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幼い僕にとって、母の言葉は「希望」でした。

本来なら、きのうのうちに書くべきでした。

「母の日」ネタ。

1日遅れになってしまったけど、どうかお付き合いください。きょうは母への感謝について書きたいと思います。

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幼いころ、僕は夜が嫌いでした。理由は、ひどい喘息持ちだったから。

ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー。

呼吸音の異常がはじまり、そして……。

ごほっごほっごほっ、ごほっごほっごほっ!

激しい咳も加わる。しまいには……。

ごほっごほっ、ごほひゅーごほっ、ごほひゅーごほっ!

あまりにも息苦しい二重奏。「ごほっ」と杵を振り下ろしたら「ひゅー」と合いの手が入る。まさに高速餅つきの職人技を思わせるリズムで、僕の酸素を奪っていくわけであります。

発作は夜に起きることが多かったので、布団に入る前はいつも不安でした。

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そんな僕の面倒をいつも見てくれていたのが、母。

1980年代前半、インターネットなど普及していない中で、喘息の対処法をいくつも調べてくれていました。

乾布摩擦、ヴイックス ヴェポラッブを胸に塗る、ドライヤーで背中を温める、などなど。

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どれも劇的な効果があったわけではないけれど、すがりつく選択肢があることが嬉しかった。落ち着くまで傍にいてくれることが頼もしかった。そして、この一言が心強かったんです。

「ママの言うとおりにしたら大丈夫だからね」

いま考えると、なんの説得力もない言葉。しかし、当時の僕にとっては「希望」そのものでした。

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言葉には、不思議な力があるといいます。言霊、言魂とも書くそうです。

母の言霊によって支えられてきた僕。そして、決定的な転機を迎えることになります。

それは山形県天童市から福島県郡山市に引っ越したて、小2のときでした。ある病院でこう言われたのです。

「喘息は治る病気だから」

以来、母からは何度もこう言い聞かされました。

「喘息は治るんだって」

症状は急激に軽くなっていき、小4~5くらいになって完全になくなりました。

「治る」という言霊が、より大きな「希望」となって体に作用したのだと思います。

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現在、母は72歳。再来月にまた1つ歳をとります。

睡眠時間を削って、毎晩のように僕を励ましてくれたこと、感謝しています。あのころに見せてくれた親のあたたかさは、自分の子どもたちに還元してきたつもりです。

「パパの言うとおりにしたら大丈夫」

今度は、僕の言葉が「希望」になってくれたらいい。そう信じて。

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