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長男くんが「フリースクールへ行くのが楽しい」というのでフリースクールのことを書く

はじめに

厳密な定義はないようなのだが、要は何かしらの理由によって学校に行くことができない児童生徒たちが、学校へ行く代わりに過ごす場所のことを指すのがフリースクールだ。

具体的に何をしているのかはフリースクールの方針等によって変わってくるものの、一般に学習活動や教育相談、体験活動などを行っている。

不登校状態が1年を迎えた我が家の長男くんも、数回の体験を経てから通うようになった。非常に満足そうな様子を見ていると、通うことができてよかった…と彼の居場所ができたことに安堵する次第。

一般的に学校へ通うことができている児童生徒と生活をする人たちからすると馴染みのないフリースクールについて、紹介がてら書いてみようと思う。

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。

どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

フリースクールにはタイプが色々あるようだ

我が家の長男くんが通うや否やの段階で自宅の近くでもないのだけど、それほど遠くもない場所にフリースクールがあるのだと認知し、説明を受け、実際に通うに至る経緯の中で、当然ながらググってみたわけだ。

すると、我が家の近隣にはそれほど多くの種類があるわけではなかったものの、さまざまなタイプがあるのだということがわかった。

子どもたちの居場所になることを目指すタイプもあれば、学校への復帰が第一義にする場所、さらに学習障害や発達障害を抱える児童生徒に専門家をつけて見守ってくれる場所もあれば、医療機関と連携するフリースクールもあるようだった。

さらに踏み込んで自宅に訪問してきてくれるところもあれば、子どもたちが共同生活をするものもあったりと、多種多様なものがあるだなんて、実際に当事者になるまで知る由もなかったわけだが、こうやって子どもたちを救おうとしてる人たちがいることに何だか安心したのも事実である。

我が家がフリースクールに求めること

「学校に行けるのであれば行ってほしい」

これが正直な気持ちだ。何がなんでも行くべきだ、とは思っていない。あくまでも本人が「行きたい」とか「楽しい」と思える場所であるのなら、そこが学校でなくても行ってほしいと考えるのは当然の帰結だろう。

妻さんは理性的にぼくの考えを理解してくれているものの、感情的には「ほかの子たちができていることをできてほしい」となっていて、その葛藤に苦しんでもいる。

ただ、我々は根本的にある一点で納得と腹落ちをしており、それは「彼が毎日を笑顔で過ごせること」を常態化する点において、揺るがない結束をしている(と、ぼくは思い込んでいる)。

今回、我が家としてフリースクールに通うことになったのは、複数回の体験を重ねる中で、彼が行くのを本当に楽しみにしている様子をマジマジと実感したからであって、ぼくや妻さんが「どうにか学校への復帰を目論んで…」なんて闇深い話ではない。

そこが彼にとって居心地のいい場所なのであれば、それ以上に求めることはない。居心地のいい場所であれば、自然と探究心や好奇心を刺激することを模索し、出会える機会も増えてくる。

それは心理的な余裕や余白が生じやすいからだろう。(出典なし)

実際、通うようになってからの彼は自宅での学習にも自信を持ち始めたようで、ベネッセの通信教育を取り組んでいる中で「今は7問中、2問しか間違えなかった」と誇らしく語るようになった。

いや、それが何なのかはイマイチわかっていないのだが、彼にとってフリースクールへ通うことがマイナスになっていないどころかプラスに作用しているのであれば、それ以上にうれしいことはない。

通う児童生徒たちがステキな子たちが多い

長男くんの通っているフリースクールは決して規模の大きな場所ではないのだが、そこに通っている小中学生が本当にステキな子たちで溢れている。

長男くんが縄跳びで過去最高の記録を達成できたと報告したら、そこにいる全員が「すごいね!やったね!」なんて具合に認めてくれる場面があったのだが、その様子を見て安堵するのと同時に彼が楽しく通えている理由が見えた気がした。

そこに通っているのは長男くん同様、何かしらの理由によって学校って場所に足が向かなくなってしまった子たちだが、明るくて元気な子たちばかりだ。

一面的なものの見方であるだろうことは差し引いても、ぼく自身が接したいと思えるような挨拶っぷりや他人と接する際の笑顔を見ていると、長男くんが「行きたい」と思えるのもわかる。

「認めてくれる人がいる」
これがあるかどうかは、大人でも動機につながる大切な要素だ。

そこに通っている子たちは、自分だけでなく同じように通ってきてくれる人に向けて認めることを自然とできる子たちが集まっているようで、それを受けて長男くんも安心しながら通えているのだろうと実感している。

おわりに

いま、彼は週に一回だけしか通っていないのだが、毎週、カバンの中に何を忍ばせていこうか、どうやったら通っているみんなが喜んでくれるのかを考えるのが楽しそうである。

アメリカ人の方も同席してくれるため、自然と英語に触れるような状況も彼には好影響を与えているのか、通信教育の英語に以前よりも積極的に触れるようになっている。

まぁ、だからと言って話せるようになったり駆使したりできるようになるかといったらならないのだけど、そうやって母語話者ではない人との接点が彼の何かしらを広げてくれるのであれば、それに越したことはない。

ただ、残念なことに全国的には経済的に補助金が出たり支援金が出たりといった自治体は少ないため、運営する側も利用する側も学校教育とは別の出資が求められる。

義務教育機関に通えない状態になっている子どもたちに「教育を受けさせる義務」を負っているのは保護者だけなのか。そうではないはずだろう。
そんな愚痴っぽいことをシメの言葉にして終わりたいと思う。

ではでは。

ゑんどう

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