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勧善懲悪しかない人へ

 我が家の長男や次男だ。

 御多分に洩れず、我が家の子どもたちは仮面ライダーに戦隊モノも大好き。彼らのような年代に向けて作成されているからだとは思うけど、勧善懲悪がハッキリと分かれているのが特徴なのは当然と言えば当然かもしれません。

 ただ、勧善懲悪的な構成にはなっているものの、物語自体は決して安易な「悪者やっつけよーぜ」で終わらず、ぼくみたいな年齢の人間がやっと納得というか理解できるような内容になっているのも珍しくありません

 一つ前の仮面ライダーの脚本家は、ドラマ「3年A組」や「クローズZERO」、「電車男」などを手がけた武藤将吾さんが担当されていまして、ぼくも大好きな作品でした。

 一話あたりに入ってる情報量がとんでもなく多いため、放送開始第一話から情報の整理が追いつくのに時間が必要でした。

 正直、我が家の長男や次男が見ていても、理解が追いつくなんて「ありえないだろうな」と思えるほどの情報量と展開の早さには舌を巻くぐらいのもので、ぼくとしては非常に満足度の高い作品だったのはいうまでもありません。

 物語としても所々で伏線を張り、抑揚をつけ、「うわぁ...まじかぁ...」なんて思う場面もたくさんありましたし、第一話と最終話で円環したのを確信した瞬間の喜びは、それはそれは大きなものでした。

 しかしですね、子どもたちにとっては大人のぼくが喜ぼうが何しようが関係なく「悪い奴をやっつける」姿に興奮し、主人公である仮面ライダーの味方がやられようものなら「悪い奴が憎い!」となり、騒動の根源たるラスボスが倒されようものなら「やったぜ!」って満足していました。

 すべてを理解しているわけではないものの、物語の端々を彼らなりに理解しているようで、驚く解釈を説明を受ける機会もありましたが、わかりやすい勧善懲悪の世界観にドップリと浸かっていたし、今もそうです。

 それがいいとか悪いとかって話ではなくて、そんな彼らが生きている世界は「勧善懲悪だけ」ではないのだと理解するのはいつなんだろうなぁ、と。同時に、そのための幇助(ほうじょ)として何ができるんだろうなぁ、なんて考えるんですよね。

 ぼくは〇〇力って表現があんまりしっくりきていないのですが、便宜的に使いやすいので使います。今回でいえば、理解力なんて能力があるのだとしたら、それが育まれるのは何が前提になるからなんでしょうか。

 おそらくなのですが「ポジティブ/ネガティブな心理的な経験」なのではないか、と考えてます。ぼくがこれまで生きてきた中で感じている理解を深める上での前提条件ですね。

 「100%同意する」って、正直、あんまりないと思うんですよ。いわゆる大人になればなるほどに。

 たとえば、時の政権をどの政党が握っていて、そこから選ばれた総理は誰で、その総理が中心となって選んだ大臣たちは誰々で...なんて具合にして、いろいろな「人」が出てくれば出てくる分だけ思惑や思想といった考え方が多様化します。

 その多様化する思考すべてに対して「100%同意できる」なんてありえない話で、勧善懲悪の世界観なんて当てはまりようがありません。

 「納得はしないけど理解はした」って状況、大人になってから数回では済まない具合に経験してきたのですが、それって「0 or 100の世界観」ではありえない状況です。

 白黒ハッキリ、なんて言いますが、それができるためには条件が必要で、「それしか選択肢がない」もしくは「選択肢を限定する」以外にありません。

 上の話でいう政治の話なんて、日本国内だけでも1億2,000万人もの人が暮らしている中で年齢や性別が異なるのはもちろん、そこに変数的に収入や住んでる地域なども違ってくるのだから、0 or 100でなんて無理です。そこに諸外国との折衝まで絡んでくるのだから、余計に制御が難しくなります。

 ただ、世の中にはどうしても勧善懲悪的に、0 or 100でカタをつけないと納得できない人はいますし、そうしないと理解ができない人は確かに出会ってきました。

 大人になっているその人たちに「心理的にポジティブ/ ネガティブな経験を積んでください」なんて言えるわけありませんし、いっても「きっかけ」にはなり得るかもしれませんが、既に時期として遅いような気もしています。

 凝り固まった思考に陥らないためには、可能な限り"経験値"を高めながら行動を繰り返す他にないだろうな、と思った次第なのですが、それだけでは不足な気もしています。

 我が家で共に生活をする子どもたちに対して「可能な限り経験値を増やす」状況や環境を用意するってのはもちろんなのですが、同時に「感情表現」に対して刺激を与えるやりとりも必要なんじゃないかって思ってます。

 彼らが自ら知識を取得するのも必要でしょうし、取得した知識や経験を伝達するのを繰り返す必要もあるでしょう。ぼくや妻だけが必死になっても仕方のないことです。

 それをぼくや妻だけでやろうとするのには限界がありますから、誰に協力を得るのがいいか、どうやって得ていくのか、どこで得る機会をつくるのか。

 なんだか課題が絞られたようで、余計に膨らんだような気もしますが、とにかく勧善懲悪に縛られない、いわゆる「感性」を身につけてもらうためには、また試行錯誤していく必要があるってのが確実なのはわかりました。

 まぁ、あーだこーだ言ってるだけだと始まらないので、思いついたらやってみながら考えます。


 今日もお読みいただき、ありがとうございます。長男の体調が上向いてきたのですが、それに伴い家庭内の空気もパッと明るくなりますね。やっぱり体調が悪いのはいろいろとツラいです。

ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。

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