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ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出1

静岡県静岡市葵区呉服町。静岡駅からほど近い繁華街に、僕の好きなスナックが存在した。
その名も「ふしぎな酒場 スナックバロン」。
一体、なにが「ふしぎ」なんだろう?
はっきりした答えは、この店が閉店、廃業した今になっても出ていない。だからこそ「ふしぎ」なのかもしれない。確かに、思い返せばこのお店に通って酒を飲み、多くの人と語り合った日々は「ふしぎ」だった。
今も夢のような気がするけど、夢ではない。
僕が心に描いていた多くの夢が、この店や、そこで出会った人々の間で交錯してこの世界を作っているようにも思える。そういう意味では、確かに「ふしぎ」だった。

スナックバロンを知ったのは2016年ごろのことだったと思う。
当時、横浜市内に住んでいた僕は、新横浜駅近くのトレッサ横浜というショッピングモールで買い物をするのが毎週の習慣だった。
トレッサ横浜にはヴィレッジヴァンガードというマニアックな本やおもちゃ、駄菓子を扱うお店が入っていて、そこらの書店では手に入りにくいマニアックな本や漫画を見るのが楽しみだった。
ある日、ヴィレッジヴァンガードに入ると、「レッド」という大判の漫画が並んでいた。どうやら新左翼の学生運動を扱った漫画らしい。それも、連合赤軍事件を扱っていることが、ポップに書いてあった。
作者は山本直樹。見たことのある名前だったが、この人の漫画を読んだことがあるわけではない。ただ浅野いにおのエロ漫画が好きで読んでいたことがあり、その漫画を連載していた微エロ漫画雑誌のスーパーバイザー(監修)を、たしかこの山本直樹が務めていたのだった。その山本直樹が連合赤軍を描くとは、意外な組み合わせに思えたが、僕は政治運動や犯罪を扱ったテーマに興味がある。迷うことなく手に取り、レジへ行った。

漫画の内容は学生運動や労働者として政治運動に身を挺していた若者たちが、試行錯誤しながら闘争を重ねつつ、武装した革命党である赤色連盟(モデルは連合赤軍)を結成するも山中での潜伏中に総括の名のもとに凄惨なリンチ、処刑を惹き起こし、瓦解していくまでの物語だ。僕が読み始めた当時は、まだ講談社のイブニング誌上で連載中だった。実際の連合赤軍事件を忠実に漫画化したもので、巻末には事件関係者へインタビューもおまけで載っている。

実は、この漫画を読むより以前から連合赤軍関係の本をいくつか読んでいた。

最初に読んだのは、佐々淳行の「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋)。それを映画化した「突入せよ!あさま山荘事件」(原田眞人監督)もDVDを持っていた。次に、事件の犯人の一人、植垣康博氏による「兵士たちの連合赤軍」を持っていた。が。この本はたいへん長い上に、事件の経過だけでなく左翼理論のようなことも書いてあり、やたらと小難しく感じたので、未だ読破はしていなかった。

他にも永田洋子さんの「十六の墓標」、坂口弘さんの「あさま山荘1972」も読んだ。この2冊は「兵士たちの連合赤軍」よりも読みやすい印象だった。これらを読んだことがあるので、「レッド」が実に当事者の証言に忠実に描かれていることがわかった。作者の主観や創作はほとんど無いようだ。

僕は以前から、学生運動全盛の自分の父親世代が何を考えて学生運動に、また革命に身を投じたのかが気になっていた。「いちご白書をもう一度」のような、就職が決まって髪を切る者もいれば、就職も大卒の地位も捨てて革命を目指した者もいる。その情熱は何だったのか。現代の若者にはあまり見られない情熱だが、その根源を知りたかった。僕の両親は共にノンポリだったので、身近に学生運動に身を投じた人はいなかったし、まして非合法な武装闘争に関わった人もいない。

「レッド」の登場人物のうち、ほとんど主役のようなキーパーソンとなる岩木という青年は、植垣康博さんがモデルだ。植垣さんは弘前大学在学中に共産主義者同盟赤軍派に参加。ゲリラ隊の一員として銀行強盗(M作戦)に関わり、そのまま連合赤軍に参加し、同志リンチ・殺害の山岳ベース事件に巻き込まれる。植垣さんについてWikipediaを見ると、現在は出所して静岡市内でスナックを開いているという。これほどの大事件の当事者が既に出所しているという事実に驚いた。てっきり坂口弘さんのように死刑判決を受けなくても、無期になって事実上の終身刑に身を置いているものと思い込んでいたから。さらにスナックを開いて、だれもが会いに行けるということも驚きだった。調べてみると「突破者」で有名な宮崎学さんや、僕もよく知っている鈴木邦男(僕が以前、深く参加していた生長の家の先輩であり、新右翼(現在は思想団体)一水会の創設メンバーで現顧問)さんも頻繁に通っているようだ。

現在は社会生活を送っている人物とはいえ、少しは「怖い」という気持ちもあった。殺人事件で訴追された人物とかかわったことは無いし、まして現在も政治的なセクトとの関わりがあるかもしれない人物だ。それでも僕は植垣さんの店に行きたい、という衝動を抑えられなかった。若き日の植垣さんは、何を考えて人生を革命に捧げたのか。その情熱の根源を知りたかった。

たしか2016年の6月だったと思う。僕は静岡市のスナックバロンを訪れた。その日のことは次回に書く。







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