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アイスランドから見る風景:vol.2 夏の嫌われもの

アイスランドで庭を持つひとたちに、蛇蝎のごとく嫌われている植物が2種類ある。それはアイスランド語でルピナ (lúpina) と呼ばれるマメ科ルピナス属の多年草と、もう一つはスコウガールケルヴィトル (Skógarkerfill)・ セリ科シャク属の多年草だ。これらの野草が一本でも庭に生え次第、アイスランド人たちは、躊躇なく根こそぎ除去しようとするだろう。

わたしがアイスランドに移った1999年時には、外来種の両植物はすでにアイスランド全土にテリトリーを広げていた。シャクは1927年、ルピナスは1945年にアイスランドに持ち込まれている。実はそれ以前の1885年から数年の間、同種アラスカ産のルピナスがアイスランドで植生可能か、試験栽培されたことがある。ことの発端は、土地の浸食を防ぐことにあった。アイスランドの極の天候は厳しく、風、雨、雪のために、地表の土壌が容赦なく削られてしまう。もともと耕作可能な土地が、全体の1%にも満たない国だ。そういった意味で、地表を守り、その後土に還り、土壌を肥やすルピナスは、選択としては悪くないと思われたのだろう。

ルピナスの花の色の鮮やかさは、もともと色の少ないアイスランドの自然の中ではひときわ映える。しかも、6月の上旬に咲き始めるルピナスは、夏の到来を告げるメッセンジャーだ。上の息子の誕生日が、ちょうどルピナスの開花の時期にも当たる。彼の誕生パーティのために、路上で摘んだルピナスで花束を作り、テーブルに飾ったことがある。それを見たアイスランド人たちの感想は、一様に「ルピナスって嫌い」というものだった。

アイスランド人のルピナス嫌いが理解できるようになったのは、滞在年数が長くなり、ルピナスの繁殖速度を毎年実感するようになってからだ。これまで、何もなかった丘や道路沿いの砂利道が紫に染まるようになった、内陸部の岩しかなかったような場所に、ルピナスのお花畑が誕生した、というのは別段新しいことでもない。ルピナスは、土壌を選ばない。どんなに養分の少ない場所でも、太陽の光を十分得ることができれば、その株はどんどん増えていく。この花の名前は、ラテン語の”狼”に由来するらしい。環境に関わらず貪欲に逞しく育つ姿が狼を彷彿とさせるからだとしても、満開時の美しさからは、狼とこの植物の間に関連性を見つけることは難しい。

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その一方、わたし自身は、これまでシャクにそれほど関心を覚えたことはなかった。ルピナスの色と形状に対して、風景に異なったアクセントを与える野草だ、と思ったくらいだろうか。ところが、このシャクはなかなかの食わせ者である。小さな白い清楚な花を咲かせる半面、貪欲に育つという意味ではルピナスの上をいく。背丈が高いことから太陽争奪戦には有利で、ルピナスの植生している場所に食い込めれば、次第に先住者を土壌から駆逐していく逞しさ持っている。しかも、ルピナスほど太陽の光を必要ともせず、アイスランドにいる動物や野鳥に食されることもない。

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さて、そんなふうに嫌われもののルピナスとシャクだが、すでに人間の手で駆除できない以上、共存しようとする試みがアイスランドではなされている。この繁殖し続ける2種類の植物を使って、何か新しい製品を作ろうとする動きだ。自然の中にふんだんにあるというのは、同時に無尽蔵な再利用可能な資源でもある。アイスランド人は、自然の脅威を、人の利に変える知恵に長けている。

まずは、シャクから始めてみよう。シャクは、日本人にもなじみがある植物で、山菜として食されてきた。開花する前の茎や葉だけでなく、根は山人参として利用されている。ただ、日本では、ムラサキケマンという植物がシャクと同じような場所で植生しており、その姿形が酷似しているために、開花前だと両植物の区別が難しいようだ。ムラサキケマンには、鎮痛剤として作用するプロトピンが含まれており、この毒が体に入ると嘔吐だけでなく、呼吸や心臓麻痺を起こすことがある。幸いアイスランドでは、ムラサキケマンは生えていない。そのため、シャクを食材に使う試みがなされている。

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シャクの根、つまり山人参には、炭水化物が多く、抗酸化作用がある。調味料や抗がん剤にも使われることがあるそうだ。粉末状にして小麦粉の代わりにケーキやパンを焼くこともできる。アイスランドのホットドックで使う、揚げた玉ねぎのようなトッピングにも使える。食べてみたところ、人参というよりも、味も食感もゴボウに似ている印象を受けた。わたしのように根菜類が好きなひとには、美味しく感じられるだろうが、人参のような甘みがない分、アイスランド人は、味に慣れる時間が必要かもしれない。

葉や茎の部分は、ビタミン、プロテイン、ミネラル成分に富み、抗酸化作用と、抗菌作用まである。生のままサラダ、煮込めばスープにもできるし、または乾燥させればお茶にもなる。スープもペストも食べてみた。特に香りや味に癖はない。スープは、アイスランドで昔から食されている西洋トウキ(アンジェリカ)を思い起こさせた。同じセリ科である。似たような使い方はできるのだろう。すーっと体に入って溶け込み、すみずみまで吸収されていく、新鮮な野菜独特の力を感じた。

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シャクが食材であるのに対し、ルピナスは新しい包装材をして注目されている。つまり、紙の代替品だ。もともとルピナスは、緑肥として使用できるほど、土に還りやすい性質を持った植物である。面白いのは、原料の厚さによって、その強度を変えられることだ。薄いものだと、和紙のように使うことができる。触った感じも見た目も和紙に似ており、一枚一枚表情が異なった素朴な美しさがある。ラッピングに使える柔らかさには欠けているので、折る必要のないカードや使い捨てのランチョンマットに向いているように思う。厚みを持たせると、コースターや容器、段ボールのようにも使えるし、さらに建設材料としても使用できるのではないか、と期待されている。廃棄に問題がないというのは、サステイナビリティを目標に抱える、今日の社会では大きな利点だ。

実は、シャクも包装材として、ルピナスも食材をして使えるようである。ちなみにシャクの包装材としての見本もあったが、素材の持つ柔らかさや発色、表面の肌触りなどは、ルピナスには到底かなわない。一方、食材としてのルピナスは、アルカロイド特有の苦みと毒性のために、調理するのには事前の手間がかかるようで、いまひとつ手軽ではない。そうであれば、それぞれの植物が、お互いの長所を生かした分野で利用されるにこしたことはないだろう。

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こんなふうに、身近にある自然の再利用は、地産地消の視点からもエコ的だ。嫌われものだって、使い方によっては、その土地に住む人たちに利や恵みを与えてくれる。そんなふうに、”負”をプラスに変えていくのは、わたしたち人間に与えられた課題だろう。

さて、わたし個人は、ルピナスの中を歩くのが好きだ。自然のルピナス畑では、枯れて乾燥し空洞化した茎が、新しい株の根本や花の下にそのまま取り残されている。それらを踏むときの、ぽきっ、ぽきっという乾いた音が、アイスランドの静けさに響き、耳を楽しませてくれるのだ。この音を聞くために、いつまでもずっと歩き続けていたい、ルピナスはわたしにそんな子供心を思い起させてくれる。







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