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広報PRはパブリックリレーションをするものであって、メディアリレーションのみにフォーカスしない。

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

広報PR的な支援や伴走をする中で、どうしても「メディアに掲載されたい」といった欲望が要望として出てくるのは仕方のないことですし、それを実現していくことも広報やPRを仕事にする人間としての責務の一つだと言えます。

でも、メディアリレーションだけが広報PRの仕事ではありません。

その点を言語化できるようになってほしいなぁ…なんて漠然とした願望から、これを書きはじめました。

広報に過剰なまでにメディア露出を期待しない

広報は「予算のいらない認知活動」だと捉えられますが、外部から広報PR人材に依頼をしているのであれば外注費がかかってくきますし、内部に人材を配置したとて人件費をはじめとした経費はかかるわけですから「タダ」ではありません。

予算も、いらないように見えますが製品やサービスのリリース時期に予定を立てる以上、年間スケジュールを組んで取り組んでいるでしょうから、きっちりと必要経費が生じてきますので、安価で大きな対価を得られるような誤解は避けたいところです。

この大きな対価とは何を指すのかというと、結局はメディア露出に期待することなのだろうことは言わずもがな。言わずもがなではありますが、広報PRの担当者に過度なメディア露出を求めることは避けた方がいいでしょう。

テレビや大きな発行部数を誇る新聞や雑誌に掲載されることばかりを目指してしまうことはやめましょうってことです。

なぜか。

一過性の効果

テレビや発行部数の多い雑誌や新聞で取り上げられることの効果は一過性であり、持続的なブランド構築には不向きです。広報PRで実現していくべきことは単発で大きなメディア露出をすることではなく、長期的な視点から「認識」を獲得していくことです。

毎日、何かしらのメディアで取り上げられるような状態なんてこと、よほどの悪事を働いた場合には別ですが、基本的にはあり得ません。ブーム的に取り上げられる時期はあるかもしれませんが、それも一過性のものです。

短期的で過度な期待

本質的には、「このブランドがどういった認識でお客さんやお客さん候補の方々から見られたいのか」を長期的に構築していくことが大事なわけですから、毎日ホームランを打ってもらうことを期待するようなことがあってはいけません。

もちろん、大きな媒体で取り上げられることは影響があることでしょうが、そういった露出が成功したとしても、それが常に成功するという過度な期待を抱くべきではありません。

メディア露出の効果は一定ではなく、出し方や出され方も含めて利害関係者と合致していくことが必要なわけです。そのため、広報PRの担当に向けてメディアリレーションだけを期待することは広報PRの仕事における一端しか見れていないことになると言わざるを得ません。

パブリックリレーションとメディアリレーション

一旦、ここでパブリックリレーションとメディアリレーションについて整理してみます。

パブリックリレーション(Public Relations)

まず、パブリックリレーション(Public Relations)は、より広範な活動と対象を持ち、企業全体のイメージやステークホルダーとの関係性を高めることを目指します。

企業や組織が一般の方々やステークホルダー(顧客、従業員、投資家、地域社会など)と良好で良質な関係を築くことを目指して取り組まれるべきものです。

メディアリレーション(Media Relations)

次に、メディアリレーション(Media Relations)は、報道機関との関係を中心に、特定のニュースや情報を効果的に広めることを目的としています。

メディア(媒体)と呼称している通り、報道機関や各種媒体との良好な関係を築き、企業や製品に関する情報を効果的に広めることを目指すもので、どういった媒体にどんな内容で取り上げられるのかを丁寧に根気よく練り上げていくものだと言えます。

ここまでで察しのいい方は気づくことができるでしょうが、メディアリレーションはあくまでもパブリックリレーションの中にある一つの項目であり、色々いるステークホルダーの中の一つなのであって、そこに注力しすぎることは全体的な視点が抜けていると言わざるを得ません。

広報PRの価値は定量と定性の狭間から

では、広報PRをどう評価していけばいいのか。

この点は多くの広報PR担当者を悩ませていることでしょうし、ぼく自身もどこに評価指標を設けるのか常に考えていますが、組織や体制によって異なるものだって当然なことを認識している程度です。

なぜ、そんな風に曖昧な記述をしているのかといえば、評価指標にも表裏で評価できる部分とできない部分があるからだと考えているからで、その点を実際に項目を挙げながら見ていくことにします。

定量的な側面からの評価

たとえば、メディア露出度を図ることで純粋数をカウントしていくことは一番やりやすいことでしょう。しかし、ただ数だけ稼げればいいのかというとそんなこともないわけです。

大した閲覧数もない個人ブログに取り上げられることと、視聴者数が何万人もいる動画媒体での取り上げられることを同じ「1」としてカウントするわけで、そうなると定性的な評価も織り交ぜていく必要があると言えます。

広報活動によってどれだけ多くの人々にメッセージが届いたか、つまりリーチを測定する場合、Webサイトの訪問者(ユニークユーザー)数やソーシャルメディアのフォロワー数などが含まれるでしょう。

これにしたって、ただフォロワーの多いアカウントがあるだけだと何の意味もないわけで、投稿した内容に向けて反応が取れるかどうかといった、エンゲージメントも図る必要がありますが、どういった反応なのかといった定性的な評価も織り交ぜていかなければ評価のしようがありません。

大きなメディアに取り上げられたとしても、テレビで2秒見切れただけでも1回ですし、ソーシャルメディア内でガッツリ評価してもらうことも1回な訳で、どうしても定性的な評価も織り交ぜてみていく必要があることがわかります。

定性的な側面からの評価

定性的な評価をするとしたら、ブランドイメージをどう推し量るか。

顧客やステークホルダーからのフィードバックやインタビューによって測定できます。その際には恣意的なインタビューにならないよう、純粋な意見を述べてもらえるような設問や構成にする必要がありますし、第三者機関に依頼することがあってもいいでしょうね。

定性的な面から評価をするのであれば、企業や組織が出しているメッセージに一貫性があるのかも併せて見なければなりません。企業が発信するメッセージが一貫しているか、企業や組織が目指している「見られ方」に合致させていくために一貫しているのか。

さらに、それを構築していくためのストーリーテリングも大事でしょうね。広報PR活動によって語られる「ストーリー」はステークホルダーの数だけ存在するはずで、どれが誰に向けて適切なのかを見定めながら適当な媒体に載せて流通することを目指すのです。


取引先が自社の製品やサービスを利用して非常に喜んでくれていることを公式アカウントやWebサイト、自社ブログなどで紹介してくれているかもしれません。それだって立派な評価の一つです。

ただの「定量評価における掲載数1」ではなく、「定量的には1かもしれないけれど、非常に好意的な定性評価のある1」なわけで、大きなメディアに取り上げられることも大事なのでしょうが、決して大きくはないかもしれないけれど確かに評価をしてくれていることだって、立派なパブリックリレーションですから、丁寧に評価していくべきことだと言えます。

おわりに

書き殴ってきたので整理が必要ではありますが、だいたいこんなところでしょうか。もし、気になるところやご意見がある方はコメントやシェアしながら意見を書いてもらえるとうれしいです。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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