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#24舞浜サービス業で適応障害・うつ病になる話(退職願、転職活動、海外旅行)

みなさん、こんにちは。

もうしばらくすると桜が開花するそうです。
私の自宅側には桜並木があり、毎年咲くのを楽しみにしています。
今年も綺麗に咲いてくれるでしょうか?

そして私の体調は良くなっていくのでしょうか?


さて、前回は

適応障害・うつ病が治らず、退職期限まで迫ってきて退職を決断するところまで綴りました。

今回は、


1、退職願の提出


上司、マネージャーと電話で復職の話を進めてきましたがなかなか現場での「休憩取得方法」に改善が見れませんでした。

私は不信感を抱くようになり、直接の交渉を会社側に依頼します。

これは、残る仲間のためにです。
私は退職することを決意していたので。

退職願提出日を迎えます。
上司、マネージャーの三者面談。

トレーニングルームNO.2で実施。
この部屋は私がインストラクターとして活動してきた大切な部屋であり、思い出がいっぱい詰まった部屋。

そこに三角形にテーブルを配置し話をします。

上司、マネージャーからまず話がスタート。
改善の進捗について説明がありました。

「6ヶ月間の中で1/3の日数において休憩取得時間をリーダー職は変更して取得していたことがわかった」
「各作業項目の実施時間の目安を設定した」
「一般キャストのヘルプが多く、リーダー職以上の業務が責務として任されていた為線引きをした」

といった回答を得られました。
しかし問題調査に"6ヶ月"もかかるのかと思いました。

更に不信感は増します。

私の発言機会となり、まずは退職願を説明。
17年勤め、日本には他には類のないサービス業、
顧客の期待度に応えていく為の準備、施策の楽しさや難しさを学んだこと
などを話しました。

それらを取り組むために、
「労働環境=休憩取得方法という初期的な課題から向き合わなければいけない現状にやりがい、改善意欲、勤めに力尽きた」と言いました。

上司、マネージャーから謝罪の言葉、
マネージャーからは完璧主義から抜け出す方法や小さな組織なら君は輝ける話をされます。

頭に入りません。
辞めるから!

「小さな組織なら輝く」?
100人以上の組織から60人弱の組織に異動して来た事が無かったかのような発言にはイラッとしました。

あー、無理だ。
やーめよって事で上司から本当に良いのとめっちゃ引き止められましたが、気持ちの変化は生まれません。

「辞めさせて下さい」と伝え面談は終わり。

ロッカーの整理の為に私物、学んできた資料等を破棄し空っぽにしてきました。
インストラクター当時、受講生からキャストへの意気込みやこれから何を楽しみにしているか書いてもらった紙を一枚ずつ読んでこの人はまだ頑張っているかな?この人は今ディズニートレーナーをやっている!と思い出に浸りながら…

他にもティーチング、コーチング、KPI、PDCA、
といったビジネス視点の資料やノート。

マニュアルの改訂作業、
人件費や人員配置表、
コロナ休園明けの感染症対策運営方法

などまで出来て、自分の学び、今の自分が
詰まった数々でした。

2、転職活動

退職するひと月前に転職先が決まりました。
東京ディズニーリゾートオフィシャルホテルの
東京ベイ舞浜ホテルファーストリゾートです。

私の転職先の条件を
・舞浜から出ない
・接客業をする
・部署の垣根を越えたサービス提供をしている
としました。

するとこのホテルだと思って履歴書を提出し
2回の面接を経て採用となりました。

しかし…


失敗した〜と後になります…

3、海外旅行

適応障害・うつ病は治療中でしたが、
会社を辞め、転職先も決まったタイミングでリフレッシュもしたいと思い1週間海外旅行へ行く事へ。

妻もうつ病から治療しながらここまで仕事を頑張ったご褒美として一緒に行きます。

そこは「世界で1番幸せな場所」と言われるアメリカの「ウォルトディズニーワールド」です。

私にとってこの場所は特別な場所。

初めて訪れたのは小学校4年生で家族と行き、
ウォルトディズニーワールドが25周年の時でした。

それから20歳となりコロナ禍を除いて1〜2年に一度は訪れていました。

そしてコロナ禍が明け、海外渡航が可能となったタイミングとも重なり50周年となった記念すべき年の
ウォルトディズニーワールドへ行けたのです。

20歳と小学生

同じディズニーパークじゃん!?

違うのです!

時間がまったりと流れ、
周りもセカセカしていない、
その場のみんなで一緒に楽しむ、
アメリカ文化を感じられるのです。

日本は日本なりの良さはありますが、
アメリカにはそれ以上のものがあると感じます。

私はアメリカに行ってからサービスマインド、
ディズニーキャストとしてあるべき姿に変化をもたらしてくれました。


「受動的な対応」から「能動的な対応」です。

「そのシャツ好きよ」「そのグッズどこで買ったの」
なんていう言葉のやり取りが自然と発生するのです。
初対面なのに、しかも目も合ってないのに話しかけてくるのです。

これ、キャストからもそうですが、
ゲスト同士でも発生する会話です。

「TOKYO」というだけで「OMG」なんて返ってきます。それだけ欲しかったんかい!って思います。

でも声掛けてもらうって嬉しいんだなと実感します。

ディズニーキャストを辞め、
コロナ禍を経て、
やっとここまで来れた!
俺は頑張ったんだ!

ウォルトディズニーワールドへ来れた!

という嬉しさが1番でした。


今回はここまでにしたいと思います。

旅行記とか綴ってみたいのですが、
去年ということ、かつ、病気中のことを綴っているので別のまとめとしてお伝えできればなと思います。

ウォルトディズニーワールド15回来訪、
ディズニークルーズライン6回乗船
の経験談とか需要ありますかね?

あれば書いてみようと思いますが。


さて、次回は「転職先へ入社」を綴ります。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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