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『なぜ浪江を選んだのか』(福島民報「民報サロン」2021年9月11日寄稿)

 東日本大震災直後から、「東の食の会」という東北の食産業復興の団体を立上げ、福島をはじめ、東北の農業・漁業・食産業からヒーロー生産者やヒット商品を産み出す活動を行ってきました。
 立上げ以来、東京を拠点にしてきましたが、今年の四月から福島県浪江町に移住をしました。
 なぜこのタイミングで、なぜ浪江町なのか、とよく聞かれます。その理由は大きく二つあります。
 これまで、東北地方を回りながら食産業復興の活動をしてきましたが、福島十二市町村の避難指示がかかった区域では活動を行ってこられませんでした。浜通り地域を縦断する国道六号線を車で通るたび、バリケードで封鎖された町を横目に通り過ぎながら、無力感とともに、自分が一番難しい課題から逃げているような感覚を持っていました。
 私は、この地域の課題は「福島の課題」ではないと思っています。ここで起こったことは、この国の私たちの積み重ねてきた選択の帰結であり、この国全体の課題。まして、東京電力福島第一原発で作られた電力が供給されていたのは、東北地方ではなく、東京首都圏。首都圏に住んできた人間にとって他人事であるはずがありません。
 震災から十年、東北の方々の不屈の努力の積み重ねにより、荒廃の中から町が立ち上がり、壊滅すると思われた食産業からヒーロー生産者やヒット商品が生まれています。一方で、十年を経ていまだ、この福島沿岸には帰還困難区域が広がっているという厳しい現実があります。自分の責任として、この課題に向き合い、自分事として関わらなければいけない。それが、震災から十年という一つの節目を迎えるにあたり移住を決めた一つの大きな理由です。
 移住を考え始めた頃から、この十二市町村で活動されている方々のお話を伺い始めました。その中で、二〇一八(平成三十)年に浪江町の方が主催したフィールドワークに参加し、初めて浪江に泊まり、まちづくりに携わっている方々のお話を聞きました。みなさん、楽しみながら、アイディアを実行に移していました。とても前向きでオープンで、チャレンジ精神に溢れていました。そんな姿に、自分もこの人たちとこの町で、コミュニティを再生し、ワクワクを産み出すことに一緒にチャレンジしたいと思いました。これが、この浪江町への移住を決めたもう一つの、より大きな理由です。
 実際に浪江に移住して五カ月、より多くの町の方々に会い、前向きでオープンな方々が様々なチャレンジに取り組んでいるのに触れ、ワクワクは増すばかりです。同時に、六年間の全町避難で時が断絶したこの浪江だからこそ、新しい町を創る前に、まずはこの町の歴史・伝統・記憶を学び、それを未来に繋いでいかなければならないという想いも強くしています。その上で、その基盤の上に、新しい地域社会のあり方のモデルを創っていきたいと思います。
 ゼロになった町から、この国一番のワクワクを。この町・地域の方々と一緒に。 (浪江町樋渡、一般社団法人東の食の会専務理事)

*この記事は、福島民報「民報サロン」(2021年9月11日)に寄稿したものです。

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