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副業や複業をすることで何を得たいのか

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

タイトルは副業や副業といった主業となるもの以外に身銭を稼ぐ手段を選択するのかってことを出したのですが、そもそも就労するとか働く、その対価としてお金をもらうって何なのかってことを考えてみます。

労働は「契約」だから企業と個人は対等な関係

人はなぜ仕事をするのかといえば「お金のため」でしょう。すべての就労者が物怖じせずに「お金のためである」といえる人もいればいいづらい人もいるのかもしれませんね。だけど、世の中に出回っている企業が採用したいって情報、つまり「求人情報」ってのは組織内でまかなえない仕事を誰かにお願いしたい仕事だし、それへの対価が各種労働条件ってことになります。

企業は獲得(採用)した就労者(従業員)との間で労働条件通知書を作成の上で労働契約書を結ぶわけですが、この条件面で折り合いがつかなければ契約までたどり着けないこともあります。これは労働者と企業が対等な労使契約関係であることを前提にするからこそ成立する話ですが、これを忘れてしまった企業や個人は対等な関係ではなく上下関係として捉えてしまい、「契約を結んでやるもの」「働かせてやるもの」、はたまた「契約してもらうもの」とか「働かせてもらうもの」だと考えてる場合も個人のキャリア相談にのっていると実際に耳目する思考です。

極端なことをいえば、企業側が獲得したいのは企業内の業務を担当してくれる存在であり、それが機械で代替できるのならそうしたいでしょう。なぜなら、人を雇用するのは賃金だけを支払えばいいのかといえば違いますし、採用に係る経費や定着に向けた支援なども含めた総合的な経費を考えて、機械のほうが安く済むのであればそうしたいところでしょう。つまるところ、「誰でもいい」とすらいえます。

企業は組織です。組織で事業を回す以上は、仕組み化して「特定の誰か」でなければならないって状態を脱することが必要です。そうしなければいつまでも事業拡大できませんからね。組織の歯車になってくれる人をいくらまでなら利益を出しながら事業を運営できるのかってことを考えて労働条件を出すのであって、自らの懐を覗くことなく条件を提示できる組織なんてのは存在しません。

誰かにやってもらいたい仕事ではあるのだけど、あなたにやってもらいたい仕事ではない。それが企業の提示する求人情報なわけで、だからこそ契約関係だってことが堂々といえるのです。

身銭を稼ぐ以上のことを求めるべきなのか

主業であろうが副業(複業)であろうが関係なく、金銭的資産を増加することや日々の生活を豊かに送るために仕事をしているはずで、逆をいえば十分に生活ができるような琴線状態を確保できるのだとしたら仕事なんてしたくない人のほうが大半でしょう。

ただ、仕事によって社会の一員や組織の歯車になることを実感することが生きていることや生活していることを実感する一つの事柄になることを実感している人もいるでしょうし、仕事に「やりがい」とやらを求める人もいることは否定しません。中には「やりがい搾取」だと表現されてしまうような悲しい就労環境や条件もあったりするものですから、たしかに「やりがい」とやらは存在しているのでしょう。

身銭を稼ぐ以上のことを仕事に求めることは就労者全員がすべきなのかといったら、別にそんなことをしなくてもいいだろうと思うわけですが、同時に「それを求めでもしなければやってられない」側面があるのかもしれませんが、本当にそこまで求めるべきなのでしょうか。

経営者や創業者は自らの手掛ける事業を推し進めるために仲間が必要ですから、自らのことばで説明して同調してくれる人たちを求めては相応の条件を提示しながら一緒に汗をかくことを繰り返していくはずです。ところが順調に事業が展開し、組織が拡大していくにあたって徐々に目が届かなくなっていきます。善し悪しではなく、人の視野や注意できる範囲には限界があるのですから仕方ありません。

そうなると創業時の思いや志なんてものはコーラの原液みたいなもので、就労者目線で考えれば画面上や人づてでしか授受することができなくなりますから、ずいぶんと薄まったものを見聞きすることになります。

薄まったカルピスを飲んだときと原液のカルピスを飲んだ時に濃淡の差は明らかですが、就労するかどうかの判断をする際に志などを薄まった状態で受け取らなければならないのだとしたら、果たして身銭を稼ぐ以上のことを求めたところで本当に自らが満足するような状態で就労し続けられるのかというと甚だ疑問でしかありません。

主業だろうが副業(複業)だろうが、自らのスキルや能力を提供して身銭を稼ぐこと以上の事柄を仕事や業務に求めるべきなのかどうかは冷静に考えたほうがいいといえるのではないでしょうか。

時間の切り売りだけにならないようにする

副業や複業を取り組みたいと考える人たちが注意しなければならないのは、時間の切り売りでしか対価を得ることができないものに取り組むだけにとどまることがないようにすべきってことです。

たとえば、コンビニのアルバイトを深夜帯に行って得られるのは深夜の割増賃金分ぐらいなもので、それこそ誰でもいい仕事を時間を切り売りする”だけ”になってしまいます。いくらコンビニのアルバイトを効率的に行えるようになったところで自らの時給が1,000円から2,000円に跳ね上がることはありません。なぜなら、コンビニの深夜帯アルバイトで求められているのは「与えられた時間を卒なくこなすこと」のみだからで、それ以上でもそれ以下でもありません。

時間の切り売りで対価を得る就業形態の場合、そこから抜き出ることは難しいため自らの就労スキルを高めることにつながりづらいのです。これは善し悪しではなく、構造的な問題ですから個人ががんばったところで解決することはできないのです。

それでも身銭を稼ぐために必要だからという理由で時間を切り売りすることは仕方ないでしょうが、もし仮に自らの時間単価を引き上げたいと考えているのであればアルバイト程度の時給しかもらえない、時間の切り売りをするような就労条件で働くことを避けるべきです。

「いや、どうしたらいいのかわからない!」

そんな場合は、CrowdWorksやLancersなどのクラウドソーシングサイトに登録し、時間単価の低い仕事を受注することから始めてみたらいいでしょう。どうすれば自らの時間単価をあげられるのか、時間単価ではなく別の売り方をするためには何を身に着けたらいいのか。そんなことを実際に自分で仕事を受注しながら考えることによって自らに何が足りていて何が足りていないのかを実感することになります。

そこに自らのやりがいを含めるべきなのかというと、ぼくは含めるべきではないと考えています。やりがいを求めるのであれば趣味でやるべきで、趣味をできる時間を確保することを優先しましょう。

業務として請け負うのであれば、相応のスキルと経験が求められますし、委託や準委託契約などを請け負うことは責任が伴うものです。契約書を何枚も交わしていくことは、自らのスキルや経験を活かすことへの責務を負うことになりますから、その覚悟をもって取り組むべきでしょう。

こんな風に偉そうな物言いをしているものの、ぼくもまだまだな人間なので毎日妻さんから「利益は!?」と詰められてます…。ツライけど、がんばるしかありません。

ではでは。

えんどう

紹介したいnote

複業に関する壁をわかりやすく記載してくれていますから、ぼくのnoteを読まずとも西村さんのnoteを読むことで完結します。ぼくは図解することを面倒に感じてしまい、どうにかテキストだけで済まそうとしてしまってますから、この差が複業をできるかどうかの差でもあります。

なぜ、ここまで副業だとか複業がもてはやされるような状態になってしまっているのかっていうと、働き方が多様化したとかっていい方ができる以上に、企業側に余裕がなくなってきつつありながら就労者側もそれを見透かしはじめてるってこともあるでしょうね。

30代になった以上に子どもとの生活をはじめてからは常に何を持って幸福なのかを常に考えているような状態です。だから常に迷子だって話でもありますし、フラフラしてるのもそれが理由なのかもしれません。こんなことを書くと妻さんから「いいから稼げよ!」ってどヤされますが…


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