「何者」でもない人にこそ、書ける記事
noteでは「何者」でもない自分の日記ですら価値があると思ってるし、noteでは検索で届けづらい層にもリーチしやすい。
noteを始めてから、有名ではない人の日やエッセイを読むことにハマってる。
それはきっとGoogle検索では辿り着けない記事で、検索で出会ったとしたら目的の記事ではないからすぐに読むのをやめてしまう様な記事。
問題を解決してくれる記事と救ってくれる記事
仕事のことで悩んでたら、問題を解決してくれるのは人材会社や転職のプロが書いた記事かもしれないけど、救ってくれるのは同じ様な境遇の人。
病気のことなら、医学の専門家の記事もいいけど、同じ状況の人の書いた記事の方が心に残ったり、救われたりする。
知識的な何かを学びたいのであれば、確かに、専門家やプロの文章の方が良い、間違いない。
でも、救われる文章だったり、誰かを救う文章って、「何者」である必要なくて、むしろ「何者」でもない人の記事にこそ、価値がある。
せっかくなら誰かに読んでもらいたいと思った
というか、そもそもこのnoteは誰に読まれようと思って始めたのではなく、自分の思考の変遷記録として、アウトプットの場として始めたものだった。
でも、ダッシュボードを見る様になってから、閲覧数やスキが少なからず気になってしまう様になった。一切気にせずに書くと決めたのにも関わらずだ。
そこでコメントを貰ったり、サポートを貰ったりするうちに、どうせ書くならやっぱり誰かに読んでもらいたい、1mmでも影響を与えることができたらいいなと思い始めてきた。
とりあえず書き続けよう
だから、とりあえず「こんな日記的なのを書いて何の意味が…」と感じたらいい意味で思考停止して書き続けようと決めた。
ネット上に書いてる利点として、これは残り続ける。
今は誰にも読まれず、役に立たない日記だとしても、1年後か2年後に誰かが読んで、誰かを助けることになるかもしれない。
ということで、そんな硬くならずに、ゆるく書き続けよう。
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