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我が子が毎日、「学校が楽しくてたまらない」と言うワケ

息子9歳、現在小学3年。
軽度知的障害の診断で1年生から特別支援学校に通学しています。そんな彼が、最近毎日口癖のように言うのが

  • 学校行きたい~

  • 学校楽しかった~

  • 工作楽しい~

この3つ。

「やりたい」ことが「できる」環境作り

2年生の半ばごろでしょうか。ようやく学校に慣れてきたなと感じられたのは。

それまでも「学校に行きたくない」発言は一度もなかったのですが、まったくトラブルがなかったかと言われるとそうでもなく。
スクールバスでおとなりのお友達とうまくコミュニケーションできす、困りごとがあり「バスがイヤ」ということはありました。

今でも「バス、イヤ」発言はありますが、学校には毎日行きたいようです。明日行けると分かっていても「今すぐ行きたい」気持ちを表明してくれます。

そう言わしめるひとつには、自分のやりたいことができること

息子は、ダンボール工作が好きなのですが、特別支援学校の時限間の休み時間(通常の学校より長く設定されている)には、工作に夢中になっているようです。一人でやるときもあれば、友達と一緒の時もありますが、自分で作りたいものを作り上げる時間、それをお友達と使って遊ぶ時間が息子にとって学校が楽しい理由のひとつになっています。

ここまでなら、普通の学校でも実現できそうな気はしますが、実は、段ボール工作のダンボールは全部先生たちが準備してくれているようです。さすがに工作に使う大量の広幅テープは持参ですが、その大量のテープ(私物)を持参しても指摘されない、子どものやりたい気持ちを育ててくれる環境こそが、「学校が好き」「学校に行きたい」の根本になっています。

1学級6-7人編成、先生3人常駐!
という支援学校ならではの環境。

入学前、支援学校か普通の学校かを天秤にかけたとき、支援学校を選んだ私、「大正解」といってあげたい気持ちです。

名探偵コナンの赤井さん風

学びの中に遊び?遊びの中に学び?

支援学校の授業構成は、親が心配になるくらいいわゆる「お勉強」の時間がありません。傍から見ていると保育園に毛が生えたレベルでは?なんて思っていたことも。

でも、実は、支援学校の授業は奥が深い。

教科書として使われるテキスト教材に頼らない内容を構成し、支援が必要な子ども達に興味を持って伝わるように「伝える工夫」がされています。

国語、算数、理科、社会、図工、体育・・・

ありません!

息子の通う学校では
みるきくはなす、ふえるえがくつくる、うんどう
大きく分けるとこの3項目で構成されています。

この3項目に、国・算・理・数・・・・が集約されています。

1年時の授業参観では、11ぴきのねこシリーズの1冊を題材に、子どもたちがねこ、先生がウヒアハになり(仮装)、楽しそうな授業を展開していました。

そう、子どもたちは「勉強」って意識がないままに、様々なことを学んでいるのではないかと思います。遊びながら学ぶってこういうことなんでしょう。子どもたちは必要以上に身構えず、子どもたちに少しの期待感を持たせワクワクな空気を作り、授業に参加させる工夫こそが息子の「学校楽しい」につながっています。つまり、退屈しない!頑張りすぎなくていい!遊び感♪

学びの中にある遊びではない、遊びの中にある学び環境。前者と後者って同じようで全然違う、学ぶって本来は楽しいことなはずだとすれば、学びは遊びととらえるのが自然な気もします。

きっと、息子は、学校に勉強しに行っている意識がほとんどないのでしょう。

「楽しい」という思い出の積み上げが強さになる

こんな話を、通常の学校に通わせているお母さんお父さんたちが聞いたら、将来不安しかないでしょう。

その通りで、私も将来不安しかありません。まだ、まともに字も読めませんし、計算もできませんから。でも、生きていくために必要なことを社会に出る前にできるようになっていればOKと考えると、今この時点で読み書き計算ができていなくてもそれほど問題視していません。(同年代の子どもと比べてしまうおばあちゃん達はめちゃめちゃ心配していますが)

読み書きよりも、「楽しい」思い出、「頑張った」思い出、「できた」思い出を、温かく見守られた甘い環境でどんどん積み上げていくことこそが、息子が将来生きる力になると思っているからです。

学校と同じく、家でもほとんど「お勉強」の時間は設けません。家では、ゲーム(スイッチ)、工作、ブロック、アニメ、外遊びが主な過ごし方です。好きなことをどんどんやって欲しい、やりたくてもできないときが必ず来るから。この自分の好きなことをやった時間、楽しかった時間は減ることはありません。やりたいことをやらせてもらった=自分を肯定できる人間は強いですからね。

あ、もちろん、子どもに社会のために役立つようになりなさいなんてことは言わないし、思わないようにしています。彼(息子に限らず人)が生きている、ただそれだけで意味があるのです。知的っ子とともに生きていると、そんな風に思えてきます。社会の一般的な指標(例えばIQとか、GDPとか)では測れない、何かもっと根源的な「生きる意味」を彼らは教えてくれます。

そんなふうに考えさせてくれた、支援学校と息子に、感謝!

私の2000文字以上に及ぶつぶやきにお付き合いくださったあなたはすばらしいです!ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

おまわりさんのヘッドセットとトランシーバーだそう…


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