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新春企画:テック企業でリベラルアーツが重要になる時代が訪れる

はじめに

世界に名を馳せるようなスタートアップ企業を作りたい(なりたい)という願望は多くの起業家が持つ夢である。では、どのようにすれば成し遂げられるのであろうか。僕はその道標を記すことにした。

それは同時に、飽きるほど見聞きする「なぜ、日本からGAFAM(Google, Amazon, Facebook, Apple, Microsoft)は生まれないのか?」という問いへの回答になると考える。これはスタートアップ企業に限らず、あらゆる企業・業種に応用できるものだ。

また、これからのIT企業に求められる倫理・プライバシーなどの論点(課題)に対する回答にもなるであるう。むしろ、倫理・プライバシーを追求できる企業こそ25年後に残る企業だ。それほどまでにシリコンバレー発のテック企業(IT企業)は、世界各国で『データ』を資源化し、それが原因で軋轢を生み出してしまった。

なぜ、そのような暴走ともいえる現象が起きてしまったのだろうか。それを探るために重要なのが「リベラルアーツ」である。

上辺だけをなぞっても綻びが生じる。だから源流に辿り着く必要があるのだ。リベラルアーツの源流は古代ギリシアまで遡り、自由人としての『知』『徳』を得るための7つの技芸ーー『自由七科』から成るものだ。

そんなリベラルアーツであるが、それらを会得するために日本という環境は極めて不利なのだ。そもそも、リベラルアーツは日本語訳で「教養と誤って訳されてしまった

日本で用いられる「教養」は、今日、最低限知っておきたい歴史・社会常識・マナーなど、広義の意味を持っているように思う。「一般教養」という言葉が生まれる位であるから、リベラルアーツの本来の意味とは相当にかけ離れてしまっている。

さらに、リベラルアーツが現在の学問体系の基礎になっているにも関わらず、日本人の多くがリベラルアーツの本質を知らない。その例としてよく挙げられるのが『日本では経済学・心理学が文系にカテゴライズされているが、国外だと理系(正しくはサイエンス)である』というものだ。

またリベラルアーツだけでなく、現在の学問体系が『キリスト教ときっては切り離せないこと』も理解を深める過程で不利である。日本は文化的にもリベラルアーツというものを理解し難い環境にあるのだ。

そんなわけで、昨年1月の記事に続いて、世間に違った視点を提起する記事を今年も書くことにした。

さあ、リベラルアーツというものに対する見方を変えていこう
それが良き未来を作る第一歩だ

↓1年前の記事↓

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陽の光を浴びた巨人

リベラルアーツを探るにあたり、はじめに米国のとあるテック企業(IT企業)を紹介しながら紐解いていこう。

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コロナ禍でアメリカでも量的緩和政策が採られ、市場に大量の資金が流入する2020年9月30日。あまり聞き慣れない米国のテック企業がニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場した。その企業の名はパランティア・テクノロジーズ

どんな企業かと一言で表すならば「あらゆるデータを横断的に扱う事ができる企業」だ。一部の人には知られていたが、ほぼ無名といっても過言ではない。

パランティアは直接上場という手法を採ったことも相成って、機関投資家を含むウォール街からの評価は散々だった。上場初日の終値は初値の10ドルを下回る9.50ドルと散々な結果であり、上場してしばらくは同社を揶揄する記事で溢れた。

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rblfmr / Shutterstock.com

しかし、上場からわずか3ヶ月後の12月31日の終値は23.55ドル。上場後の最高値は11月の30.55ドルだ。つまり、株価はわずか3ヶ月の間に3倍近く跳ね上がったのだ

Google(NASDAQ: GOOG)が上場した際もウォール街から酷く批判されたが、Googleの時と同様に、上場の過程が "ウォール街の思惑どおり" でない場合、企業価値と株価が乖離するのは15年近く経っても変わらない。

横道に逸れるが、それらを鑑みてもウォール街の慣習は古きものとなったと言えるかもしれない。SPAC(特別買収目的会社)などが隆盛するのは当然の流れであろう。

なお、日本ではIPO銘柄が公募価格の2倍・3倍になることも少なくないためにインパクトが弱いかもしれないが、成熟しすぎた米国株式市場でこのパフォーマンスは今も話題になるほどだ。上場後にDCF法を用いてパランティアの価値を導き出そうとする記事すら存在する。

まるで、Amazon や Google が上場した頃に今の株価を多くの人々が予想できなかったように、新しい何かが蠢いているように投資家達は感じているのかもしれない。

パランティアの未来とパフォーマンスについては別のnoteで詳しく解説する
単なるSIerだと思ったら大間違いである

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さて、話を戻そう。

2003年に設立されたパランティアの成り立ちを知れば、同社が普通ではないことをうかがい知ることができる。なにしろ、二人の共同創業者の一人には PayPal マフィア(*1) のピーター・ティールが居る。そしてCIAが設立したキャピタル In-Q-Tel から投資を受けているのだ。

もう一人の共同創業者であり、パランティアの現CEOを務めるのがアレックス・カープという人物だ。

ピーターとアレックスの二人には共通点がある。二人ともコンピューター科学を専攻しておらず、哲学のPh.D.(博士課程修了・博士号)を取得しているのだ。

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PayPalマフィア : PayPal創業者・初期メンバーを指す。テスラ・モーターズやSpace Xを創業したイーロン・マスクもその一人。

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同社の取引先には米国の中央情報局(CIA)、厚生省、保健当局などが名を連ね、米国特殊部隊がオサマ・ビンラディンを捉えた時の情報戦に寄与したとも言われているのだから、なおさら普通ではないだろう。

そんなこともあり、パランティアは『テック企業なのにワシントンD.C.との距離が近すぎる企業(政治との距離が近い)』として揶揄される。

1998年にマイクロソフトが反トラスト法で徹底的にやられてからは、シリコンバレーのテック企業もロビー活動に力を入れるようになったが、それでもまだシリコンバレーにはカウンターカルチャーの文化が根強く残る。だから昨今話題になるテック企業と比較すると、パランティアは閉鎖的でベンチャーらしさが無く、"開かれたテクノロジー" とは正反対のように写って見えるようだ。

しかし僕は正反対だと考えている。

今現在、世界に名を轟かすテック企業のほうが極めてクローズドだ。各国との軋轢に苛まれているだけでなく「自らが潔白を宣言しても信頼されず」「何をするのが正しいのか分からない」という苦境に陥り、五里霧中の状況にあるかのようにすら感じてしまう。

仮に、Facebookがプライバシー保護宣言を掲げたとしてもどれだけの人々が信じるであろうか。それはGAFAMを構成する他の企業も例外ではない。

Appleは、GAFAMの中でもプライバシーに対して特段に気を配っているように見えるが、Web広告でインターネット経済が廻るというエコシステムを目の前にして、Safari ブラウザに搭載する予定であった「追跡防止機能」の強化を先送りにした。GAFAMの中で "まだマシだ" と言われるAppleですら「何をするのが正しいのか分からない」状態なのだ。いや、分かっているが実行し難い状況にあるというのが正しいかもしれない。

そうだ、"人々や社会にとって害悪であるテクノロジー" ーーネガティブテクノロジーがテック業界には蔓延っている。

注:パランティアやPayPalの共同創業者であるピーター・ティールが、初期のFacebookに多額の出資を行い、Facebookの取締役を現在も務めていることは公平のために触れておく。なお、現任の理由については定かではないし、邪推になってしまうので言及しない。

倫理とプライバシーを制するものが未来の大海原を制す

ワシントンとの距離が近いと言われるパランティアであるが、生粋のテック企業であることには違いはない。しかし、パランティアを導く二人の共同創業者はコンピューター科学を専攻していないということは面白い。

上場前の2020年6月、日本のSOMPOホールディングス(子会社に損保ジャパン)がパランティアに5億ドルを投資している。

Newspicsの独自インタビュー記事において、SOMPOホールディングスのCEOを務める櫻田謙悟氏は、パランティアとの出会いや、パランティアの創業者二人が哲学を専攻し、リベラルアーツに根ざしていることに感銘を受けたことを述べている。SOMPOホールディングス、いや、櫻田氏はなかなかにすごい。

櫻田氏によると、パランティアはテクノロジーと人間の立場が逆転しないように倫理観をもって取り組んでいるというのだ。その倫理観の源流にあるものがリベラルアーツであるともいう。

一昨年、ピーターに会った際に、僕はパランティアの事業と理念について尋ねた事がある。その時には「正しい事に対し、適切なタイミングで、正確な情報にアクセスできることだ」という趣旨の回答が返ってきた。

正しい事とは何であろう。その答えは出ないかもしれないが、「悩み続けることに意義があるのですよね?」と聞くと、深く頷いた。

パランティアはデータを扱う企業であり、場合によっては個人データも扱う。そしてデータから推定などを導き出すサービスも提供している同社には、リベラルアーツに根ざしている確かな理念があるように思えた。

いまさら同じことをGAFAMが掲げても見向きもされないが、これからの新しいプレイヤーは違う。だから、日本企業はもちろんのこと、世界中のあらゆる新規プレイヤーが空高く飛び立つためのヒントがそこにあると考える。

日本ではプログラミング教育が始まったばかりであるが、僕はリベラルアーツと哲学それこそが今後25年(本当は永遠に近いと言いたい)は重宝される素養であり、要素であると考えている。これは個人だけでなく組織にも当てはまるものであり、成功への道標だ。

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ここからは、リベラルアーツについてさらに深く読み解いていこう。そしてiPadが世界に初めて披露された会場で「Appleはリベラルアーツとテクノロジーの交差点に居る」と述べたスティーブ・ジョブスについても最後に触れてゆく。

これらを並べただけでも、リベラルアーツとテクノロジーを正しく捉えることの大切さがなんとなく伝わるのではないかと思う。

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人間を自由にするという事

そもそも、リベラルアーツとは古代ギリシアに源流があり、ヨーロッパで発展した「文法・修辞・論理」と「算術・幾何・天文・音楽」の自由七科からなる技芸群のことを指す。人間を自由にしてくれるものとして様々な時代背景に翻弄されながら発展していった。

自由七科の構成から垣間見られるように、リベラルアーツは自ら(生命)のあらゆるモノを発信する事生きていく上で必要な原理的要素で構成されている。

畏れ多くも、自由七科を上から眺めると「学ぶことが役に立つのか?」と言われてしまうような物が多い。そもそも、現代ではコンピューター科学や理工学(テクノロジー)などを学んだ方が『今』を生きる上で必要なものなのではないか。

確かに一理あるように思えるが果たしてそうだろうか。そこで、テクノロジーとリベラルアーツの関係を紹介しよう。

神が創造した世界と、人間が創る物

ここでようやく冒頭で触れたキリスト教の事柄が出てくる。キリスト教(※すべての宗派をまとめると語弊や誤解があるが、ここでは日本向けに日本人が理解しやすい表現に留めるものとする)における聖書では、世界は神が創造したものであり、人間も神による創造物である。

ここで自由七科をもう一度見てみよう。

「文法・修辞・論理」と「算術・幾何・天文・音楽」

リベラルアーツを端的に表現するならば「人の営みで必要とされるもの」だ。アート(Art)自体が人間が創ることで生まれるモノを意味する。だから「リベラルアーツ」なのである。時間を知るには天文の知識は必要不可欠であったし、建築には算術•幾何•天文のいずれも必要だ。

そしてサイエンス(日本では理系と呼ばれる)と名付けられた事柄は、神が創ったものを探求する学問にあたる。例えば、地学・化学・物理学などもそうだ。

そして『経済』という神が創造した人間の営みによって生まれるヒト・モノ・カネの動きを探求する経済学もサイエンスに位置する。これが「海外では経済学が理系であり、日本では文系である」と言われる所以だ。ほかにも、神が人間を創造したので心理学(人間の心を探求)もサイエンスである、といった具合だ。

こうして今日の学問は体型化されている。「神の創造物である」という考え方が根底にあるのだから、多くの日本人にとってリベラルアーツが理解しにくいのも納得である。

僕は冒頭、リベラルアーツを教養と訳した先人のことをわずかに咎めたが、鎖国政策でキリスト教排斥を行っていたのだから「神の創造物」が理解できないのも無理はない。しかし、それが明らかになった後も正すことができないのは残念である。

さて、ここで重要なことは、神が創造したものを探求するサイエンスに役立つ道具とそれを成すための技術を「テクノロジー」と呼んだことにある。望遠鏡、顕微鏡、自動車、飛行機、計算機などもこれにあたる。

さあ、これでリベラルアーツ、サイエンス、テクノロジーが揃った。

つまり、自由な人間を実現する技芸がリベラルアーツであり、自由な人間は尊いものであった。それらが大前提にあり、知的好奇心でサイエンス、その道具としてテクノロジーがあるのだ。これが源流の概略である。

テクノロジーに操られる人間は自由なのか

源流の概略に触れたところで、昨今のテクノロジーに関する現状を見てみよう。

人間の意志決定に対して人工知能(A.I.)が介入し、より良い選択肢を選びやすいようにするリコメンデーション機能。RPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション)が進み、人間の働く余地が減少した世界。人間が歩いた後に生まれるデータが知らぬ間にやり取りされていて、様々な用途で利用される世界。これらは自由と言えるのであろうか。

人間は知徳の進歩でリベラルアーツ(自由)を手に入れたが、その先にあるテクノロジーとサイエンス(例えば、金融・経済)が暴走した結果、テクノロジーと人間の立場が逆転しかねないーーそんなことを危惧する声を目にする。

もちろん、A.I.やロボットに任せたほうが良いものは数多く存在する。自動車工場がロボット化されることで、ヘルニアや腱鞘炎で悩む工員(エンジニア)は減るだろう。

僕のスタンスとしては、A.I.が仕事を奪うというのは極論であると思う。ただし、地球上にいる全人口の数パーセントは職を失うと予測している。その絶対数はとても大きく、肉体労働で稼げる枠の数は減少し、頭脳労働で稼げる枠も減少するであろう。

前述したパランティアも例外ではない。彼らも常にリベラルアーツを意識しなければ、道具であるテクノロジーと立場が逆転しかねない。

果たして、世界はどこに向かうのであろうか。ノアの箱舟の再来なのだろうか。

投げっぱなしになってしまうが、この回答は各々が深く考える必要があるのだと思う。そして立場が逆転しないように、注意深く、深く頷くことができるように後世に伝えていくほかない。

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リベラルアーツとテクノロジーの交差点

最後にリベラルアーツとテック企業を語る上で欠かせない人物を紹介する。

それはスティーブ・ジョブスだ。

iPadという新しいデバイスを世界で初披露した時にもこの話はなされた。

PCやMac、スマートフォンでもない、新たな端末として位置づけられている "道具" が初披露された際に突然はじまった。

スティーブ・ジョブスは一度呼吸を整えて、そして『Liberal Arts』『Technology』と書かれた標識板が交差する画像が映るスライドの前で「Appleという企業はリベラルアーツとテクノロジーの交差点に居る」と語り始めたことは印象深い。

スティーブ・ジョブスが通ったリード大学は米国におけるリベラルアーツ・カレッジだ。そこで彼はカリグラフィーをはじめとする様々なものに出会った。それが今現在のMacにも息づいていることは有名な話であろう。

Apple が歴史的な成長を遂げた裏には、源流に辿り着こうとする姿勢と、それをいつまでも忘れない志とビジョンがあったからに他ならない。リベラルアーツとテクノロジーの関係性を忘れずに、道具は道具として、あくまでも人間の力を増幅する(Amplify)ことに徹することが重要なのではないかと思う。

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2021年以降、特にIT企業は倫理とプライバシーという課題に常に直面して行くだろう。おそらく、GAFAMを巡って「えっ!?」と思うようなニュースが2021年以降は頻出することだろう。それによって業界の構図が変わるかもしれない。それ位に倫理とプライバシーという課題はインパクトがある。

新しい企業・起業家がそれらをクリアするには過去から学べば良い。そして学ぶものはより源流に近い方が良い。源流に辿り着く前と後では世界は違って見えるだろう。

未来を創る人に向けて、リベラルアーツとテクノロジーの交差点に立つことが大切であると、一人でも多くの人に伝われば幸いである。

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