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連合赤軍事件・50年目の埋葬地

2022年。この年は連合赤軍事件が発覚した1972年から50年目になる。
僕が連合赤軍事件に関心を持ち、実際に関係者から話を聞いたり、現場を訪れたりし始めたのは5年ほど前。たった5年の間だが、人も場所も大きく変わりつつあることを実感している。

群馬県沼田市白沢。合併前は白沢村という自治体に属していた地域の山中2か所に、連合赤軍兵士のうち3名が埋葬されていた。
一つは、白沢村(旧)大字高平字小芝に山本順一さん(赤軍派)と大槻節子さん(革命左派)。もう一つは大字高平字高岩に金子みちよさん。
最初に訪れたのは2019年だったと思う。コロナ流行前だったのは間違いない。

埋葬地の場所は、関係者でもはっきりと記憶していない人が多い。そのうえ事件当時とは大きく地形が変化している。埋葬地付近は元から杉林だが、近年になって二車線の道が整備され、また利根沼田望郷ラインという県道も開通し、事件当時の山が切通しになり、元あった山道は廃道になっている。

埋葬地には、それぞれ遺体を発掘した群馬県警が設置した「群馬赤軍」と標された木の柱が立てられている。とはいえ正確な位置がわからない、地形も変わってしまった山中で、原形をとどめている保証もない木の柱を見つけるのは難しいと思われた。

2019年ころ、僕は2回にわたり山中を探索したが、見つけることができなかった。関係者から聞いた話では、小芝の埋葬地は利根沼田望郷ラインと山道の交差する付近に存在したが、道路工事のために完全に消滅したということだった。その情報も不確定なものだったが、長い年月の間に無くなっている可能性は高いと思われた。

3回目の探索で、山の中を歩きまわり、今回も見つけられなかったと肩を落として帰ろうとしたとき、ふと車を停めたところで視界に白い物体が山中に佇んでいるのを発見。それが高岩の埋葬地だった。
また小芝の埋葬地も発見。こちらは思ったよりも道路に近い、山道と望郷ラインの交差点付近にあり、よく工事で潰されなかったと感心するほどだった。
そのときのことは以前、記事にしている。

2022年2月、僕は再び埋葬地を訪ねてみることにした。

埋葬地がある白沢の山なみ

この日は晴れ時々雪、路面にも雪が積もり、山道を登るほどに深くなっていった。

旧・白沢村大字高平字高岩 金子みちよさん埋葬地(2022年2月)

金子みちよさんの埋葬地。ここの木柱は辛うじて「群馬」だけが判読可能だが、ほとんど朽ち果ててしまっている。
左の筒状の杭は、2年前に僕が場所が失われないように置いたもの。
そして、誰が置いたのか、小さい供物台が置かれていた。

供物台の花は、まだ色を失っていない。缶飲料は、赤ちゃん用のミルク。それにペットボトルの水。
金子みちよさんは、あさま山荘で逮捕され現在も千葉刑務所在監の吉野雅邦さんとの間の子供を身ごもったまま亡くなっている。つまり、この埋葬地は金子さんと、その赤ちゃんのものだ。
もしかしたら、ご遺族か、それとも吉野さんの関係者が最近、訪れたのかもしれないと思った。

旧・白沢村大字高平字小芝 山本順一さん、大槻節子さん埋葬地

もう一か所、小芝の埋葬地に行くのは大変だった。
この場所、利根沼田望郷ラインと交差する地点付近は、冬季の除雪が無い。四駆ならば何とか進入できるだろうか?という程の積雪で、僕のコンパクトカーでは冬タイヤを履いてはいても、とても登れる状態ではなかった。
途中で車を置いて、徒歩で向かうが、雪は路面にも30センチは積もっていて、靴の中まで雪が入ってしまった。

こちらは、小芝の埋葬地に比べると杭の保存状態は良い。だが、朽ち果てるのは時間の問題だろう。
花と花立ては、今回僕が供えたもの。
この写真の1メートルもない向こう側が、もう新しくできた道路。毎回思うが、よく工事で潰されずに残ったものだ。

連合赤軍事件の埋葬地は、もうひとつ高崎市倉渕の地蔵峠近くにある。
2022年2月27日、そこでは法要が行われ、僕も参列した。
その様子は次回、記事にしようと思う。


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