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ふしぎな酒場 スナックバロンの思い出3 

時は飛んで2022年2月。コロナ流行前は一か月に一回、多いときは数回はバロンを訪れていたし、連合赤軍やかつての学生運動を総括する集まりに参加する植垣さんと都内で会い、飲むことも多かった。
ところが2020年3月ころからのコロナ流行により、めっきりとその機会は減った。2020年11月ころ、多少はコロナ流行が緩和したため一度、バロンを訪れた。それ以後、バロンで飲む機会は無かった。
バロン自体は営業していたのだが、東京近辺から出かけることが憚られたためだ。

2022年2月、連合赤軍事件から50周年を迎えたこの月に多くの行事や当事者へのインタビューが企画されたが、植垣さんの健康面での問題が表面化したようだった。インタビューに出ている植垣さんも、ずいぶんと痩せていて、関係者・友人を心配させた。
2022年6月18日、東京都内で行われた「あさま山荘から50年 シンポジウム 多様な視点から考える連合赤軍」の案内文にも、「常連だった植垣康博さんも、今回の集会に参加できなくなりました。」とあった。

4月、僕は用があってバロンを訪れた。
そこに衝撃的な張り紙があった。


スナックバロン閉店。
ついにこの時がきたか、と思った。

この張り紙にあるように、スナックバロンは入居するビルのオーナーさんの厚意もあって、静岡県内屈指の一等地での営業を継続できたのだった。売り上げはそう良くはなかったようだ。かつては学生運動世代の人々で賑わったそうだが、その世代の高齢化、静岡市の空洞化で年々売り上げは減少していると植垣さんは嘆いていた。
「もうこの繁華街にも全然人がいないでしょ、まいっちゃったよ」と、毎回愚痴をこぼしていた。
さらにコロナ禍が追い打ちをかけ、遠方から植垣さんを慕って集まる常連客も店に行けない日々が続いた。そんな中、植垣さんも健康上の問題もあり、営業の継続は困難となったようだ。

4月24日、僕はスナックバロンの最後を見届けるべく、静岡を訪れた。

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