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視点の自由研究No.147「視点_幸せの尺度」

幸せと聞いて何を連想しますか?
仕事などで大成功を収めたとき?子供ができた時?それとも何気ない平和な日常?
幸せというのは、当然ながら人それぞれ思うことに違いがあります。
今回は、幸せの捉え方について考えてみようと思います。意外にもクリエイティブの表現において文化的な意味合いがありそうなお話しです。

「東洋的幸せと西洋的幸せ」

日本という島国に生まれ育った私は、無意識的にも意識的にも日本独自の文化的素養のもと育っています。当然、そこにある文化的価値基準が刷り込まれていて、前述の「幸せ」のイメージにも大きな影響を与えています。

自分が結婚するとき、妻に書いた手紙にも「何気ない日常」に幸せを感じていることを書いたことがあります。この「何気ない日常」という幸せの尺度、実はかなり東洋的な幸せ観だそうです。穏やかで平和な日々が長く続いていくこと、日本などのアジア諸国では、宗教的また文化的価値観からそうした日常に価値を見出すんだそうです。

対して西洋、特にアメリカなどでは、短期的かつよりポジティブなことに対して幸せを感じるのだそうです。わかりやすく言えばハリウッド映画がイメージしやすいかもしれません。往年のハリウッド映画は、ビジネスや恋愛など大成功や恋の成就による幸せを描いてきました。所謂、ハッピーエンドという価値観です。

子供の時から日本の生活、日本人とのコミュニケーション、時にハリウッド映画など西洋文化にも触れて育ってきた中で、当然それに見合うような価値観も育まれてきました。今、こうして広告映像を作るようになって改めて幸せに代表される価値観について現場で問われることが多くなった気がするのは私だけではないはず。

「クリエイティブ表現における幸せの尺度」

グローバル化が進み、SDGsが求めれている社会で、クリエイティブにおける表現は、その繊細さがより求めれるようになりました。前述のような「幸せの尺度」も同じ日本人でも人によって大きく差が出ていると思います。

差別的な表現、誰かに不快感を与えてしまうかもしれない表現など、作り手たちは受け取り手の感情を絶えず読む必要があります。最近の企画打合せにおいても、企画の面白さや斬新さよりもコンプライアンス的な要素、ネガティブ表現のチェックに時間が割かれるようになりました。
数多くの大人たちがチェックしていたにも関わらず、そうしたチェックをすり抜けてしまい、ネガティブに捉えらてしまうコンテンツが今もあります。炎上してしまう表現たち。

作り手として、こうした現状を決して嘆いているわけではありません。むしろあって然るべきことだと思いますし、こうした文化的価値、社会的価値を重んじるからこその表現であるべきだと思うのです。こと広告においては送り手と受け手のコミュニケーションが取れていることが絶対的に必要なこと。

自分が新人時代から比べても大きな価値の変動はありました。そしてこれからも必ずあります。そうした尺度の変更の中だからこそ、ものを生み出していく面白さもある。広告に携わった人生だからこそ、価値の変遷による広告を見た時の愛おしさと作ることへの面白さがわかります。
単純な作業としての作り方よりも絶えず思考していく作り方の方が断然楽しい。
今もこの仕事を続けていく秘訣の一つかもしれません。

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