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激情[後編]

しばらくするとオルタナティブも聴くようになるのだが、あまりのめり込めず、早々に飽きた。自分には不向きで、探求するまでにいたらないジャンルだったが、Sonic Youthだけは別格だった。まず男女混合の編成が新鮮で、視覚的なインパクトに魅了された。そして、あのノイジーなギターである。実験的な楽曲も多く、これまで体験してきた音楽と比較すると、明らかに異質であった。
振り返ると、僕の音楽観はここから本格的に狂いだしたように思う。過激な音楽を求め、よりアヴァンギャルドなバンドの音源をコレクションするようになるのだ。その中でMAD3に出会い、それまで散々無視してきた国内の音楽にも、意識を向けるようになった。MAD3はアヴァンギャルドではないが、邦楽なんて聴く価値なし、と思い込んでいた僕の概念を覆してくれた。ヘッドホンを装着して爆音で『DEATH RACER』を聴くと、日常の軋轢がふっ飛ぶ。

アヴァンギャルドに関しては、人生の中で最も傾倒したジャンルで、ノイジーなギターのみならず、もはやただの雑音、あるいは異音だけを聴くという、苦行に近い状態までエスカレートした。大衆的な音楽を避けて尖り続けていたら、人っこひとりいない荒野に放り出されていた。変態的な音楽に溺れ、性格までゆがんでいくのである。
スカムの極北、キャロライナー・レインボー(*1)や、不協和音と空虚にまみれたジャンデック(*2)の不気味な歌は、強烈だったが、困惑が上回った。
異端を気取りたいがために地下へ潜り込んだはいいが、豪快に階段を踏み外してしまい、なにを聴いているのかさっぱり分からない、シュールな世界へトリップしてしまう。
過去に、音楽鑑賞中の姿を友人に見られたことがあるのだが、あの時は本当に焦った。友人が約束の時間になっても現れない僕を心配して、部屋まで様子をうかがいにきてくれたのだ。メロディも、コード進行も、音程もない奇妙な異音とうめき声が響く中、僕はぼんやりと壁の一点を見つめていた。友人の心配は、胸騒ぎに変わった。
「すまん! 忘れてた!」
「いや、ええけど……。この音、なによ?」
「……俺も、分からんのよ」
苦し紛れに発した僕の意味不明な言葉は、友人を凍りつかせるだけであった。
音楽のみならず世間からもはみ出してしまい、もうトモダチなんていらない、と思うようになった。
断絶されたように塞ぎ込んでいた時期だったが、彼女だけはしっかりと欲しがっていた。精神構造が複雑にねじれているようで、単純なのだ。

*1:サンフランシスコの変態バンド。“人間の言葉が喋れる牛”が書いたソングブックを基に活動。
*2:謎のアウトサイダーミュージシャン。

前衛的な音楽ばかり聴いているうちに、無駄に浪費、疲弊してしまい、地下から脱出。
専門学校時代になると60年代の音楽を再び聴くようになる。見落としていたバンドや名盤から聴きはじめ、サイケデリックとガレージパンクに落ち着いた。どのバンドも魅力的だったが、サイケ、ガレージに関しては『Nuggets』のコンピがあればそれで十分だと思う。

社会人になり10年が経過した頃、学生時代には想像できないジャンルに熱中するようになる。ヒップホップだ。瞬間的に聴いていた時期があり苦手ではなかったが、どうしても払拭しきれない嫌な感触があった。ヒップホップを聴いていると、罵られているような心境になり、気が滅入るのだ。体調不良の時に聴くアシッドフォークの感覚に近く、ダウナーから抜け出せない。
そのような経緯でヒップホップは“おっかない音楽”という印象だったが、Anderson .Paakを聴くようになり、偏見がなくなる。ソウルやファンクを基調とした楽曲も多く、ジャンルを超越した絶妙なバランスが心に刺さった。
ヒップホップに熱中しはじめて、好きなアーティストが確実に増えた。虚勢で尖っていた学生時代は「ロックか、ロックじゃないか」という乱暴な基準で判断していたため、異常に偏っていた。信念を貫いているように見えるが、ぞっこんになっているアイドルに限っては、こじつけでロックに着地させていた。なんとも生ぬるい信念である。

若気の至りでこじらせていたとはいえ、今は音楽を素直に楽しめている。推薦された音楽も、好奇心をもって積極的に聴いている。
先日、仲の良い友人とプレイリストを共有した。
友人のプレイリストは、鳥肌実で埋めつくされていた。
どうやら彼は彼で、青春をこじらせていたようだ。

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