「学校から帰ってきて友人と遊べる」ができることは本当にすばらしいこと
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
ちょっとバタバタと焦りながら追い立てられながら…ってな具合に過ごすこととなっており、少しとちょっと停滞気味な日々を過ごしておりますが、新年度となり、学年が上がった小学生の長男くんと次男くんがイキイキと生活できていることを素直にうれしく思います。
これをお読みいただく方々の中にはご存じの方もいらっしゃるでしょうが、我が家の長男くんは不登校でした。「でした」と書いているのは、学校に毎日いけるようになったとか、そう言うことではなく、本人が学校にも自宅にもフリースクールといったそれぞれの場所を「居場所」として実感してくれるようになったから。
居場所を実感するようになるってどういうことかといえば、二の足を踏むことなく、「いく」のだと彼自身が決断と行動を取ることができること。具体的にいえば、「今日は〇〇だな」と自身の予定を確認し、その時間に合わせて準備し、出向き、帰ってくるといった工程をできることです。
学校に関しては、「交流級」と呼ばれる一般的な学級と、特別な配慮や支援が必要な児童・生徒が通う「特別支援級」とがありますが、長男くんは昨年度の途中から特別支援級へ転籍することで明確に自らの居場所を確保するに至りました。
居場所を確保できたと実感してからはメキメキと、なんて言えればいいのですが、ゆっくりと時間をかけながら、これまで手にできなかった何かしらを拾い集めるような形で「できること、やれること」「できそうなこと、やれそうなこと」を取り組むことで、徐々に小学生っぽい自信みたいなものを身につけることに。
近所に住む同級生と共に学校へ登校すること。
できませんでしたが、今では使うことはなくなってしまったのかなぁ…それでも仕方ないかぁ…なんて眺めていたランドセルを背負いながら元気に歩いていく後ろ姿を見ることができるようになりました。
学校から帰ってきて「今日の様子」を話してくれること。
不登校状態となっていた時期は自宅にいるしかありませんでしたから、今日の様子は何もかも把握できていました。学校に行くと、そうやって事細やかに把握することはできませんが、帰ってくるなり興奮した様子で話をしてくれることに喜びを感じざるを得ません。
帰宅後、友人と時間を合わせて遊ぶこと。
学校に通うことができている次男くんが「〇〇くんと遊べるらしいんだけど、行ってもいい?」と聞いてきて嬉々として走っていく姿を見ながら「オレもああやって遊びに行きたい」と涙を流していました。いまは、次男くんの友人と長男くんの友人を含めて4名で彼らの部屋で一緒にケタケタと笑いながら遊んでいます。
これ、「普通のこと」だと思う親御さんも多いでしょうが、そうやって普通だと思い込んでいることも普通ではないのだと実感をしたことで、何気ない日常にある交流や言動、行動を噛み締めることができています。
みながみな、不登校状態になればいいとは思いませんし、そうなってから「普通のこと」に気づくことがすばらしいだなんてことを微塵も思いませんよ。ただ、小学生たちが何気なくやっている青い春の前段階時期ってのも、傍らで見ていると趣きのあるものなんだなぁ…なんて思うのです。
あくまでも、我が家の場合って前提付きになるので、不登校に向き合っているご家庭すべてに当てはまるとは思いませんが、少なくとも、学校に居場所を感じられないのであれば、それはそれとして受け止める他にありません。
学校には行くもんだと親の勝手な思い込みを押し付け、強要するような態度をとってしまっては、自宅にすら居場所を感じられなくなってしまいかねません。結果、部屋の中って絶対領域から出られなくなることから「引きこもり」がはじまるんじゃないかと思ったりもするわけです。
いずれにしても、彼が自身で成長みたいなものを実感できたことが何よりです。
あ、不登校関連のnoteがいかにまとまっているので、興味がある方は覗いてみてください。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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