると数千円かかる)
・わざわざ行かないといけない(チケットの確保、着替えなどの労力)
・同じ空間に不快な人がいる可能性がある
・映画館の設備が気に食わない可能性がある

【映画館の方がいいこと】

・大きい画面と音響で没入できる
・自分を縛れるので最後まで観れる
・観てない人に「観た」と言える
・自分の日常生活から逃げられる

そして映画を他のメディアと比較した時の長所、短所を挙げてみると

【映画の方がテレビや配信やTwitterやTikTokやYouTubeよりいいこと】

・短尺の動画や短い文章では伝わらない複雑な情報/感情が味わえる
・基本的には大勢のプロが作っているので高級感がある。贅沢な気分に浸れる
・「映画」というパッケージはしばらく普遍なので、未来にも会話のネタになる。
・2時間ほどストーリーに寄り添うので、短尺動画より心に残る。引きずれる。
・確実にとりあえずは終わる。(SNSやYouTubeは発信者が挫けない限り毎日更新されるので終わらない。区切りがない。)

その上で、他の時間を差し置いて「映画を観に行く」動機は以下のように大別できよう。


①体験

「映画館で観てこそ!」の作品。前述の『アバター』など。
『ワイルド・スピード』シリーズが過去作を観ていない層にも毎年ウケるのはこれ。
口コミは不評なホラー映画も公開館数が多ければヒットするのもこれ。
エモい映画もこれ。「共感」という体験。
映画ファンには評価されにくいティーン向け恋愛映画がヒットするのもこれ。
「どんな感情になるか」があらかじめ具体的に予測できればできるほど観に行きやすい。

②コミュニケーション

友達と話すネタができる。
SNSに「〇〇観たよ!」と書ける。
感想を書くことが自己表現のネタになる。
「その映画を観た側/観てない側」で分断される時「観た側」に立てる。
ネタバレ厳禁!のような触れ込みは「ネタバレ警察」への配慮だけでなく、観客予備軍を差別構図に巻き込む意味で宣伝的にかなり有効である。

『パラサイト 半地下の家族』『カメラを止めるな!』の大ヒットは「面白い!」という口コミにこの「ネタバレ厳禁!」の火薬が乗っかって起爆剤になった。

③権威の確認

有名監督の国際的評価や賞取りが後押しになるのはこれ。
世界でも評価されたのだから良質でしょう、という品質保証。これは①に近い動機。

他方で、「アカデミー賞とったらしいけど自分は微妙だったなあ」と自己表現したいひねくれ層も一定数いる。
いずれにせよ、その賞の魔力が世間全体に充満してるうちに権威を確認しておきたい、という姿勢がある。
よって、その国際的評価や受賞がリアルタイムで話題になっていることが条件。

④問題解決

「自分の悩みを解決するヒントがあるのかも?」と考え、勉強のために行く。
(例えば書籍のベストセラーなどはこの線が圧倒的に多い。)
配信待ちでも解決できてしまう悩みであれば映画館への移動に結びつかないので
・その観客の悩みの緊急性が高いこと
例 今疲れている/就活・転職で悩んでいる/今の恋愛関係で悩んでいる
・その悩みが映画館の設備で解消されそうなこと
例 自宅のテレビでは没入できなそう
が必須になる。
よって、半年後にも同じように解決していなそうな社会問題を扱った映画には、元々その問題に興味のある人しか足を運ばない。

⑤セラピー

ストレスが溜まっているのでその解消に行く。
カタルシス・ヒーリング効果を求める動機。
「①体験」「④問題解決」にも近い。

⑥応援消費

推しているジャンルや表現者のために行く。
・お布施=単純にお金を落とす
・盛り上がってる感を内外に示すための行動
 =ジャンル盛り上げ演出に参加する気持ち
・「自分はファンです!」という自分の周囲への表現
のように細分化できる。

今、映画館にわざわざ足を運ぶ時には、結局このどれかの動機がある。
①〜⑥の動機が混ざり合っている場合も多いだろう。

ヒットする、というのはキャズムを超えること。
「監督・原作・俳優の既存ファン/直接告知が届いた人数」そのものの数を増やすのも大事だが、やはり口コミの威力がものを言う時代になった。
初日に見た全員がインスタのストーリーでチケットの写真を挙げれば、×100人とかに平気で届く。そしてニュースになれば大勝ちだ。

「カルチャー」「コンテンツ」というトピックだったのが「社会現象」「時事」になる。海外での賞取り作品が強いのは、うまくいけば公開前からみんなの頭の中で「コンテンツ」カテゴリではなく「時事」カテゴリに入るからだ。

いずれにせよ、豊かな体験を届けるために周到な打算と感情の先回りがますます必要な時代になっていく。短尺でインスタントに感情を刺激する動画媒体、パワーワード依存・バズ偏重の文字表現が溢れエスカレートしていく中で、映画館への動線もある程度そのゲームに乗らないと勝ち筋がない現状は悲しい。しかし、やはり万人が並列のクリエイターになり、スマホで24時間直接コンテンツを無限供給できるようになった今、テレビを消し、PCの電源を落とし、時間を調べ、電車に乗り、スマホの電源を落とし、暗闇に2時間身を委ねよう、と思わせるには、ただ「良い物」を作っているだけでは絶対に足りない。

映画を観る習慣のある人間が映画を観る習慣のない人間の心理を想像するのは難しい。でも、やっていくしかない。

でも

自分を省みても、このわかりやすい6つの動機で映画を選択している。
映画を観るという体験はこんなにもわかりやすかっただろうか。

映画雑誌のスチール写真1枚で気になった作品を、少ない情報を頼りにミニシアターに見にいき、面白くもつまらなくもなかったし、あらすじも結末もほとんど覚えていないけど、なんだか帰り道の風景だけははっきり今も覚えているんだよなあ、という10年前には当たり前にあった経験は、今後あり得るだろうか。


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