美しい港には原子炉があった『釣りバカ日誌』と原子力発電所の関係(週刊現代 2011年5月7日・14日)原子力発電所の立地(東京湾沿岸には火力発電所のみ設置)関東大震災から100年
関東地方では、今朝、携帯電話の鳴動(緊急地震速報)で大勢が目覚めたようです。
5月5日から能登地方で地震が続く中、動揺した方も少なくないようですが、(大正12年に発生した)相模湾(諸説あり)を震源とする関東大震災から100年の節目にあたる2023年は、(日清戦争が始まった明治27年に発生した)荒川河口を震源とする明治東京地震から129年目、(幕末、天璋院(篤姫)が徳川家定(第13代将軍)に輿入れした前年に発生した)東京湾北部を震源とする安政江戸地震から178年目にあたります。
関東大震災では200万人が被災し10万人以上が命を落としたそうですが、100年前の東京や関東地方には現在の1/4程度の人口しか住んでおらず、高さ52mの凌雲閣(浅草十二階)等を除き、街には高層建築物は殆どなく、庶民も、立体長屋(アパートや低層・中層・高層マンション)ではなく、平面長屋やせいぜい2階建ての家屋で暮らしていました。
アメリカや(一部の国々を除く)欧州各国とは異なり、政治も経済も皇室も官庁も大学も全てが過度に集中している首都圏で大きな地震が発生すれば、日本全体が凋落することは目に見えていますが、3年に渡るコロナ禍の下でも地方への分散は進みませんでした。
先日、文化庁が主要な機能を京都へ移しましたが、非常時には(政治や官庁は無理でも)せめて皇室だけでも関東周辺の御用邸や155年ぶりに京都へ避難する準備が整っているとよいのですが。
さて、水素爆発とメルトダウンから12年が経ち、自民党と経済産業省が原子力発電の復権へと舵を切る中、大きな地震が起きる度に発電所の一覧図を眺めますが、大量の電気を消費する大都市周辺には原子力発電所は存在しません。
危険でなければ、東京湾岸や湘南海岸や九十九里浜の地盤の強固な場所にも原子力発電所がありそうなものですが、誰も危ない橋は渡らないようです。
原子力発電所の立地に関連して、東日本大震災の2ヶ月後に発売された週刊現代(2011年5月7日・14日合併号)に掲載された記事「『釣りバカ日誌』と原子力発電所の関係」を思い出しました。
釣りバカ日誌シリーズ(映画)のうち1990年代に公開された(栗山富夫氏が監督した)作品には浜岡原発、高浜原発、敦賀原発、福島原発、川内原発、等の近くで(発電所は写っていませんが)ロケーション撮影された作品があります。また、釣りバカ日誌7のエンド・クレジットには「協力」カテゴリー(自社の製品やサービスを供与するケースもありますが、おそらく、前売鑑賞券の大量購入)に電力会社3社(関西電力、北陸電力、日本原子力発電(日本原電))が名を連ねています。
原子炉の冷却に(欧米のように河川水ではなく)海水を使用するために、日本の原子力発電所は沿岸部の過疎地に建設されてきたので、原子力発電所の所在地周辺が釣りバカ日誌シリーズ(映画)のロケ地に選ばれたことは自然な流れであったのかもしれません。
また、発電所が立地する市町村は財政的に余裕があり(ロケ地として映画やテレビドラマの撮影を誘致する活動を含む)様々な町興しに積極的であったのかもしれません。
詳しくは、週刊現代(2011年5月7日・14日合併号)に掲載された記事「『釣りバカ日誌』と原子力発電所の関係」をご覧ください。
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