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さらば恋人よ 連合赤軍山岳ベース事件遺体遺棄現場 1

群馬県沼田市。関越自動車道を下りて、国道を日光方面へ走ると、赤城山を望む田園風景が広がる。

国道を折れて、ゴルフ場方面へ向かい、山道を10分も走れば、その現場はある。

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杉木立の中、ひっそりと立つ木の標柱。

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群馬赤軍

これは、連合赤軍による山岳ベース事件の遺体遺棄現場を示す標柱である。

群馬県警により設置されたようだ。

事件から半世紀近く立った今、辛うじて残っているものの、ボロボロに腐り土に還る寸前である。

現場は今でこそ道路が拡幅されて、杉林もしっかりと手入れされているが、事件当時(昭和47年)は道は林道のような狭い道があるばかりで、鬱蒼としていて、人の近寄らない山林だったという。

遺体遺棄現場はここだけではない。さらに山の上にも1箇所ある。また榛名山に近い地蔵峠に1箇所(その現場近くの養鶏場に石碑が立つ)、妙義山近くに1箇所。また山岳ベース事件前、革命左派(京浜安保共闘)による粛清沙汰では、千葉県の印旛沼に2名が遺棄された。

地元の商店主に当時の話を聞くと、静かな村(当時は合併前で、白沢村だった)に警察やマスコミが押し寄せ、大騒ぎになったという。山の上で過激派の若者が殺人事件を起こしたらしい、という話はどの村人も知るところになったが、現場について詳しいことまでは知らないようだった。とにかく、村中が大騒動になったことは記憶に残っているという。

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この木の柱が完全に朽ち果てる日は遠くないだろう。

警察やマスコミは狂気の沙汰として事件を扱った。冷たい土の中に埋められてまで成し遂げようとした夢があったことなど、多くの人は想像もしない。革命など身勝手な幻想と言えば、それまでだが。

筆者はこの山の中に行く度、イタリアの革命歌「ベラチャオ(邦題 さらば恋人よ)」を思い出す。

戦に果てなば さらばさらば恋人よ 戦に果てなば山に埋めてや

埋めてや かの山に さらばさらば恋人よ 埋めてやかの山に 花咲く下に

道行く人々 さらばさらば恋人よ 道行く人々 その花愛でん

そして日本語に訳されていない歌詞がある。イタリア語では、山に咲く花は自由のために死んだパルチザンの花だ、と歌う。

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