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生活と仕事は切り離せないから公私混同的に全体最適を図ること

ようこそ、お越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

バリバリに有能なできる側の人間でないことは本note内で散々記載してきたが、改めて記載しておこう。おそらく大半の人は謙遜しながら「いやいや、自分なんてまだまだですよ。」みたいなことを述べるだろうが、ぼくはそれを地で行くマンだ。

ぼくと共に就労をしたことがある人たちならば「あぁ...(笑)」といった具合に、ちょっと冷ややかな笑みを浮かべつつ、ぼくを見やってくるはずだ。それぐらいにぼくは誇れるような人間ではないのだが、少なくとも家族は大事にしたいと思っている派閥ではある。

家族とともに暮らす、というよりも妻さんと「自宅での負担按分について」や「子どもたちとの時間按分」などに頭を悩ませる日々で、仕事は仕事で大事だと認識しながらも比重としては家族のほうが重たくなっているのが実情だ。

「ワーク・ライフ・バランス」といった言葉が耳目されるようになり、仕事と遊びというか生活のバランスを保とう!だなんてお題目が掲げられるようになったが、ぼくは「ワーク・ライフ・バランス」とやらが嫌いだ。

その理由も兼ねつつ「全体最適」とか「全体統合」の話だろうってことを考えてみたい。

▶︎ 目指すべきは全体最適や全体統合

ワーク・ライフ・バランスとは、仕事はツライものであるのだけど生活で回復できるように均等性を持てるような状態を作って維持していこう。こんな発想だ。

いいたいことはわかる。仕事と生活は取り組む場所が異なることによって切り分けられ、明らかに分断されてきた。オフィスはリビングではないし、キッチンは給湯室ではないうえに応接室はダイニングではない。

当然といえば当然だとみえるような事柄であるが、そこを切り分けることが段々と難しくなってきているのが現状だろう。

職場でのみ利用するPCなどの貸与端末を操作できないのだとしたら、実質的にオフィスに居るときのみ仕事をすればよかっただろうが、Social MediaにSNSが発展しただけでなくLINEなどのメッセンジャーツールも普及したことで、個人の端末で連絡が取り交わせるようになってしまった。

会社のメールで連絡がつかない場合には、各々が所持している個人端末にインストールされているアプリケーションを通じて「仕事の連絡」ができるようになったわけだが、これを便利だとか有益な状態であると認識しているのは雇用主側、ひいては幹部クラスだけだろう。

末端の社員レベルで、それを喜べるひとは多くはないはずだ。

以下は世界の大手総合旅行ブランの一つであるエクスペディアが毎年「有給休暇の国際比較調査」をしており、その結果の一部だが「休暇中に連絡を遮断するか」に対し、 「しない」と回答した人の割合は43%だそうで、能動的に「しない」のではなく「できない」のほうが適切っぽい。

「休暇中に連絡を遮断するか」に対し、 「しない」と回答した人の割合
「有給休暇の国際比較調査」エクスペディア・ジャパン

もう切り離せていないのだ。

こうなってくると、ワークとライフを分断して「均等性(バランス)を保ちましょうね!」といったところで、甚だ無理な話だと拒絶されてもおかしくはないし、もう仕事と生活は別であるとする前提は成立することが難しくなっているのが実情だ。

▷ ワーク・ライフ・バランスは部分最適

ワーク・ライフ・バランスは生活と仕事を分断する考え方のもとに行わる最適化だ。最適化と言っても全体最適しているわけではなく、部分最適しているだけである。

経営者層というか幹部層は、そもそも会社の舵取りをすることが前提だから、仕事と生活の分断なんてものは起こり得ない。遊びのような飲み会に行くことで受注や商談の機会を得ることにもつながる「関係」を構築できるような機会になる。

彼らの場合、一挙手一投足が仕事であり生活の一部になっているからこそ、部下たちにも同様の姿勢や態度を求める。就業時間を過ぎてからプライベート用の個人端末に連絡をすることもいとわないわけだが、それはあまりにも「つながらない権利」を無視している態度だ。

ワーク・ライフ・バランスの観点から考えると、個人端末に会社の上司から就業時間外に連絡が来るような事が起こっている時点で破綻する。しかも従業員側からすると拒否できるような雰囲気や空気ではないし、それを拒否することによって起こる不利益を恐れるために従うしかない。

ここで何が起こっているのかといえば、上司側は生活と仕事を統合しているのにも関わらず、部下側は統合しないことで自身の生活を守ろうとしているのだ。

ここで上司側に肩を持つつもりは微塵もない。立場や役割が異なるのだから同様のことを求めるのは明らかに行き過ぎた要望であって、「同じだけの視座と意識を持つことが大事」などと説教じみたことを述べられるものでもないことを気づくべきだろう。

「四六時中、仕事のことを考えているから思いついたと気に連絡しないと忘れちゃう」などと聞くこともあるが、そんなもの自分専用のメモアプリ内で済ませておくべきで、そこに指示を出される側の部下が同じ熱量で対応してくれると思っているのだとしたら大きな勘違いである。

▷ 「車と運転」ではなく「移動」への統合

上司側が悪いとは思わない。かといって部下側が間違っているとも思わない。仕事と生活のバランスを保とうとする思考自体が成立しづらくなっているのではないか。

この上司と部下の関係における「生活と仕事の切り離し問題」は「FUN TO DRIVE」を掲げ、運転する楽しさを追求してきたTOYOTAの、EVや自動運転Vの時代になってきた現代において運転を楽しむものであるとすることが難しくなっているのと似ている。

自動運転が普及しようものなら、車は電車やバス、タクシーと同様、移動手段にしかなりえない。Teslaはハンドルもペダルも持たないタクシー「ロボタクシー」を2024年に製造開始であることをCEOのイーロン・マスクが述べている。

Teslaだけではなく、GM(ゼネラル・モーターズ)でもスマートフォンの専用アプリでタクシーを呼び、ドライバーの乗っていない自動運転タクシーが目的地まで運んでくれるサービスをサンフランシスコで”一般利用者向け”も提供を開始した。

ワーク・ライフ・バランスの議論は、そんな潮流の中でも「車と運転」は切り離して考えるべきだと述べているようなものであり、それを求めているのが車や運転するのが好きな人たちのような構造だ。根本的には「移動」で括られれば済む話なのに、どうもそこに向かない。

TOYOTAの例を出せば、ハードとして車のみを売ること自体に意味や意義がなくなっていくことになり、JRが担っている運行システムをどう構築するのかといった基幹システムやアプリケーションといったソフトウェア領域になってくる。

つまり、自動車業界でシェア率が云々としていたことは既に20年前には終えていなければならなかったのだ。いま、TOYOTAの競合は日産でもGMでもない。少し広げてボーイングやエアバスなどでもない。Googleなどをはじめとしたソフトウェア事業者だといっても過言ではない。

こういった認識の齟齬みたいなものが、個人の生活と仕事の関係でも起こっている。

▷ 単一視点ではなく統合的な視点から生活を見る

仕事を個人で請け負うような人たちは、ライフとワークを切り分けて考えることなどできなくなっている。この点は企業に属する幹部層と同様で、彼らは日常生活の中で培う交流等から自身のワークにおける種を模索していたりするのだ。

この流れになると会社員側が認識を変革する必要があるのだと思いがちだがそうではない。企業に所属する多くの会社員は仕事の裁量・決済権がないのだから、統合的な視点や認識を持つことなど不可能に近いだろう。

それを決済権限のある幹部層が同様の認識や視点を持て、なんてことは強要できない。

あくまでも私見ではあるが、そもそも生活があるからこその仕事であり、生きていなければ仕事なんてできるものではないのだから生活を前提にすべきだろう。

「自分自身がどう生きるのか/どう生きたいのか」といった人生における統合視点を持つことで、どんな仕事をすべきなのか、どんな収入を得たいのか、どんな生活がしたいのかから逆算しやすくなる。

あくまでも個人の生存戦略として、どんな生き方をしたいのかを考えることは重要なはずで、これは「いまの状態」を前提にしていると考えられない可能性すらある。

しかし、それを乗り越えて考えてみるだけで有益な人生を送れる可能性があるのなら、全力で振り切ったほうがいいだろう。そこに会社の事情だとか何とかを説かれたとしても関係ない。人生は自分のものだ

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

リモートワークとプロ化
会社員がプロなのか問題があるが、フリーランスで仕事を請け負っている人たちはプロだろう。ただ、会社といった枠組みによって仕事が湧いてきて上から降ってくるような状態を貪っているのだとしたら、それはプロではないのだろう。仕事をこなせるのと請け負えるのは別問題なのだ。

リモートワークとは
リモートワークとかテレワークが認識、普及している現状を指しているからこそ、今回のような議題を考えることができるのだろう。あとは、それをどう物理的な環境と相容れるようにしていくのかで、そこは個人での工夫が強く求められる部分でもある。

糸井重里(Twitterより)
ぼくの根本はこんな風に考えていることにある。

▷ 紹介したい関連書籍

すいません、ほぼ日の経営。
実は過去にほぼ日へ応募したことがある。その後に出された本書を読み、応募したことを誇りにすら思えたことをいまでも鮮明に覚えている。

▷ えんどうのTwitterアカウント

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

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