見出し画像

リモートワークとプロ化

コロナウイルスの影響でリモートワークが増えた。人々が一箇所に集うのをやめリモートになることで何が起きるのか。得られるものは何で、失われるものは何か。どういうやり方をすれば価値を出せるのか。

得られるものは自由と集中ではないか。都市圏は同じ時間で出勤するため満員電車に耐えなければならなかった。これがないだけでストレスのかなりの部分は軽減されるだろう。また、もし乱暴に仕事を

・自分で集中してやるもの
・人とコミュニケーションをしながら行うもの

の二種類に分ければ、前者はむしろリモートの方が向いている。

失われるものは、着想と一体感だろう。着想は計画できない。だらだら無為に思える時間を誰かと過ごす中で生まれやすい。一人で着想し続けるのは一部の才ある人に限られる。また、一体感も失われる。人間は同じ時間を同じ場所で過ごすと相手の行動や言動の背景が理解できるようになり、信頼感を持つ。異変の気付けるのも普段を知っているからだ。おそらくリモートが本格化されると、鬱になりそうな人を事前に救い上げるということもできなくなる。

無から何かを着想し、混沌の中から価値を生み出していく仕事にはリモートは向いていないように思う。着想は人との交流の中から生まれやすく、無から有に至る混沌状態では仕事の切り分けが難しい。

一方、既にモデルが出来上がり業務の整理がついている段階では、リモートが向いているように思う。無駄話を避け、無駄な出勤を避け、無駄な内部政治を避けることができる。何よりのメリットは結果で評価される安心感。どこで何をやっていてもアウトプットだけでいい。反対に家でいくら努力している姿勢をアピールしても響かない。

ではリモートが当たり前になった世界ではどんな人間が生き残れるか。
1、言語が正確で堪能であること
2、前置きが長くないこと
3、指示が明確であること
4、長文ではなく短文で反応が早いこと
5、想像力・共感力があること
リモートの本質は、非言語領域の情報が極端に減ることだ。言語が正確に扱えなければリモートは辛い。

リモートの到来は、プロ化の到来に感じられる。リモートがいいのか悪いのかではなく、自分が行っている仕事にどちらがより向いているのかの方が適切な問いかけだろう。

リモートにおいてはある程度何ができるかがはっきりしていなければならないだろう。何もしていなかった人がはっきりと見える。また、自分の成長は自分の責任になり、浮かない表情で座っていたら誰かが声をかけて助けてくれることもない。自分で自分の心の状態を観察し、健康に保たなければならない。自分で自分を成長させ、時間を管理し、苦しければ助けを呼び、期待される結果を出す必要がある。つまりは、リモートワークとはセルフコーチングの始まりとも言える。

それは辛いことでもあるけれども、自由なことでもある。私が出している価値はなんだったのかが今、問われている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?