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Expat(駐在員)という生き方

前回グローバル企業の人事と題して、採用と育成についてお話ししました。

今回は異動と処遇、なかでも expat と呼ばれる駐在員の制度と実態についてお話しします。海外で働くことを考えている方、駐在員として働いた経験のある方にも読んでいただきたく、更にコメントなどいただければ尚幸いです。

グローバル企業には IAという駐在専門の社員がいる

当社では、社員の区分として Local と Global という2つの属性があります。
この属性は社員の mobility、つまり転勤が可能かどうかによって決められます。人事ファイルの ”Are you mobile?” という質問項目に Yes と答えればGlobal(またはRegional)、No と答えれば Local に分類されます。

Local に分類された社員には転勤がありません。
一事業所内の部署異動はあっても、転居をともなう人事異動はありません。

そもそも、世界の普通の会社には「転勤」という概念がないと思っています。
前回の採用の話では、セルビアからオランダに移住した女性の例を紹介しましたが、彼女は Local なのです。この先ずっとオランダで生きていくことを選択しています。就職のためにリロケートした彼女でも、転勤する気はないのです。

日本の会社は、社員をむやみやたら転勤させる傾向があるように思います。
独身のうちはまだいいかもしれませんが、家族持ちの社員に転勤を命じる神経が私には理解できません。配偶者の生活や仕事、子供の学校といった家族の都合は無視ですか?
単身赴任なんてふざけた制度があるのも日本くらいじゃないでしょうか。

話がそれましたね。ちょっと落ち着きましょう。

Global に分類された社員のなかには、IA というステイタスをもつ社員が存在します。
IA とは International Assignee の略で、会社の命令によってほぼ無制限にどこの国にでも赴任する、外国駐在専門の社員のことです。

IA の使命をひとことで言うなら、ベストプラクティスの移植です。
例えば、ハンガリーの業績が低迷していたとします。そこで、業績の好調なイタリアでマーケティングを統括している IA を、ハンガリーの GM として抜擢するわけです。
もうひとつの例として、エジプトの会社を買収したとします。エジプトにある工場を近代化するために、ドイツ工場の技術部長である IA をエジプトの工場長として派遣する、などです。

IAは、5年くらいの周期で転勤します。
ひとつの国でミッションを終えると、また次の国で新たなミッションを与えられる。基本的にはその繰り返しです。

当社には、全世界で約 6万人の社員がいます。IA は 1,000人以上いるので、全社員の 2%弱に相当します。

IA の給与、ベネフィット、暮らし

Local と IA とでは給与体系が異なります。
同等のポジションの Local社員と IA社員を比較した場合、基本給で 1.5 ~ 2倍程度の差があります。意外と差が小さい、と思われたかもしれません。
じつは、IA の最大のインセンティブはフリンジベネフィットにあります。

まず、IA の住居にかかる費用は会社が全額負担します。
各国の IA は過分にゴージャスな住居に住んでいるので、家賃だけで基本給の半分以上の額になることもあります。

家賃の次に大きいのは、子女の学費でしょう。
IA の子女は、現地のイギリス系の学校かインターナショナルスクールに通うのが常です。子女 1人にかかる学費は、日本円にして年間 200万 ~ 500万円ほどになります。こちらも会社が全額負担します。

他にも、カンパニーカーが与えられたり、配偶者の語学教育や会員制スポーツクラブのメンバーシップフィーなどが賄われたりしますが、上記の 2つに比べれば微々たるものです。

もうひとつ大きいのは税金の負担です。
ヨーロッパなどでは、高額所得者の所得税率が 50% ~ 60%にもなりますが、IAの所得税は会社が全額負担します。金額的にはこれが一番大きいかもしれません。

以上から、1人の IA にかかる年間コストは最低でも 60万ユーロ以上になります。

IA制度のもと会社の命令で外国に駐在している人を expat といいます。
expat はどのような暮らしをしているのでしょうか。

スイスに住むイギリス人 expat の家に招かれたことがあります。
広大な敷地にヴィラのような家とだだっ広い庭があり、可愛らしいポニーがいました。敷地内にテニスコートもありました。メイドが数名いました。
そこに住む expat 夫婦はごく普通の会社員で、ビールを飲みながら仕事の愚痴やバカ話に興じる愉快な人たちでした。

どういう人が IA になるのか?

ほとんどの IA は、最初から IA要員として採用された人たちです。
つまり、採用の時点で、IA としての労働条件を呑んだうえで契約書にサインしています。

能力要件としては、ネイティブかそれに近い英語力がマストで、もう 1ヵ国語(フランス語かスペイン語)くらい話せると尚可です。
学歴は必須ではありませんが、修士かそれ以上の学位 (degree) をもっている人が過半数です。
専門スキルは求められません。だいたい、スペシャリストと言われる人たちは Local 志向で、その専門能力を武器に何社も渡り歩くことはあっても、転居は好まない傾向があります。安定した収入と定住生活を求めるからこそ、スペシャリストの道を選ぶのではないでしょうか。

最低ラインとしては、英語ができて学士(日本でいえば4年制大学卒)をもっていればいい。つまり、IA 要員というのは、これといって特別な能力をもった人たちではないことがわかります。

ではどういう人が IA になるのかといえば、5年ごとの転居や危険地など過酷な環境で生きていくことも厭わないタフで適応力の高い人材だと言えます。

IA が犠牲にしているもの

すでにお気づきでしょうが、IA は大きなベネフィットを得る代わりに、とてつもない犠牲を払っています。

1) 生きていく場所を自分で決められない

住む場所にこだわりのない人は、そんなの平気だよ、と思うかもしれません。
でも、IA というのは基本的に途上国や危険地に赴任することが多いのです。
例えば、妻子のある身で、「スーダンに行け」と言われたら、行けますか?

私は無理です。

経済制裁を受けているため、モノがなく、衛生状態は最悪です。
南の方では慢性的に内戦が続いています。
アルコールは一切禁止です。入手すらできません。

本国に簡単に帰れない、というのも問題です。
とくに、慶弔関係で不自由を強いられます。
親友の結婚式にも出られませんし、親の葬式に出れない可能性もあります。

2) ひとつの土地に定着できない

世界中に友達ができていいじゃん、と思われるかもしれませんが、実際には逆です。

5年ごとに住む場所を変えていたら、友達などできないのです。
住んでいる間は友達ができても、その土地を去ったらいつか疎遠になります。
そしてあるとき、友達がひとりもいないことに気づくのです。

また、結婚できない、という問題もあります。
見知らぬ土地では出会いが少ないし、出会ってイイ感じになったとしても、なかなか結婚まではいきません。そもそも、どうせすぐにいなくなる人と結婚を前提にお付き合いしてくれる人など稀です。

友達ができないという問題は、子女にとってはさらに深刻です。
ただでさえ言葉の壁などがあってクラスメイトと打ち解けにくいのに、転校を繰り返すわけですから、友達などできるはずがありません。

3) 出世できない

意外に思われるかもしれませんが、グローバル企業における「エリート」というのは、基本的に転勤がない人たちです。
本社や重要拠点にずーっといて、幹部らキーパーソンとの人脈を築きながら、王道のキャリアパスを歩む人が順調に出世していくのが世の常です。

世界を転々とする IA は、エリートにはなれません

出世したとしても、カントリーマネージャーか、あまり重要でない拠点長止まりでしょう。

実態としては、本流のエリートになることを諦めた人、あるいはそもそもそんなものに興味のない人が、IA という道を選ぶのかもしれません。

Expat として生きて、よかったか?

結論から言いますと、よかった、と思っています。

理由は月並みです。広い世界を知ることができたから。
世界のいろんな人たちに出会えたし、多様な価値観や生き方があることを実感できました。

また、消極的な理由として、日本で働かなくてすんだ、というのがあります。
もともと、日本で働くことに嫌気が差したから選んだ道でした。
今でも、日本では働きたくないという考えに変わりはありません。

もちろん、犠牲にしたこともたくさんあります。
日本で働くのは嫌でも、住むだけなら日本が一番だと思っています。
そんな世界一住みたい国に長く住めなかったことは、それだけで大きなマイナスです。日本に住んでいたらもっとラクに楽しく過ごせたのに・・・と思うことがあります。

プライベートもかなり犠牲になっています。
私は結婚を 5回しています。
「誤解」ではありませんよ。「5回」です。
転居がトリガーを引いたり、特殊な環境でお互い疲弊したり、そもそも生きる場所を選べないことから生き方の違いが原因となったり、とにかく長続きしませんでした。


アフターコロナの働き方を考えると、オンライン会議の活用により出張が激減すると思われますが、IA制度はなくならないでしょう。海外出張がほぼなくなることで、むしろ expat の重要性は増すかもしれません。

海外で働く、とくに expat として生きることをお考えの方。
大きな犠牲を払ってでも、そこから得られるものの総和は計り知れない、ということをお伝えできたのなら恥を晒した甲斐もあったというものです。

追記:
この記事の続きとして、評価、昇進、社内政治について書きました。