内藤礼『生まれておいで 生きておいで』の解釈について語りたい ②銀座メゾンエルメス編
前回に引き続き、内藤礼『生まれておいで 生きておいで』を見て思ったことを好き勝手に書く。
前回
前回も、場所が非常に大きな意味を持っていると思った。
という、縄文の過去から現在まで続く生の流れを感じ、まさに生まれてくる瞬間でフィナーレを迎えた東京国立博物館だが、続く銀座メゾンエルメスでは、生まれて来たあとの人類を、世界を、祝福する神の視点を感じた。
そう、今回のテーマは『神の祝福』だと思った。
そう感じた理由は以下3点
①白と光の空間
②小さな人と上からの視点
③メゾンエルメスという場所
①白と光の空間
東京国立博物館は、重厚さを感じる黒やベージュの壁。一部のみの窓。
特に第一会場は窓もなく地下の死の世界であり、第三会場で外の世界へ踏み出すようなフィナーレを迎えた。
一方でメゾンエルメスは、吹き抜けの広い空間の一面がすべてガラス、壁も白く、完全な光の空間。神秘的な気持ちになる空間だ。
東京国立博物館の荘厳で過去を悼む気持ちとはまた異なる、光と未来に溢れ生命の誕生を心から祝福するような、神に祝福されているような気持ちになる。
②人を見下ろす視点
今回は新たに人型の作品が収納されている。
『ひと』という名前の6.5cmの木製の作品が、会場内数か所に存在している。
前回は生命の痕跡や予兆のみであったのに比べ、完全に人である。
この人を見守る私たちは、神の視点に立っているのではないだろうか。
そして会場内は吹き抜けの2フロアになっている。
上のフロアから『座』に腰掛ける人々を見下ろす様も、神の視点の様だと感じた。
そして小さな鏡の作品である『世界に秘密を送り返す』の設置場所。東京国立博物館ではこれは人の目の高さに設置されていた。しかし今回は吹き抜け上部の天井近く、8階フロアの地面から3-4m近く上のガラス窓に貼り付けられているのだ。
探すことすら困難で、人間からはその位置の鏡を覗き込むこともできない場所。
しかし9階の吹き抜けに上がると、そこからちょうど鏡を見ることができる。まさに神の視点から『世界に秘密を送り返す』のではないか。
こういったこのガラスと光の空間、そして吹き抜けという会場の空間を利用して神の視点での祝福を表しているのではないかと思った。
③メゾンエルメスという場所
東京国立博物館は、
・過去を収蔵する「博物館」という場所
・展示会場は全て地上一階
まさに死と過去から現在へとつながる場所だった。
一方でメゾンエルメスは、
・現在を生きる人々が訪れ消費活動をする場所
・銀座エルメスという未来の流行が誕生する場所
・展示会場は最上部の地上8,9階という天上界
という、生と現在と未来の象徴の場所だ。
そのような生と未来の溢れる天上で展示することを、内藤礼も意識したのではないだろうか。
この瓶は、銀座メゾンエルメスでのキービジュアルでもあり、東京国立博物館のフィナーレである『母型』との関連を強く想起させる。
東京国立博物館の第3会場の『母型』からの違いとして、瓶が大きくなり、別の瓶に支えられることもなく、ひとりで立ち、本物の生命である花が開いている。
いのちは生まれ、ここ銀座メゾンエルメスで生きているのだ。
作品名も『母型』でなく『無題』なっている。
前回はいのちを生み出す『母型』にフォーカスが当たっていたが、世界に生まれ落ちたいのちは、それぞれが名もなきいのちとしてこのいのち溢れる世界を相互に生きている。
それを外から祝福するわたしたち。
内藤礼のテーマである、「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」のひとつの答えがここにあるように思った。
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