藤井大地

東アジア反日武装戦線関連事件の受刑者支援に関係しています。連合赤軍・日本赤軍・民族派等…

藤井大地

東アジア反日武装戦線関連事件の受刑者支援に関係しています。連合赤軍・日本赤軍・民族派等の活動についてもフィールドワークを中心に調査しています。

最近の記事

スナックバロン 最後の日

2022年4月24日。スナックバロン最後の日は、店主の植垣康博さん不在の中で迎えることになった。植垣さんは体調不良のため、既に入院していたのだ。 なじみの常連客であり、なんと10代のころから植垣さんを慕って店に来ていた(もちろん未成年当時はアルコール無しで店を楽しんでいたという)大学生のKくんを誘って静岡で合流し、店の前で待ち合わせ。まだ店は開いていない。今日は植垣さんに代わり、女性従業員が店を開けることになっているので、店の前で待たせてもらう。また一人、顔見知りの常連がや

    • 漫画 風が吹けば桶屋が儲かる

      • 再開します

        長らく休止していたnoteを再開することにした。 いま見返してみたら、2022年を最後に新規投稿はストップしていたので2年ぶりの再開だ。 休止していたことにこれといった理由はない。 強いて言えば、2022年は僕自身の精神状態があまり良くなかった。一種の神経症のような症状に苛まれて外出も困難な時期があり、やや回復してきたかと思えば一切の外部からの情報を受け付けられなくなったり、都市部への恐怖から過疎地に近い田舎へ休みの度に避難しているような日々が続いたりした。 この状態で自

        • ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出3 

          時は飛んで2022年2月。コロナ流行前は一か月に一回、多いときは数回はバロンを訪れていたし、連合赤軍やかつての学生運動を総括する集まりに参加する植垣さんと都内で会い、飲むことも多かった。 ところが2020年3月ころからのコロナ流行により、めっきりとその機会は減った。2020年11月ころ、多少はコロナ流行が緩和したため一度、バロンを訪れた。それ以後、バロンで飲む機会は無かった。 バロン自体は営業していたのだが、東京近辺から出かけることが憚られたためだ。 2022年2月、連合赤

        スナックバロン 最後の日

          ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出2

          新幹線を下り、静岡駅に降り立ったのは午後9時ころだったと思う。 静岡駅から伸びる地下道を歩き、地上に出ると、そこが繁華街。 僕の印象では若者が多いと思った。 スナックバロンはこの繁華街と、静岡市役所、葵区役所、警察署などが建ち並ぶ官庁街の境目にある。まさに静岡県内では最高の一等地と言える。かつてお尋ね者だった人が店を構えるにしては、ずいぶんと目立つ場所という印象を失礼ながら抱いた(その理由は後日わかった)。 店に向かいながら、植垣さんという人物がどんな人なのか、今も過激派な

          ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出2

          ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出1

          静岡県静岡市葵区呉服町。静岡駅からほど近い繁華街に、僕の好きなスナックが存在した。 その名も「ふしぎな酒場 スナックバロン」。 一体、なにが「ふしぎ」なんだろう? はっきりした答えは、この店が閉店、廃業した今になっても出ていない。だからこそ「ふしぎ」なのかもしれない。確かに、思い返せばこのお店に通って酒を飲み、多くの人と語り合った日々は「ふしぎ」だった。 今も夢のような気がするけど、夢ではない。 僕が心に描いていた多くの夢が、この店や、そこで出会った人々の間で交錯してこの世界

          ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出1

          安倍元首相国葬への抵抗 「写真射的」を断固支持する

          9月27日、安倍元首相の国葬が行われた。 国民の多くの反対、しかも安倍元首相が総裁を務めていた自民党内部からも慎重論が出ていた国葬である。 多くの識者が論じているように、現行の法律では、国葬は規定されていない。国葬法は戦後、廃止されている。 法的根拠の無いことに税金を投入するなんて許されるわけがない。国の仕事は、トップから末端の公務員に至るまで法に従って法の手続きを踏んで仕事をするのである。それが法治国家の行政だ。もし公務員や政治家の個人的な趣味が行政に好き放題に反映され

          安倍元首相国葬への抵抗 「写真射的」を断固支持する

          偽善劇場を演じることで権力の忠犬と成り下がった日本のニセ「左翼」

          タイトルの通り。 日本の左翼は一種のビジネスに近い。パフォーマンスと言ってもいい。

          偽善劇場を演じることで権力の忠犬と成り下がった日本のニセ「左翼」

          暴力という言葉

          問題の解決方法について「暴力はいけない」 これがすべての大前提として浸透している。 また私たちは普通「問題を話し合いで解決する」ことを至上価値のように、日々教育されている。教育とは学校だけではなく、メディアを通じて「暴力はだめだ、話し合いで」という価値観が常に流布されている。 さて、多くの場面で、他人が絡む問題に直面した時にその解決は示談(話し合い)=非暴力的解決手段の一つ、によって解決が図られている。 当事者同士の示談で和解しなければ、仲介が入るなり裁判に訴えるなり、どち

          暴力という言葉

          連合赤軍事件・50年目の埋葬地

          2022年。この年は連合赤軍事件が発覚した1972年から50年目になる。 僕が連合赤軍事件に関心を持ち、実際に関係者から話を聞いたり、現場を訪れたりし始めたのは5年ほど前。たった5年の間だが、人も場所も大きく変わりつつあることを実感している。 群馬県沼田市白沢。合併前は白沢村という自治体に属していた地域の山中2か所に、連合赤軍兵士のうち3名が埋葬されていた。 一つは、白沢村(旧)大字高平字小芝に山本順一さん(赤軍派)と大槻節子さん(革命左派)。もう一つは大字高平字高岩に金子

          連合赤軍事件・50年目の埋葬地

          戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 3

          福ちゃん荘で一晩を過ごし、翌朝。 シャーベット状の雪に覆われた山中の景色に一同は感嘆。 今日は山を下り、西沢渓谷の革命左派ベース跡を目指す。 昨夜と同じように、凍結した山道をソロソロと車間をとりながら下る。 明るい日の下で見る山の斜面に生える木々は低い。 「まだ若い木みたいですね」 「手入れされている山なんだろうね」 連合赤軍の兵士、総括によって死に追いやられた12人が埋葬された山の斜面も、しっかりと手入れのされた山だったと思い出した。 木々の幹には、何かワイヤーのような

          戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 3

          小池壮彦「山の上のホテル」の今 公開に当たって

          「山の上のホテル」について、僕が調べて分かったことがある。それを書こうとして、まず「予告編」を公開したのが2020年12月。 もう一年半になる。 これほど間が空いてしまったのは何故か。 「予告編」にも書いたことだが、この「山の上のホテル」は確かに存在するものである。そして現在も営業している。ただし、問題の廃屋はすでに解体され、存在しない。 小池氏の本の中では、このホテルと、ホテルの所在する温泉街について、思い切った仮説が述べられている。荒唐無稽と言ってしまえばそれまで

          小池壮彦「山の上のホテル」の今 公開に当たって

          戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 2

          小袖ベース跡を後にした一行。 車に乗り、減ってきたガソリンを入れてから小菅村の道の駅で食事。 食事の跡、次は大菩薩峠を目指す。正確には、大菩薩峠の登山道の途中にある山小屋「福ちゃん荘」が目的地で、今夜の宿である。 「宿のおばさんによると、もう雪が積もっているそうだ」 元闘士が教えてくれた。 僕の車はスタッドレスを履いているし、もう一台のミニバンはチェーンを携行している。が、僕も雪道走行は慣れているわけではない。二回ほど、大雪警報が出ている青森でレンタカーを運転したことがあるが

          戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 2

          戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 1

          未だ世間がコロナで騒ぎ出す前の2019年晩秋。 僕は連合赤軍とその前身組織である革命左派(日本共産党(革命左派)神奈川県委員会)と共産主義者同盟赤軍派のベース(アジト)跡を辿る旅に参加した。 連合赤軍とその前身組織による一連の事件を記録するために集まっている会があり、毎月例会を開いていて、たまに大規模な集会も開催している。そのメンバーにより「慰霊の旅」として行われた、「戦跡巡り」だ。 メンバーには、事件の当事者である元・革命左派や赤軍派の闘士もいる。当事者が50年近く前のこと

          戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 1

          赤く咲くのはケシの花

          僕が今住んでいるのは関東地方の某所。 田園地帯が広がる中に住宅地が点在する、東京近郊の田舎町だ。 初夏の陽気に汗ばむ5月のある日、近所を散歩していると、妖艶な色合いの花が目に飛び込んできた。 あらまあ・・・ このコボちゃんの頭ような蕾。 茎を包み込むようなギザギザの葉っぱ。 これは、実は日本国内では「不法ケシ」と呼ばれている。 麻薬の成分が含まれる、自生していてはいけないはずのケシなのだ。 アツミゲシ。セディゲルム種。 外来種で、昭和30年代ころに渥美半島あたりに上陸

          赤く咲くのはケシの花

          「みんな」の暴走がスターリン主義になる

          小山田圭吾の件はまだまだほじくり返すつもりだ。といっても小山田圭吾に対する個人攻撃は、もはや意味が乏しい。個人攻撃ではなく、小山田圭吾(とその取り巻き)が世にはばかることを許容するものの正体を暴くべきだ。 僕は小山田圭吾の出身の私学が掲げる理想と実態との歪みを、僕自身が見たまま書いてきた。もし僕が見た当時の状況が小山田圭吾在学時も同様であるならば、彼らの犯行が見逃されるというか、むしろ助長される環境だったというのが正直な感想だ。 それから当該私学の問題対処の仕方にも大いに

          「みんな」の暴走がスターリン主義になる