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生活保護や障害年金を受給することは悪ではないでしょうよって

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 元女優の若林志穂さんが障害年金や生活保護を受給に関して告白し、それが民度の低いインターネット界隈で批判され、当人が不快感を示すなんて事案が観測され、少しネット上でコタツ記事化されるに至ってます。 

 ご認識のない方に注意というか補足を説明しておくと、制度上、障害年金と生活保護の同時受給はできます。よって、若林さんは障害年金を受給するだけでは最低生活費に届かず、生活をする余裕がないので生活保護を申請し、無事に受理されて支給に至ったのだと思われます。

 障害年金も生活保護も国民に与えられている立派な権利であるのにも関わらず、どうして批判されなければならないのか。批判する人たちは、どうして批判したいと思ってしまうのか。可燃性の高い話題だというのは理解しつつも、なぜ、そこまで人の感情を逆撫でするようなことになっているのか。

 そんなことが気になってしまったことから、今回は生活保護や障害年金を受給することは否定すべきことではないよねって確認の意味を込めた内容にしていこうと思います。

前提として…不正受給の額は0.29%ほど

 インターネット上では申請の窓口へ「相談」で出向くも「申請」に至らない、いわゆるブロックされることが話題になりますが、このブロックがなぜ発生するのかというと、不正受給を防ぎたいからだろうとする意見を目にしたことがあります。

 じゃー、実際に不正受給の金額はどれほどなのかを調べてみましょう。

 厚生労働省の全国厚生労働関係部局長会議資料生活保護制度の現状についてといった生活保護に関わる情報をまとめた資料があります。それらを眺めてみると、そもそも生活保護の受給資格があり必要だと思われる条件に該当しているのにも関わらず利用できている人は約2割から3割しかいません。

 さらに、不正受給の額は2021年の生活保護費負担金の総額約3.8兆円に対して、約110億円と全体の0.29%ほどです。たしかに、未然に防ぐことができればいいとは思いつつも大きく取り沙汰すほどの金額ではないと言えるのではないでしょうか。

 つまり、役所側が不正受給を気にして窓口ブロックをかけてしまうことは全体的な金額感の中においては瑣末な問題だといえ、利用すべき対象となっているのにも関わらず利用できない人たちの母数を減らすことを気にした方がいいのではないか。そちらを改善した方が健全ではないか。

 そんなことがいえてしまいそうです。

なぜ生活保護を否定したくなるのか

 生活保護をめぐって否定的な文脈で語られることが多い、というより、ネットを中心に各種メディアで話題になるのは否定派の意見ばかりで、受給をしている人たちはそういった否定派の人たちから受ける口撃を避けるためにひっそりと過ごしているといった構図なのでしょう。

 つまり、うっかり生活保護を肯定してしまえば、声が大きくて人格攻撃も厭わない人たちから冒頭の若林さんがそうであるように、全力の口撃を受けてしまいますし、今回の件を受けてさらに肯定派というか、受給をしている人たちの肩身が狭くなるような事態に陥っていくであろうと想像してしまいます。

 日本では「働かざるもの食うべからず」なんて言葉がありますし、これを真に受けて自助努力や自己責任論を振りかざす弁論強者がいることの根底になっているような気がしてなりません。しかし、このような考え方は随分と一面的で短絡的な思考だと言わざるを得ません。

 働くことは自立といった意味では不可欠な要素ではありますし、勤労は国民の三大義務の一つであることから否定したくなる気持ちもわからなくはないものの、病気や障がい、高齢化や介護など、家庭の事情によって働けないなどの各種の事情を抱える人がいるのも事実です。

 日本国憲法の25条には以下のように記載されています。これは国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があるということを示す文言であり、国民の生存権が脅かされる事態や状況に陥った際には国がその生活を保証する義務を果たすために機能しなければならないわけですね。

(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
(2)「国は、すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION

 だから、否定派の人たちが抱える「お気持ち」は正直なところどうでもよくて、国はそういった各種事情によって義務を果たすことができない生存権の脅かされる人たちを救済する義務を負っているわけで、それを履行しなければならない責務があるため、素直にそれを実行しているだけなのです。

生活保護や障害年金を受給することは悪ではない

 「お気持ち」と書きましたが、感情論で否定したり肯定したりといったことは何の意味もありません。しかし、感情論で否定論を振りかざしている人たちの声は非常に大きく、目立ってしまいます。

 ところが、感情的に否定する人たちはそもそもの憲法から法制度などの理解が不足しているんじゃなかろうかと思うほどに、否定する意味も意義も見当たりません。

 憲法に生存権や国による生活保障の義務について記載されているのにも関わらず、それを制度に落とし込んだ生活保護の何が問題だというのか。また、それを受給しなければならない人たちがいる事実をどう改善していくのかを提示しなければならないのに、とにかく否定する人たちはお気持ちで否定するのみで具体的な解決策は提示しません。

 きっと「それは自分がすべきことではない」と、他人任せで他責論を前提にした主張でしかないのでしょう。

 もしかしたら、「自分は生活保護を受給せずに頑張って働いているのにも関わらず楽にお金をもらいやがって」みたいな相対的な剥奪感みたいなものを抱いているのかもしれません。

 でも、もし、仮にそういった人たちも本当に苦しくてやってられないのであれば、そういった制度を存分に利用すべきです。そのための制度なんですから。

 生活保護を受給することも、障害年金を受給することも、生存権を行使するために敷かれている重要なセーフティネットなわけで、セーフティネットを否定するってのは甚だ意味がわかりません。

 自動車のエアバッグは滅多に使うことがないし、使うような事故を起こす奴が悪いんだから無くすべきだ!とかいう人がいたら「アタマ沸いてんのか」ってツッコみたくなるのと構図は何ら変わらない気がします。

 もちろん、不正受給などは看過すべきではないとは思いますが、もっと必要が人たちに支援の手が差し伸べられることの方が急務なのではないでしょうか。

おわりに

 こういった内容を書くと、各種SNSのDMで訳のわからない内容を送ってくる人たちやコメントに否定的なものを書き込んでくる人たちが出てくるのですが、まぁ、仕方ないですよね。

 でも、いつ、自分がそういった弱い立場になるのかわかりませんから。そういった制度を利用し、生活保護や障害年金を受給する立場に陥ってしまうことって決してあり得ない話ではないわけです。

 そんな少しの想像を働かせることでわかりそうなことすら想像をしないことの方が悪でしょう。まぁ、いくら書いたところで仕方のないことかもしれませんが…

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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