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20代自分史…夢を追って叶わなくて前に進んで倒れて-part5


また自分語りです。つまらないかもしれませんが自分のような失敗がないようにという思いを込めて、、、よろしくお願いします。

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26歳 2014年 平成26年

出来事。 専門学校卒業→助監督→美術→VFX合成マン


 専門学校を卒業した年、初めてフリーランスになった年でもある。
映画学校を卒業して専門学士なるものをもらった、つまり卒業認定資格だ。専門学校を卒業するということに一つの意味を持たせてもらえるのだと感じた。

 それは専門学校を卒業したところで自分は何も得られないと勝手に思い込んでいたからだろう、単に資格を得られないからという意味ではなく専門学校を卒業したところで自分の本当のやりたいことに向かっていけるのかという他人任せの鬱屈した未来像を見ていたからだろう。

 まあそういう意味では卒業したところで得られたわけではないのだが(得られるはずがない)社会的な外面性を気にしてしまう自分は少しでも卒業資格がつくという事には素直に嬉しかったと記憶している。

 ちなみに卒業するちょっと前の2014年が明けた直後の1月1日に拙作のUMBFというSF自主制作特撮怪獣映画(全部盛りかよ!笑)っていう馬鹿な映画を三年もかけて製作することになる萌芽ができていた。

専門学校を卒業して助監督の撮影現場は自分には向いていないと早々に見切りをつけ。。。と書くとかっこいいが実際はそんなことはなくあまりにも散々な結果と醜態を撮影現場でさらし続け本当に生きていけなくなりそうになったので続けるのをやめ次の現場をどうしようかちょうど悩んでいたころに奇跡のような出来事が起きた。

 北野武監督の現場の誘いだった。耳を疑った。自分が会社員をやめて映画の専門学校に入るきっかけになったのも20代前半の鬱屈した精神に武さんの映画やパフォーマンス、著作を読むことで精神を安定させて生きる希望を持ってきた人間にとってこれ以上にないサプライズだった。夢がかなったと思った。

この際武さんの現場ならどんな役職でも構わなかったので結果は美術担当のインターンの扱いだったが本当に貴重な経験をさせてもらった。自分が目に見えて映画に対して何かを残したという意味ではないが自分の人生経験の一つとしてこれ程感慨深いものはなかったと思う。

しかし、北野組に参加して決していい仕事をしたとはいえない仕事をこなし続けた結果、その後の仕事は声も一切かからず放浪していたところ、たまたまマリンポストという老舗のVFX映像制作会社(正確には映像合成会社)が新人の人材募集をしていたので応募したらすんなり入れることになりその後はしばらくそこに籍を置くことになった。

マリンポストは自分が憧れだった平成ゴジラシリーズで映画の合成をやったりしていた老舗の会社である

ここでもまた自分の憧れへの一歩を踏み出した。

しかし、自分の本当にやりたい事に専念する事から怖がって逃げていた部分もあった。

映画監督としてやるという事に。。




思えばこの一年は夢見ていた映画の現場に出つつ自主製作映画を制作しつつとにかくいろいろな意味で充実してもいて一瞬で過ぎ去った年だった。

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