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スポーツを興じる意義

スポーツを好きな人は一定数いるでしょう。そして、嫌いな人も一定数いるでしょう。さらにいえば、スポーツをどうでもいいと思ってる人は大半でしょう。

そう、スポーツって根本的に考えたらどうでもいいんですよ。

だって、Jリーグの試合結果が、あなたの明日を無くしますか?

プロ野球の結果が、あなたの子どもの人生を狂わせたりしますか?

普段の生活を過ごす中でスポーツに「触れなければならない理由」なんてのはないんです。ましてや「する」となったら時間と道具と場所を用意しなければならない。

ちょっと体型がきになるからランニングでも始めようか、となれば、シューズにジャージを揃える必要がありますし、ちょっとヨガでも...となればヨガマットを用意する必要がありますね。

じゃーフットサルやってみよう!となれば、わざわざできる場所まで自分を持っていく必要があります。

時間と道具と場所という三種の神器を揃えることができる人のみが、スポーツをするという権利を得ることができる、という風に書くとすごく敷居が高く感じますね。

「おい、遠藤、そりゃいくらなんでも大げさに書きすぎだろ...」

そう思う人もいるでしょうが、大げさではありません。

ぼくもスポーツに携わり、小さい頃から競技者を目指す小児から病気からの回復・健康を目指す高齢の方まで多岐にわたる方々と時間を共有してきましたが、「する」スポーツに取り組むのに敷居を高く感じている人は存在します。

そして、その方々にとって、そのハードルは自らの命や健康が危うくなった時に初めて乗り越えることができるほどに高いもので、生半可な気持ちではできないんです。

今回は、そんな健康一般的なスポーツではなく、競技スポーツに対しての意義という面で考えてみます。

僕は元々スポーツが大好きなんですね。

ぼく自身のキャリアもスポーツ好きが高じて(全然うまくいかなかったけど)個人事業主のトレーナーとして活動開始したのが最初です。

そんなスポーツに対して、今でも好きなことに変わりはないんです(と、自分では思ってる)。

スポーツが好きで好きでたまらない、その世界にどっぷり浸かっている人たちに対して異議を唱えるのと、全くスポーツに対して期待していない人に向けて書いてます。

『スポーツに投じる時間とお金というコストは支払うだけの意義があるのか』


結論として、なぜ僕がこんなことを考えるのかといえば、子どもが生まれ一緒に生活する中で、スポーツを“させたい”と強く思ってないからなんですね。

もっといえば、別にやらなくていいとすら思ってます

本人が望むのであれば別ですけど、親の立場としてはどうしてもやって欲しいとは思っていない。

 

そうはいっても、ぼくはスポーツに意義があるとは考えていて、スポーツをすることによって得ることがあるだろうとは経験則・実感値としてあるのは大きく認めるところです。

ただ、全面的に意義があると考えているわけではなく、あくまでも一部分においては...という条件付き。

 

まず、考えなければならないのはスポーツに対して期待する効果は何か、ということ。

スポーツとは果たして、何を支払い、どんなものを得ることができるのか、という費用対効果の面で考えてみたいんです。


スポーツって、お金や時間を交換し、身体的・精神的な・向上・改善・快復を試みる手段です。

その過程にある上達過程・意思の疎通過程において、達成感や満足感を得ることできるうえ、集団的なスポーツになれば団結力やコミュニケーション能力の醸成にも影響を与えることができるのではないか、と。

そう仮定すると、スポーツの目的は『自己実現』であり『自己表現』であり『自己満足』を得ること、つまり『自尊心の獲得』とぼくは考えます。

つまり、スポーツの価値はそれらの目的を達成することで、それを生活の中で獲得することに意義がありますね。

そしてスポーツは、映画や演劇などと同じく、エンターテイメント的な面を備えてます。

地域ごとに創設されているプロスポーツは興行として行われ、おらが街の誇りとして地域住民の自尊心や一体感、連帯感に火を焚きつけてくれる。

おそらく、スポーツが好きで、現段階においてなんらかのスポーツを実践している人、スポーツを観戦し、応援している人にとって上に書いた内容って、そんなに遠くない実感として受け入れてもらえるんじゃないですかね。


じゃー、スポーツの価値について考えてみましょうか。

日本の中における指針はど日本の中では文部科学省が管轄していたし、今ではスポーツ庁が管轄下にスポーツを置いてので、それらが定めるスポーツ基本計画を見ていくことで回答が得られそうです。

スポーツ基本計画:文部科学省

スポーツ基本計画:スポーツ庁

文部科学省がスポーツ基本計画の中で書いている一文を参照するのが良さそうなので、引用しますよ。

ちなみに、スポーツ基本計画(第二期)の中で文部科学省は以下のように書いてます(...が、これはスポーツの価値について『人生』『社会』『世界』『未来』という4つの中の『スポーツで人生を変える』という部分での内容である)。

スポーツ基本法において,スポーツは「心身の健全な発達,健康及び体力の保持増進,精神的な充足感の獲得,自律心その他の精神の涵養等のために個人又は 集団で行われる運動競技その他の身体活動」と広く捉えられており,「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは,全ての人々の権利」であるとされている。

人生の中で、スポーツに対し『する、みる、ささえる』ことは『スポーツを日常生活に位置付けることで,スポーツの力により人生を楽しく健康で生き生きとしたものにすることができる。』としていますね、

つまり、日本国は国民がスポーツにいずれかの形で関わりを持つことで、その効用を享受できるはずだ、と考えていることになりますね。

国からのお墨付きがもらえたということで、次は スポーツをすることで、どれほどの確率で投資に対するリターンを享受できるのか考えましょう。

冒頭でも述べたように『時間とお金』を投ずる以上は、それに対しての効果や効用を見るべきですよね。

それを見ずに効果検証を行うことは、そもそもスポーツに『お金や時間を使う』ことを考えるな、という感情的な話になっちゃうし、そうなると『体育』になっちゃいます。

今回の題材は「スポーツ」ですので、「体育」について考えることはしません。

 

今回、ぼくが一貫して述べているのは『スポーツをすること』へ投資した時間とお金はどのぐらいの利率でリターンを得ることができるのか。

そのためにはゴール設定が必要です。目的ですね。

じゃー、ぼくの子どもがあらゆる運に恵まれたとして、国の代表としてオリンピックに出場することを一つのゴールとした場合について考えてみましょうか。

各競技ごとに本格的に競技として取り組んでいくであろう年齢は異なるでしょうし、生物学的年齢や暦年齢でいう早熟や遅熟を考慮する必要も出てきます。

高校サッカーや甲子園といったメディアとしても扱われる機会が増える高校生年代の競技人口からオリンピック代表に選ばれることを率として概算で単純に計算してみましょう...

まず、全国高等学校体育連盟に属する競技団体への登録者数(2018年1月訂正)は1,246,713名、高等学校野球連盟へ所属する登録者数(2017年5月)は161,573名となってます。

高校生段階で1,408,286名の競技スポーツへの参加している学生たちがいるということですね。これ、多いです?少ないです?

ちなみに、2017年日本の中にいる15~19歳の人口数は2,920,000人となってまして、(概算的に)引用すると、およそ48%が競技スポーツに関わっている計算です。(あくまでも概算ですからね!)

つまり、高校生の半数はレベルの高低はあれど、スポーツに関わっていることになります。宝くじの配当率と同じぐらいですね。

高校生年代におけるスポーツ登録者数が1,408,286名がそのまま競技を続けるわけでもありませんし、オリンピックに正式競技として採用されていない競技を取り組んでたりもしますね。

その中でオリンピック代表に選ばれるとしたら、そもそも競技を選別しなければならないし、長く競技を継続できるレベルに達している必要がありますね...。


リオデジャネイロ(ブラジル)オリンピックの日本選手団人数が338名。

もし、何かしらの競技を続けていたとして、日本のトップレベルに到達する場合の確率は0.00024%。

 10,000人に2人か...。


もちろん、各種競技ごとにこの倍率は異なるだろうし、何かしらの変数があることも否定ませんよ。けど、あくまで概算で単純計算の上でスポーツをすることからオリンピック代表になることをゴール設定したことを想定してます。

狭い門である、ということをいいたいのではないんですよ。そんなことはわかりきってますから。

本題はここから先。

スポーツに特化した生活を送り、スポーツで日本代表として活動するために相応の時間とお金をかけたところで、代表としてオリンピックに出れるかどうかは全くわからない。

競技者としての技能や実力は確かに向上しているであろうが、それをなくした際に何が残るのだろうか...。

ぼくが考えたスポーツをする意義に対する疑問は、これ。


スポーツに特化した生活を行うことによって、会社経営ができるわけでも、経営に関わる技能が身につくわけでも、もっといえば、生活する中で役に立つ知恵が身につくわけでもない...。

これが僕の子どもにスポーツを「絶対に」やってもらいたいと思えない大きな理由です。

もちろん、全否定は一切しないし、冒頭でも述べたようにスポーツが好きだし、自分が成長することを実感した時は本当に楽しかった。

うまくいかない時に工夫することの大切さを身を以て体験できたことには感謝すらしてます。 

ただ、よくよく考えれば考えるほど、それって『自己満足』なんですよ。

もちろん、それでいい。

僕がスポーツに期待する部分はここなんですよね。スポーツは遊びだから。

自らがやりたいと思う動きや体勢、道具を扱う、そして相手との駆け引きなど、自分のことを認めること、つまり自尊心や成功体験を味わうことの重要性は僕自身味わっているし、大切な部分。

ただ、遊びを徹底的に攻略したところで、それを楽しむ方法や見方を増やすことはできても、会社の会計を担当することはできないし、Webサイトを構築することもできないし、人を感動させる文章を書くこともできない。


プロで活動するスポーツ選手も多くの選手が10年も20年も続けられるわけじゃないです。

プロ野球選手の球団との選手契約を打ち切られる選手に関する情報は日本プロ野球機構のサイト内にページを設けて公表されてるのでみてみましょうか。

(出典: 日本プロ野球機構『セカンドキャリア>2016年度』

大卒選手や社会人野球経験者がドラフトされる制度的なこともありますけど、30歳手前で在籍年数は8.5年となってます。これはJリーグだと契約を打ち切られる平均年齢は25,6歳となっていることと相違ないかもしれませんね。

しかし、何もビジネスをしてこなかった人材が、企業側も採用に関していえば簡単ではないですよ。これは本当に実感済みです。

ここまでスポーツに関して、することの意義を考えてきたが、こうなると、なんだか嫌ですね...。ちょっと書いてて嫌になりました。

もちろん、それぞれに満足する形で関わればいい、というのはよくわかるし、それでいいのかもしれない。

んでもって、夢のある世界であるというのはその通りだと思う。

だけど厳しい言葉を使えば、夢を搾取することで成り立っている側面も正面切って否定できるかといえば...。

 

スポーツって、あくまでも遊びだし、本気になることは、むしろ大歓迎。

そんな本気の子ども達に対し、スポーツをするということをメリットとデメリットを説明できることは大人として不可欠な態度なのではないか...というのは当然の態度じゃないですかね。

ぼくの結論としては、スポーツをすることは将来形成という意味では、意義があるとはいい難いのかもしれない。

けど、スポーツの自己満足(自己実現・表現・肯定感・成功体験)を満たす効用については大いに期待できるし、実体験としてもオススメはできますよー。

...と考えているということでエントリを締めます。

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スポーツを興じる意義

えんどう(遠藤 涼介)| シーエスレポーターズ

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新潟のIT系企業で広報とかSNSとか【しごと】http://cs-reporters.com で コミュニケーションデザイン室の室長/ SNSセクションリーダー / オフィスえんどう(個人屋号)※何するかはDMにて/ 【ほか】 #えんどうnote 毎日更新中/ 無能です。

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