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夏の終わりのハリネズミ死体放置事件

8月27日土曜日朝9時過ぎ。
仕事に行こうと外に出て、隣の家の前の歩道の真ん中にハリネズミが丸まっているのが目に入った。
以前の私なら、その丸いものがハリネズミであることも気がつかなかっただろう。さしずめ藁のかたまりか何かに見えたはずだ。

しかし昨年7月、突如我が家の庭にハリネズミ出没。以来この辺には野生のハリネズミが生息していること、そしてだいたいの大きさと色は把握していた。

2021年7月29日撮影

今回のハリネズミはまん丸に丸まって一本の足だけちょろっと上のほうにのぞかせている。

こんな感じ。直径15cmくらいか。

野生小動物が堂々、人も犬も猫も通る歩道に寝ている。車道までは1メートルもない。
なぜすぐに気がつかなかったんだろう、それが「寝ている」と言ってしまうには、あまりにも不自然であるということに。

丸々としたおかしなハリネズミをカメラに収めようとスマホを出すべく鞄の中をごそごそしながら、やっと気がついた。


外に出ている足に、小さなハエがついている。


あ、死んでるんだ、ハリネズミ君。


その瞬間、死んだ動物の姿を「かわい~い」と写真に収めようとしている自分の行動のおぞましさに戦慄した。

もちろん撮らなかった。
撮ったとしても、ここでは公開しないけれど。

前日の午後はすごい雷雨で、光った瞬間に雷鳴が轟くくらい激しかったから、ショック死したのだろうか。

バスを待ちながら、まだ朝から家を一歩も出ていないパートナーにハリネズミ君について書き送った。
返事は「何もするんじゃないよ、無視しとくんだよ」という私への注意事項だった。
私はあなたが気がつかずに踏んだり蹴ったりしないように、教えてあげたつもりだったんだけどな。

午後帰ってきたら、誰かが歩行の邪魔になるとでも思ったのか、まったく同じ向きで歩道の脇に小さく植えてある芝生の上に移動されていた。どう考えても、ハリネズミ君が自分で移動したのではない。
彼にはすでに大量の、朝見たのよりずっと大きいハエがたかっていた。

こういった野生の小動物の死骸の処置について、何か法律で決まっているのだろうか。家の真ん前で死なれてしまったお隣さんが一番片付けるべき人のような気もするし、彼らとしても気持ちのいいものではないだろう。ただ、歩道は歩道、公共の場である。責任はなさそう。

私たちはとにかく放っておくことにした。
お隣さんとも仲が良くないので、気がついているかどうかは分からないが注意もしなかった。

このまま歩道の片隅で腐敗して朽ち果ててしまうのだろうか。

どのくらい時間がかかるのだろう。
あの針山の下にはそんなに肉はないのかもしれない。

これからしばらくは、私の中のハリネズミのイメージは短い脚でよちよち庭を歩き回る姿ではなく、あの丸まった状態が続くのだろうなあ。

せめて絵の中では元気なハリネズミ君にご挨拶。


翌日28日の朝、見に行ってみるとハエはもういなくて、ハリネズミ君は前日よりも少し開いていた。

その後、ネットをウロウロしていたら、こんな記事に出会った。

私の「ハエ」に関する知識は小学一年生並みなのだなあ、と思いつつ、感慨深く読んだ。




本記事は、単なる日記です。
倫理的な意見を求めているわけでも実用的なアドバイスを求めているわけでもなく、のちのち「あんなこともあったよね、いつだったっけな」と思い出すために書きました。

それにしても、春の鳥の巣観察といい、映画『Planeta Praha』といい、プラハって、どういう田舎なん?!と思われた方もいらっしゃると思いますが、どんなに東京や西欧諸国の首都に比べて小規模ではあっても首都は首都、中心街は「街」、歴史的建造物は多くの観光客を惹きつけています。私の住んでいるところはその首都の片鱗、2000年に新興住宅地として開発され、プラハが拡張されてやっと首都圏内になったところです。よって自然と隣り合わせなのだと思っていただければ。

20年以上前の話になりますが、京都に住んでいた時もけっこう山のほうだったので、下宿に猿とか出たし、夜電車を待っていたら線路をイノシシが走ってくるのに遭遇した友達もいました。東京のことは全然知りませんが、意外や意外、野生動物がちょろっと顔を出したりすることもあるのでしょうか。



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