見出し画像

視点の自由研究No.120「視点_鮮やかな妥協点」

広告映像制作においてのあるあるの一つでしょうが、テロップの大きさや色などにおいてクリエイターサイドとクライアントサイドで思惑にすれ違いが起きるということはよくあることです。映像の見栄えを優先したいクリエイターサイドは、小さく細くしたテロップを入れたい。クライアントは広告効果を狙って大きく太くして視認性を高めたい。
制作プロデュースという立場にいるとこの板挟みによく出会います。
今回はそんな意見の相違に対する考えを深堀ってみたいと思います。

「どちらの言い分もわかる」

プロデュース業や広告代理業など、制作やクライアント事情から一歩引いた目線で見ている人たちは皆感じているかもしれません。
前述のような摩擦が起きた際、「どちらの言い分もわかる」が本音でしょう。さらに詰めて考えてしまえば、視聴者、生活者目線ではもはや「どっちでもいい」というのが本当かもしれません。

自分の経験を振り返っても、撮影時には大勢のスタッフがいることでの意見の通し方を難しくする雰囲気や、編集室での作業時間やこちらも大勢いる関係者からの目線で、納得させられてしまうということはよく見てきました。

あのなんとも言えない雰囲気は独特で、最後を押し切る際には逆にその空気感を使ったりもしたものですが、今は少し感覚として違ったものもあります。

「起業という経験」

最も大きな感覚の違いは起業が原因でした。サラリーマン時代とは違い、一つの商売を行うことでクライアントがどれだけの想いで広告出稿しているかの感覚がわかるようになったのです。
逆にクリエイターサイドの感覚も理解できているから、クライアントには無駄なお金を使って欲しくないなとも思っています。
自分の現場では、そうしたお互いの思惑が出しやすい環境を目指しています。やはり最後はお互いが納得できるか?にかかっている。
そんな共創ができた現場はいい広告になっていると思います。

「鮮やかな妥協点」

かつてあったクリエイターサイドからの強烈なこだわりは、今や影を潜めつつあるとも思います。広告としての機能が最優先される当たり前の時代になったのでしょう。
妥協という言葉はネガティブに聞こえますが、双方が歩み寄れるポイントは必ずあります。そんなポイントを鮮やかに導き出すことが今自分たちプロデュース業を生業としている者に求められていることだとも思います。
視点を引いていけば、人間という世界では、お互いに歩み寄ることが本当に求められることではないでしょうか。
世界には戦争がまだまだ残っています。お互いの正義をぶつけ合うことでしか生き残れないと考えている人たちがいるのは間違いありません。
そこにどこまで鮮やかな妥協点を設けることができるか?クリエイティブを仕事にした人間に求められる最も大きな仕事がそこにある気がしています。


映像でお困りの方、静岡で撮影されたい方、ぜひ一度お声掛けください。