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我が子の不登校と再登校までの話

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

#今日の長男くん と題して不登校な息子氏の様子を投稿してきましたが、最近は投稿することがなくなってきました。不登校状態から脱却できてきて、登校できる状態で夏休みを迎えることに。

ここで一旦、ここまでの振り返りを書いてみようかな、と思ったので書いていくことにします。不登校になりそうなお子さんと生活していたり、現在進行系で当事者な人たちに向けて、「こんな事例もあったよ」的なものとして提供できたら幸いです。

静かな朝の絶望と希望の種 

朝。

朝日が差し込む寝室。

時計の針が7時を指す。

学校へ向かう準備をしない我が子の姿。

小学校2年生の冬から始まった光景が日常となってから3年以上が経ちました。

8歳で始まった不登校が、今や11歳。振り返ってみると、小学校6年間のほぼ半分を占める長い時間。実際には特別支援級への転籍によって2年ほどでしたが、それにしても学校に行けない児童と生活というのは決して侮れない時間です。

心臓が締め付けられるような痛みと共に、「どうしてこうなったのか」という後悔がなかったのかといえば嘘になります。虚勢を張り、前向きな発信や投稿を繰り返していましたが、反面、同学年の児童に対する交流の機会が損なわれている事実に罪悪感が我が身を覆い尽くしてきます。

でも、結局は「この子の成長を、どんな形であれ支えていこう」と決意するしかありませんでした。小さな希望。希望にすらなり得ない種のようなものやがて大きな木に育つことを、勝手に期待して種として育もうとしていました。

彼の中でたしかにあった"苦闘" 

「学校が怖い。行こうとするとお腹が痛くなる…」

当時8歳だった息子の震えながら訴える声。戸惑いと共に深い悲しみを感じる妻さんの表情が忘れられません。

ぼくには彼と同じ経験があるから理解できました。しかし、順風満帆な学校生活を送ってきた彼女には理解し得ない、想像すらできない状態。それが目の前に繰り広げられていることに否定したくなる気持ちと、受容しなければならないことといった矛盾する感情がにじみ出ていることは確か。

さまざまな専門家に相談する中で、「起立性調節障害」や「自閉スペクトラム症の症状」など、医学的な知見から告げられる診断や観察の様子を共有され、彼の特性をきちんと把握する。

把握すればするほどに、見ようとしなかったのか、見れなかったのか。

どちらが適した表現かは判断ができませんが、少なくとも、彼がそんな症状に息子が長年苦しんでいたのかと思うと、胸が張り裂けんばかりに申し訳の立たない気持ちになったのはいうまでもありません。

学校の授業に対し、板書を書き写すことに懸命になるあまり、顔を上げた瞬間には次の展開になっていて混乱し、「周りからおいていかれる」と涙をながしながら述べる彼の言葉が、その苦しみの核心。

それにさらされ続けた1年半で、彼は学校に居場所を感じられなくなるのに十分な時間でした。


不登校が始まってすぐ、当時の職場に理解してもらい在宅での仕事を始めました。そこから半年ほど経過し、会社との話し合いを持ち、離職。そこからいわゆるフリーランス的な働き方をすることとなったのですが、案件獲得の難しさに直面。

夜な夜な、PCのブルーライトに照らされながら、減り続ける預金残高を眺めながら生活費のことを考え、苦悶する日々。

「これでいいのか」という自問自答するも答えは出ません。

経済的な不安と子どものケア、その狭間で揺れ動く日々が続くなか、決してぼく自身も安心しながらの生活を遅れていたわけではありません。

幸いなことに、妻さんが懸命に仕事をこなしてくれていましたから、楽ではないながらも生活を送ることはできていましたが、息子の学習サポートや、気分転換のための外出など、できる限りのことをしようと必死でした。

居場所を求めて

学校に居場所がないのであれば、他に彼が居場所だと認識する場所を設けられればいい。そう思い、いろいろな場所へ連れ出しました。

フリースクール、親子ワーケーション、出張への帯同など、体のいい発言などとは裏腹に、彼がどこに居場所を感じられるのか、どうしたら居場所を増やせるのかを必死に考え続け、行動し続ける他にありません。

「ねえ、ここ行ってみない?」と声をかけると、怪訝そうな顔をしていた息子の目にも繰り返し問い続けていくことや面白そうな要因を説明していたびに少しずつではありますが、小さな期待の光みたいなものが宿っていくのがわかりました。

初めてのワーケーションで緊張しながらも新しい友だちと話す姿を見たとき、「あぁ、よかった」と安堵する気持ちと「こういう方法なら…」といった確信が芽生え出しました。

息子が少しずつ外の世界に興味を示し始めるのと同時に、何かしらの好奇心や向学心を得ているであろうことを実感できた瞬間でもあり、出張に同行した際には、見知らぬ大人たちに挨拶を交わす息子の姿を誇らしく思ったものです

彼にとって、弟の存在が大きな支えだったのは言うまでもありません。

元々、弟のほうが兄を大好きで、何をするにしても長男を大事にしている様子が伺えていたのですが、存外、それは長男にとっても大切な居場所であることを理解できました。

兄弟で一緒にゲームをしたり、絵を描いたりする時間が増えていくと、学校に対する恐怖心が強く、強張っていた長男くんの表情が和らいでいるのを見たときです。

弟が学校から帰ってくると長男くんは「今日はどうだった?」と尋ねる姿もありましたし、弟が「近くの友だちの家に遊びに行ってくる!」と飛び出していくのをみながら「オレも友だちと約束して遊びに行きたい…」と涙する姿に、学校への関心が完全に失われていないことと、学校への渇望みたいなものがあるのだってことに希望を感じました。

再登校への道のり

彼の特性や性格を踏まえ、特別支援級への転籍を決めました。

小学校4年生に上がったタイミングで試用期間的に特別支援級へと通うことにしたのですが、これが彼にとって再登校への足がかりとなったのは明白です。

はじめから登校できたわけではありません。

学校へ送迎する必要がありましたし、途中で迎えに来てもらうことを懇願することも一度や二度ではありません。対応することが難しいタイミングでの電話対応などは決して心理的に安寧を保てるわけではなかったのです。

徐々にではありますが、彼の意志と感情をもって特別支援級で過ごす時間が増えていくとともに、「今日ね、特別支援級のクラスメイトと〇〇したんだ。楽しかったよ」といった言葉が聞かれるように。

学校に居場所を感じられるようになってきたのでしょうね。

学校のことを話す長男の目に輝きが戻り、少しずつですが確かに笑顔が増えました。

特別支援級での丁寧な指導と、息子のペースに合わせた学習環境が、彼に安心感を与えていることは明白。そして嬉しいことに、徐々に交流級での授業に参加する時間も増えてきています。

最近では、理科や社会、外国語の授業でも交流級に向かっているようだと夏休み前の面談で聞いたときには、うれしかったですね。よかったな、と。


小さな頃から「恐竜博士になりたい!」と述べ続けてきた長男くん。

5年生になるまでの重要な時期に不登校期間があり、学習面での大きな遅れは避けられません。

2歳の頃から恐竜の本を一緒に読んだり、博物館に行ったりする中で、息子の好奇心が日に日に大きくなっていくことを実感していましたし、もしかしたら、不登校経験によって渇望する力がましたのか、彼の興味を深め、自分のペースで学ぶ力を育んだのかもしれません。

理科は得意な科目でもあり、得意気に授業のことを話す彼を見ると、一歩一歩、半歩ずつかもしれませんが、でも確実に前に進んでいることを実感するばかり。


今、彼は「行ってきます」と、近所の友人と共に学校へ向かっていきます。

正直、その後姿を見れるようになるだなんて2年前、3年前には想像もできませんでした。だからこそ、その何気ない一言に報われる気持ちになります。

学校での生活は特別支援級を中心としながらも、交流級でのつながりも少しずつ広がっています。

不登校の経験と、今の特別支援級と交流級を行き来する経験が、息子の人生にきっと大切な糧となることを期待しています。

同じ境遇の方々へのメッセージ

まず、不登校は、決して恥ずべきことではありません。

子ども一人一人に異なる理由があり、それぞれの家庭に異なる悩みがあります。安易に「同じだ」と言えるものではないことを、私たちは身をもって経験しているからこそわかります。

でも、もし、我が家の例が参考になるのであれば…と思い、以下、意識して取り組んできたことを記述します。

  1. 子どもの声に耳を傾け、恐怖や不安を理解しようと努めること。「学校が怖い」「お腹が痛い」という言葉の裏にある感情を、時間をかけて理解しようとしました。

  2. 学校以外の居場所や可能性を探ること。フリースクールやワーケーションなど、新しい環境での経験が息子に自信を与えました。

  3. 経済的な不安があっても、子どものケアを優先すること。在宅勤務に切り替え、収入は減りましたが、息子と過ごす時間を確保しました。

  4. 必要に応じて専門家の助言を求め、適切な学習環境を探ること。我が家の場合、特別支援級という選択肢が息子の救いとなりました。一人一人に合った方法を、専門家と相談しながら見つけていくことが大切だと感じています。

  5. 子どもの夢や希望を大切にし、それを支援すること。「恐竜博士になりたい」という夢を応援し、その興味を育むことが、彼の自信回復につながりました。

決して平坦な道のりではありませんでしたし、これからも再発というか、何かがあるのかもしれないとは思っています。不安はありますが、息子の笑顔を見るたびに、この選択は間違っていなかったんだろうなって思います。

それぞれ、我が家以外のみなさんが持っている経験は、私たちとは異なるかもしれませんが、子どものの可能性を信じ、寄り添い続けることが、必ず報われるんじゃないですかね。

子どもたちの可能性や希望を損なわないように接すること。

何もしなければ希望は実現できませんが、大人の論理で強引に説明しようとしても拒絶されるだけです。フラットに、対等に接することを目指すことが、私たちの経験から得た教訓です。

おわりに

ちょっと長くなってしまいましたね。

でも、まだまだ書けることはたくさんあります。

フリースクールでのこと、親子ワーケーションのこと。

まぁ、色々と過去にも書いてきたので、興味がある方はお読みいただければと思います。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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