Notes of a Dirty Old Man

どちらにしても、
友達を、かてて加えて工場を家庭まで捨てながら此処まで来て、
仕舞ったような人生ですから、
そのことも精神の不安定の現われの原因の一つでしょう。
だからこの度の心身ともの体調不良で堪えきれずに、
ヘルパーさんとの、自立支援の事務所とのご縁を望んだ。
憂さ晴らしをする、話しを聞いて貰う相手は無かったのですから。

体調不良と言うものの、
ただ自堕落な生活のなか、書き出すきっかけが無かったら、
本当に考えない人になり果てたのでは、と不安になる。
そんな考えが精神の不安定を進めるものなのではとも思う。

そう、
後に成って考えればとんでも無いバイの仕事だったと考えるけれど、
他人との出逢いを頂けたことには感謝するし、
今しばらくの大きな街での生活がすさんだ心に癒しをくれた。

何の値も無かったのでしょうが上に立って仕舞えば、
おばちゃん方とは、心を開いた話しが出来ぬが定め、
それを受け止める器量など持ち合わせぬ心小さな人間。
妻とも同じことだったのでしょうし。
そんな私と知っていた父親だったろうに。

まずはちゃんと仕事に就くのが一番のこと。
その時は大きな街を捨てて青森市になんて考えもしなかったでしょうが。
そう流れ流れて寄る辺ないやつ。
また考えてる彼女はどうしたのかと。感謝の気持ちと共に。

仕事を辞め寮を出れば行く所は無く、
思いに浸っていれば嫌でも忘れ果ていた思い出にぶつかるのだけれど、
なし崩しに暫くの間を彼女のアパートに紛れ込んだ、だったんだっけ。
中学に上がったばかりの気はしの聞く男の子がいた。

健康食品の仕事を辞め安直に、
近くの健康器具の宣伝の仕事の会社があり、
小さな会場で話しを聞かせて貰ったし、
見ておけば良いと、
連れて行って貰った、青森市の会場は大きく体験者も多かった。
まっ、健康の知識はあったから続けてはみたけれど、
大きな街では体験者は少ないしものも売れない。
先は長くないと思い決めていた。

直に彼女も引っ越して市営住宅に入り、生保だし決まりがうるさく、
私はアパートを探して出た。
2000年前の話しで部屋を借りるにしても簡単に出来たし解約も。
大きな団地だったから街中から外れてた記憶がある。
そう、彼女が卒業した女子校が近くにあったっけ。
何の考えも無く傍に住みたい離れたくないの思いからなのでしょうが、
どちらからも近いところに借りたような記憶があるけれど。

嫌になっちゃうよ。
思い浮かべば思い返し思い返して次々と記憶が蘇る。
定かではありませんがね。
彼女への捧げものです。

彼女は健康食品の宣伝の会社の会場をあっちに行ったりこっちに来たりが、
仕事みたいなおんなだった。
住宅へはちょこちょこ出掛けてたけれど、
隣り同士でいろんなトラブルがあるようで、
相談に乗れば有難く思ってくれるし、
男手も必要そうで手伝えば喜んでくれた。のんびりのんびり出来てた。

ただ、
健康器具の会場からは遠くなったし長く続かないような話しを彼女に、
口説けば、
それなら何処そこへ行ってみたらとなったよう。
つい先までやってた仕事と同じ、が良いし、部屋に帰るは月に数日のこと。
数日ならここに居れば良いし、アパートも要らないが、
彼女の入知恵だったと思う。
私は彼女の傍が良かったのだし、彼女も頼りにしてくれてたんだろうから。

それは良いにしても、
暫くの後に青森市に引っ越すなんて思いの外のこと、
になるなんて考えても無かっただろうし、私にしてもね。
寄る辺なく流れるままに往くだけだ。

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