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不登校って名称やタグづけ、どうにかできないものかなぁ…なんて戯言

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

我が家もお世話になった妙高のワーケーション。2022年03月に引き続き08月にも開催されており、子どもたちは新たな友だちに出会う機会に恵まれているみたいです。我が家も参加したかったな。

仕掛け人の一人である複業家の竹内さんが「親子ワーケーションを企画して思う、「大人の働き方を変える」とは「子どもの教育を変える」ということ」と題した記事を書かれており、「だよなぁ…」と膝を叩いて青くなりはじめました。

そんなところから感化されて書いている次第でございます。

「柔軟な働き方」=「家族を無視しない」

長男くんが不登校になったのもあり、ぼくは働き方をテレワークを軸に据えました。

それまでも「可能ならばそうしたい」と願望は抱いていたものの、なかなか踏ん切れずにいました。

が、実際にやろうとするとぼくとしてはそれほど大きな心理的な障壁はなく、むしろ淡々・粛々とその方向へ向かっていったといえます。

現在は複数の事業者さんとやりとりをしつつ、切り出された部分的な業務の委託を請けたり中にはプロジェクト単位で任せていただくことなんかも増えてきました。

なんというか、節操なくやらせていただけている状況に感謝するばかりですが、実際にテレワークを中心に業務を行うようになって実感するのは「子どもが自宅にいること」の責任。

昼食にしても大人一人であれば食べても食べなくてもスキにすればいいのですが、子どもとともに過ごすのであれば彼らに食事を提供しなければなりません。

学習面での付添も必要です。彼らは言語の理解が未発達な部分がありますから、その点を補うことは必要ですし、彼らにとって難解な問題には共に立ち向かう姿勢が必要でしょう。

「もう大きくなったんだから」とか「もう何年生なんだから」といった我々世代が親から言われてきた「親の常套句」を使いたくはありませんから、求められる以上は応えてあげたいとすると業務との時間調整難易度が非常に高度になります。

テレワークやリモートワークが柔軟な働き方である点は認めますが、そこに就労者本人しか入っていない点は押さえて置かなければなりません。

我が家でいえば不登校のタグを学校からつけられている長男くんが在宅していますし、もしかしたら家族の介護などをしながら就労している方もいるかもしれません。

働き方が柔軟だとうそぶく以上、就労者の家族が無視されるような状態になるべきだとは思いませんし、それは柔軟でも何でもありません。

たとえば「親が仕事にいくから学校にいけ」なんてのは選択肢を奪う発言であって、彼の選択肢を奪う物言いですから、働き方が柔軟になるってことは家族へ向き合う時間を確保することなんだろうとぼくは思うのです。

不登校はシステムやツールで解決できるはずなのに対応できない現行の学校教育

不満というよりも期待をしていないといったほうが適切な気がしますが、ぼくは学校現場へ我が家の長男くんの不登校について、特に期待をしていません。

ぼくはオンラインでテレワークしてますから、いわゆる「柔軟な働き方」というものを実現できていますが、学校現場でもそれが可能であることを実証しているといえます。

もちろん、クラスが35名から40名の中で一人いるかいないかの児童に向けた特別な対応をすることは困難であることは想像に難くありません。たしかに面倒なんでしょうし、実施するためには乗り越える敷居がいくつも立ちふさがって来るんでしょうね。

ぼくだって無茶を通したいわけではありません。学校教育の現場が疲弊していることは承知しています。

教職員は残業代が基本給の4%で固定されており、基本給が30万だった場合にはどれほど残業をしたところで1.2万円/月の残業代しか出ません。この点は乙武さんが「定額働かせ放題」と呼称し問題であると指摘しながら活動してたりします。

小中学校の教職員が月間でどれほどの残業をしているのかを内田良さん(名古屋大学)が記者会見をして公表してましたが、1ヶ月で平均100時間だそうです。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_627e04c0e4b016d742f99fb3

過労死ラインを余裕で超えているわけですが、ここに「探求」について任せられたり、英語授業やICT端末を利用した授業展開など、手に負えないことが多くなっているのでしょうから、大変なのは存分に理解しているつもりです。

教職員のみなさんには原則的に「余裕を持った状態」で児童生徒に触れてほしいと思う次第ですが、現場ではそうも言ってられない状況。そこに年々増加している不登校やいじめなどに向けた対応など、現場は常にてんやわんやなのでしょうね。

だから期待してません。ツールやシステムで解決できることを試そうとする余裕もなければ、それを教育システムの中で解決する方向にかじを切るようなことも、ぼくが小学生の頃から何ら変化のない学校現場や教育制度に何を期待できましょうか。

だからこそ、個々で幸福な状態とは何か、どうしたら「笑顔」でいる時間を増やせるのかを模索し、出来得る限りの策を講じていく他にないことを実感しているのが実情です。

大人が「不登校」と身勝手なタグをつけてしまわない

「学校に戻る」

これは我が家にとってゴールでも何でもありません。教育を受けさせる義務や就学の義務を踏まえても、小学校や中学校へ通えることが「正」だとはまったく思っておりません。

彼が学校に出向くことで楽しく探求/学習できる状況ならば、ぜひとも登校すればいいでしょうし登校してほしいとは思います。ところが、それを実現できるだけでの魅力や体制が学校にない以上、特に期待できることはないというのが繰り返しになりますが我が家の考えです。

そもそも「不登校」ってタグづけが納得できません。何かしら社会的なハンディキャップを持ち合わせてしまい、学校に通えない児童生徒がいたとして、その子にも「不登校」といったタグを付けるのでしょうか。

そうなのだとしたら、もう何だか救いのない状態なんだなって悲しくなります。望んで「学校に行かない」と選択をする子どもは不登校というタグをつけられている子どもたちの中でも少数派でしょう。

我が家の長男くんのように「行きたいけどいけない」とか「なんか合わない」と言語化すること自体がむずかしいはずです。

でも、それって仕方ないことだと思うんですよね。だって合わないんだもん。学習の進度がクラス運営を中心に設計されており、途中で躓いたとしても個別支援をしてくれるわけでもありません。

その善し悪しは述べるつもりありませんが、少なくともそれによって挫けてしまうなど他人からすると小さな不満が募り続けてしまい、結果的に足が遠のいたり、明らかに体調面や心理面が不健康な状態になってしまう子どもたちが一定以上いるのは年々増加していることからも事実でしょう。

だからといって「不登校」といったタグづけが適切なのかどうかは再検討されてもいいのではないでしょうか。

技術的にはテレワークならぬテレ登校が可能なわけですから、テレステューデントとかテレ児童みたいな呼称や自由業(フリーランス)ならぬフリーランス小学生みたいな言い方だってできるでしょう。

ぼくのネーミングセンスのなさは置いておきますが、少なくとも大人たちが不登校の認識を改めないとダメなのではないかなぁ…なんて考えたところから存外、長い文章となってしまいました。

まぁ、これからもゆるゆるとやっていきたいのですが、ワーケーションなどで彼といろいろな場所へ行ってみたいとは思ってますから、それが実現できるなら本当に楽しみです。

ではでは。

ゑんどう

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